俳句はいく)” の例文
B また俳句はいくだらう。先年せんねん電車でんしやのストライキのあつたとき、あれはなんとかつたつけな、めう俳句はいくやうなものをいてよこしたぢやないか。
ハガキ運動 (旧字旧仮名) / 堺利彦(著)
つまりその作物さくぶつ背景はいけいになつてゐるものをのみこんで、しんうたなり俳句はいくなりをあぢはるといふことが、どうしても必要ひつようなのです。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
宗助そうすけからると、主人しゆじんしよにも俳句はいくにもおほくの興味きようみつてゐた。何時いつ是程これほど知識ちしきあたまなかたくはらるゝかとおもくらゐすべてに心得こゝろえのあるをとこらしくおもはれた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
其は翁が八十のいわいに出来た関牧場の画模様えもよう服紗ふくさと、命の洗濯、旅行日記、目ざまし草に一々うたおよび俳句はいく自署じしょしたものであった。両家族の者残らずにてゝ、各別かくべつに名前を書いてあった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
いかなる奇功きこうたてたるやはかりがたし、こと此地このちに一名園めいゑんくはへたるは私利しりのみなりといふべからず、さて菊塢きくう老年らうねんには学問も少しは心がけしと見え、狂歌きやうか俳句はいくのみ手づゝにはあらず
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
そのすもゝはなはなすもゝころ二階にかい一室いつしつ四疊半よでふはんだから、せまえんにも、段子はしごうへだんにまで居餘ゐあまつて、わたしたち八人はちにん先生せんせいはせて九人くにん一夕いつせき俳句はいくくわいのあつたとききようじようじて、先生せんせい
春着 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
雪竿といへば越後のこととして俳句はいくにも見えたれど、此国に於て高田の外无用むようの雪竿さをたつところ昔はしらず今はなし。風雅ふうがをもつて我国にあそぶ人、雪中をさけて三ころ此地をふむゆゑ、越路こしぢの雪をしらず。
けれどもこれは、和歌わかではまづ出來できない相談そうだんで、おそらくこのひとが、かういふふうな思想しそうあらはかたをする俳句はいくにも、興味きようみつてゐたから出來できたものなのでせう。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
少年行せうねんかうまへがきがあつたとおもふ……こゝに拜借はいしやくをしたのは、紅葉先生こうえふせんせい俳句はいくである。ところが、そのつれてとある春着はるぎがおなじく先生せんせい通帳おちやうめん拜借はいしやくによつて出來できたのだからめうで、そこがはなしである。
春着 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
その高濱たかはまさんの御領分ごりようぶん俳句はいく同樣どうように、短歌たんかといふものは、ほんとうに、日本國民につぽんこくみん自身じしんしたもので、とりわけ、きはめてふる時代じだいに、出來上できあがつてゐたものであります。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)