会津あいづ)” の例文
旧字:會津
鹿角かづの郡のユルギがあり、福島県では石城いわき郡のイルギ、最上もがみ会津あいづ相州そうしゅう浦賀等のユルギのほかに、飛んで隠岐おき五箇浦ごかのうらのエリリがある。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
れはドウしたのかと云うと、会津あいづで分捕りした着物だといっ威張いばって居る。実に血腥ちなまぐさい怖い人物で、一見ず手の着けようがない。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
四日にわたる激戦の結果は会津あいづ方の敗退に終わったともいう。このことは早くも兵庫神戸に在留する外人の知るところとなった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
会津あいづ藩の掟でみると、いちばん軽い死刑は「牢内打首ろうないうちくび」とよばれた。牢内の刑場で首を斬る。庶民には見せないのである。
せいばい (新字新仮名) / 服部之総(著)
「こんどの外船がいせんさわぎで、会津あいづや川越の諸藩と交代に江戸湾警備を申しつけられ、その諸費用に大至急で国もとから取りよせた金だったんです」
しかし品物の側から申しますと、若松わかまつ地方の方にずっと心を引かれます。いわゆる「会津あいづ」で若松はその中心であり、今も昔の城址が残ります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
(はがき)今日きょう越後えちご新津にいつを立ち、阿賀野川あがのがわの渓谷を上りて会津あいづを経、猪苗代いなわしろ湖畔こはんの霜枯れを圧する磐梯山ばんだいさんのすさまじき雪の姿を仰ぎつつ郡山こおりやまへ。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「久しぶりで猪苗代いなわしろから会津あいづの方へ行ってみようと思っている。途中で宇都宮の友達をたずねて、それから……。」
慈悲心鳥 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
新沼靱負は会津あいづ蒲生がもう家の家臣で、御蔵奉行おくらぶぎょうに属し、食禄しょくろく二百石あまりで槍刀預という役を勤めていた。
日本婦道記:二十三年 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ことに去年蘆名義広との大合戦に、流石さすがの義広を斬靡きりなびけて常陸ひたちに逃げ出さしめ、多年の本懐を達して会津あいづを乗取り、生れたところの米沢城から乗出して会津に腰を据え
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
会津あいづ生れの山川捨松すてまつは十二歳(後の東大総長山川健次郎男の妹、大山いわお公の夫人、徳冨蘆花とくとみろかの小説「不如帰ほととぎす」では、浪子——本名信子さんといった女の後の母に当る人)
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
寛永かんえい十六年四月十六日の早朝。陸奥国むつのくに会津あいづ四十万石加藤式部少輔明成かとうしきぶのしょうゆうあきなりの家士、弓削田宮内ゆげだくないは若松城の南の方で、突然起った轟音ごうおんにすわと、押っ取り刀で小屋の外へ飛び出した。
討たせてやらぬ敵討 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
これは蝋燭ろうそくを灯すに用い多く会津あいづで出来た、いわゆる絵ローソクを使ったもので、今日でも東本願寺など浄土宗派のお寺ではこれを用いている。中には筍形たけのこがたをしたのもあった。
亡び行く江戸趣味 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
伏見、鳥羽、枚方ひらかた方面から敗退して来る会津あいづ兵や、桑名くわなや、幕府の旗下はたもとの侍は、青い泥を塗ったような顔と、血によごれた体を持てあまして、よろよろと、市中にあらわれた。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かつく沼岸には岩代上野の県道即ち会津あいづ街道かいどうありて、かたはらに一小屋あり、会津檜枝岐村と利根とね戸倉村とくらむらとの交易品を蔵する所にして、檜枝岐村より会津の名酒を此処にはこけば
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
越後えちごへ行っては上杉家へ仕え、会津あいづへ行っては蘆名あしな家へ仕え、奥州おうしゅうへ行っては伊達だて家へ仕え、盛岡へ行っては南部家へ仕え、常陸ひたちへ行っては佐竹家へ仕え、結城ゆうきへ行っては結城家へ仕え
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
当時会津あいづを主とする佐幕の諸藩と薩長さっちょう以下勤王諸藩の軋轢あつれきは、女師匠の稽古屋けいこやに若衆の入り込むていを借り、あるひは五月幟ごがつのぼりもとに子供が戦遊いくさあそびをなすていに倣ひて最も痛快辛辣しんらつに諷刺せられき。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その聯隊れんたいの秋季機動演習は、会津あいづ若松わかまつ近傍きんぼうで、師団演習を終えて、のち、我聯隊れんたいはその地で同旅団の新発田しばたの歩兵十六聯隊れんたいと分れて、若松から喜多方きたかたを経て、大塩峠おおしおとうげを越え、磐梯山ばんだいさん後方うしろにして
雪の透く袖 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
「僕は会津あいづだ」
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ところがこの事を企てた仲間のうちから、会津あいづ方(京都守護の任にある)の一人の探偵があらわれて、同志の中には縛にいたものもある。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
会津あいづ藩士がつくったヨイチ郡黒川くろかわ村、山田村、伊達だて藩士がひらいたウス郡モンベツ村、イシカリ郡トウベツ村その他等々。
旅人 初めは東北地方へ出かけて、那須なすの方へ行きました。それから福島の飯坂いいざかへ行って、会津あいづへ行って……。それから越後へ出て、北国ほっこくの方をまわって……。
影:(一幕) (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
山奥の仕事であるから、そうして多くは雑器を作るのであるから、あの輪島わじまのようなまたは会津あいづのようなはなやかな名は伝っていない。もっと田舎くさい仕事をする。
陸中雑記 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
事のついでに少しくあのころの世間の噂を比較してみると、例えば会津あいづ実相寺じっそうじの二十三世、桃林契悟禅師とうりんけいごぜんじ号は残夢、別に自ら秋風道士とも称した老僧はその一人であった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そしてついには会津あいづ百万石の大名となり、名将蒲生氏郷がもううじさとの名を長く歴史にのこしたのである。
蒲生鶴千代 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
会津あいづだろう」
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
門閥と兵力とにすぐれた会津あいづ藩主松平容保かたもりは、京都守護職の重大な任務を帯びて、新たにその任地へと向かいつつある。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
わたしの戯曲「修禅寺物語」は、十年前の秋、この古い墓のまえにぬかづいた時に私の頭に湧き出した産物である。この墓と会津あいづの白虎隊の墓とは、わたしに取って思い出が多い。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
会津あいづ大塩おおしおという村では山の中の泉を汲んで、近い頃まではそれを釜で煮て塩を製していました。こういう奥山に塩の井が出るというのは、土地の人たちにも不思議なことでした。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
明治元年九月二十一日(会津あいづ落城の一日まえにあたる)
明治の五十銭銀貨 (新字新仮名) / 服部之総(著)
会津あいづ兵だ」
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朝議もそれをれた。一橋中納言が京都を出発して大津に着陣したのは前年十二月三日のことだ。金沢、小田原おだわら会津あいづ、桑名の藩兵がそれにしたがった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
関東地方では茨城県の筑波つくばとか、遠くは福島県の会津あいづ地方のような、田畠がすくないか、または秋の農作のはやく片づく村から、群れをなしてその屋根葺き職の者が出てきて、大よそけんとうをつけ
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
会津あいづ薩摩さつまとの支持する公武合体派の本拠をくつがえし、筑波山つくばさんの方にる一派の水戸の志士たちとも東西相呼応して事をげようとしたそれらの種々の計画は
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それでも会津あいづ、松山、高松、大多喜おおたき等の諸大名は皆京都に敵対するものとして、その屋敷をも領地をも召し上げらるべきよしの報道なぞはしきりに伝わって来た。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その流言に対して会津あいづ方からでも出たものか、八幡はちまんの行幸に不吉な事のあるやも測りがたいとは実に苦々にがにがしいことだが、万一それが事実であったら、武士はもちろん
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
強大な諸侯らの勢力は会津あいづ戦争を背景として今や東と西とに分かれ、この国の全き統一もまだおぼつかないような時代の薄暗さは、木曾の山の中をも静かにしては置かなかった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)