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会津
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あいづ
ふりがな文庫
“
会津
(
あいづ
)” の例文
旧字:
會津
鹿角
(
かづの
)
郡のユルギがあり、福島県では
石城
(
いわき
)
郡のイルギ、
最上
(
もがみ
)
や
会津
(
あいづ
)
や
相州
(
そうしゅう
)
浦賀等のユルギのほかに、飛んで
隠岐
(
おき
)
五箇浦
(
ごかのうら
)
のエリリがある。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
是
(
こ
)
れはドウしたのかと云うと、
会津
(
あいづ
)
で分捕りした着物だと
云
(
いっ
)
て
威張
(
いばっ
)
て居る。実に
血腥
(
ちなまぐさ
)
い怖い人物で、一見
先
(
ま
)
ず手の着けようがない。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
四日にわたる激戦の結果は
会津
(
あいづ
)
方の敗退に終わったともいう。このことは早くも兵庫神戸に在留する外人の知るところとなった。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
会津
(
あいづ
)
藩の掟でみると、いちばん軽い死刑は「
牢内打首
(
ろうないうちくび
)
」とよばれた。牢内の刑場で首を斬る。庶民には見せないのである。
せいばい
(新字新仮名)
/
服部之総
(著)
「こんどの
外船
(
がいせん
)
さわぎで、
会津
(
あいづ
)
や川越の諸藩と交代に江戸湾警備を申しつけられ、その諸費用に大至急で国もとから取りよせた金だったんです」
顎十郎捕物帳:19 両国の大鯨
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
▼ もっと見る
しかし品物の側から申しますと、
若松
(
わかまつ
)
地方の方にずっと心を引かれます。いわゆる「
会津
(
あいづ
)
」で若松はその中心であり、今も昔の城址が残ります。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
(はがき)
今日
(
きょう
)
越後
(
えちご
)
の
新津
(
にいつ
)
を立ち、
阿賀野川
(
あがのがわ
)
の渓谷を上りて
会津
(
あいづ
)
を経、
猪苗代
(
いなわしろ
)
湖畔
(
こはん
)
の霜枯れを圧する
磐梯山
(
ばんだいさん
)
のすさまじき雪の姿を仰ぎつつ
郡山
(
こおりやま
)
へ。
柿の種
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
「久しぶりで
猪苗代
(
いなわしろ
)
から
会津
(
あいづ
)
の方へ行ってみようと思っている。途中で宇都宮の友達をたずねて、それから……。」
慈悲心鳥
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
新沼靱負は
会津
(
あいづ
)
蒲生
(
がもう
)
家の家臣で、
御蔵奉行
(
おくらぶぎょう
)
に属し、
食禄
(
しょくろく
)
二百石あまりで槍刀預という役を勤めていた。
日本婦道記:二十三年
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
特
(
こと
)
に去年蘆名義広との大合戦に、
流石
(
さすが
)
の義広を
斬靡
(
きりなび
)
けて
常陸
(
ひたち
)
に逃げ出さしめ、多年の本懐を達して
会津
(
あいづ
)
を乗取り、生れたところの米沢城から乗出して会津に腰を据え
蒲生氏郷
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
会津
(
あいづ
)
生れの山川
捨松
(
すてまつ
)
は十二歳(後の東大総長山川健次郎男の妹、大山
巌
(
いわお
)
公の夫人、
徳冨蘆花
(
とくとみろか
)
の小説「
不如帰
(
ほととぎす
)
」では、浪子——本名信子さんといった女の後の母に当る人)
田沢稲船
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
寛永
(
かんえい
)
十六年四月十六日の早朝。
陸奥国
(
むつのくに
)
会津
(
あいづ
)
四十万石
加藤式部少輔明成
(
かとうしきぶのしょうゆうあきなり
)
の家士、
弓削田宮内
(
ゆげだくない
)
は若松城の南の方で、突然起った
轟音
(
ごうおん
)
にすわと、押っ取り刀で小屋の外へ飛び出した。
討たせてやらぬ敵討
(新字新仮名)
/
長谷川伸
(著)
これは
蝋燭
(
ろうそく
)
を灯すに用い多く
会津
(
あいづ
)
で出来た、いわゆる絵ローソクを使ったもので、今日でも東本願寺など浄土宗派のお寺ではこれを用いている。中には
筍形
(
たけのこがた
)
をしたのもあった。
亡び行く江戸趣味
(新字新仮名)
/
淡島寒月
(著)
伏見、鳥羽、
枚方
(
ひらかた
)
方面から敗退して来る
会津
(
あいづ
)
兵や、
桑名
(
くわな
)
や、幕府の
旗下
(
はたもと
)
の侍は、青い泥を塗ったような顔と、血によごれた体を持てあまして、よろよろと、市中にあらわれた。
松のや露八
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
曾
(
かつ
)
て
聞
(
き
)
く沼岸には岩代上野の県道即ち
会津
(
あいづ
)
街道
(
かいどう
)
ありて、
傍
(
かたは
)
らに一小屋あり、会津檜枝岐村と
利根
(
とね
)
の
戸倉村
(
とくらむら
)
との交易品を蔵する所にして、檜枝岐村より会津の名酒を此処に
運
(
はこ
)
び
置
(
お
)
けば
利根水源探検紀行
(新字旧仮名)
/
渡辺千吉郎
(著)
越後
(
えちご
)
へ行っては上杉家へ仕え、
会津
(
あいづ
)
へ行っては
蘆名
(
あしな
)
家へ仕え、
奥州
(
おうしゅう
)
へ行っては
伊達
(
だて
)
家へ仕え、盛岡へ行っては南部家へ仕え、
常陸
(
ひたち
)
へ行っては佐竹家へ仕え、
結城
(
ゆうき
)
へ行っては結城家へ仕え
神州纐纈城
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
当時
会津
(
あいづ
)
を主とする佐幕の諸藩と
薩長
(
さっちょう
)
以下勤王諸藩の
軋轢
(
あつれき
)
は、女師匠の
稽古屋
(
けいこや
)
に若衆の入り込む
体
(
てい
)
を借り、あるひは
五月幟
(
ごがつのぼり
)
の
下
(
もと
)
に子供が
戦遊
(
いくさあそ
)
びをなす
体
(
てい
)
に倣ひて最も痛快
辛辣
(
しんらつ
)
に諷刺せられき。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
その
聯隊
(
れんたい
)
の秋季機動演習は、
会津
(
あいづ
)
の
若松
(
わかまつ
)
の
近傍
(
きんぼう
)
で、師団演習を終えて、
後
(
のち
)
、我
聯隊
(
れんたい
)
はその地で同旅団の
新発田
(
しばた
)
の歩兵十六
聯隊
(
れんたい
)
と分れて、若松から
喜多方
(
きたかた
)
を経て、
大塩峠
(
おおしおとうげ
)
を越え、
磐梯山
(
ばんだいさん
)
を
後方
(
うしろ
)
にして
雪の透く袖
(新字新仮名)
/
鈴木鼓村
(著)
「僕は
会津
(
あいづ
)
だ」
坊っちゃん
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
ところがこの事を企てた仲間のうちから、
会津
(
あいづ
)
方(京都守護の任にある)の一人の探偵があらわれて、同志の中には縛に
就
(
つ
)
いたものもある。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
会津
(
あいづ
)
藩士がつくったヨイチ郡
黒川
(
くろかわ
)
村、山田村、
伊達
(
だて
)
藩士が
拓
(
ひら
)
いたウス郡モンベツ村、イシカリ郡トウベツ村その他等々。
望郷:――北海道初行脚――
(新字新仮名)
/
服部之総
(著)
旅人 初めは東北地方へ出かけて、
那須
(
なす
)
の方へ行きました。それから福島の
飯坂
(
いいざか
)
へ行って、
会津
(
あいづ
)
へ行って……。それから越後へ出て、
北国
(
ほっこく
)
の方をまわって……。
影:(一幕)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
山奥の仕事であるから、そうして多くは雑器を作るのであるから、あの
輪島
(
わじま
)
のようなまたは
会津
(
あいづ
)
のような
華
(
はなや
)
かな名は伝っていない。もっと田舎くさい仕事をする。
陸中雑記
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
事のついでに少しくあのころの世間の噂を比較してみると、例えば
会津
(
あいづ
)
の
実相寺
(
じっそうじ
)
の二十三世、
桃林契悟禅師
(
とうりんけいごぜんじ
)
号は残夢、別に自ら秋風道士とも称した老僧はその一人であった。
山の人生
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
そしてついには
会津
(
あいづ
)
百万石の大名となり、名将
蒲生氏郷
(
がもううじさと
)
の名を長く歴史に
遺
(
のこ
)
したのである。
蒲生鶴千代
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
「
会津
(
あいづ
)
だろう」
松のや露八
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
門閥と兵力とにすぐれた
会津
(
あいづ
)
藩主松平
容保
(
かたもり
)
は、京都守護職の重大な任務を帯びて、新たにその任地へと向かいつつある。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
わたしの戯曲「修禅寺物語」は、十年前の秋、この古い墓のまえに
額
(
ぬか
)
づいた時に私の頭に湧き出した産物である。この墓と
会津
(
あいづ
)
の白虎隊の墓とは、わたしに取って思い出が多い。
綺堂むかし語り
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
会津
(
あいづ
)
の
大塩
(
おおしお
)
という村では山の中の泉を汲んで、近い頃まではそれを釜で煮て塩を製していました。こういう奥山に塩の井が出るというのは、土地の人たちにも不思議なことでした。
日本の伝説
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
明治元年九月二十一日(
会津
(
あいづ
)
落城の一日まえにあたる)
明治の五十銭銀貨
(新字新仮名)
/
服部之総
(著)
「
会津
(
あいづ
)
兵だ」
松のや露八
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
朝議もそれを
容
(
い
)
れた。一橋中納言が京都を出発して大津に着陣したのは前年十二月三日のことだ。金沢、
小田原
(
おだわら
)
、
会津
(
あいづ
)
、桑名の藩兵がそれにしたがった。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
関東地方では茨城県の
筑波
(
つくば
)
とか、遠くは福島県の
会津
(
あいづ
)
地方のような、田畠がすくないか、または秋の農作のはやく片づく村から、群れをなしてその屋根葺き職の者が出てきて、大よそけんとうをつけ
母の手毬歌
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
会津
(
あいづ
)
と
薩摩
(
さつま
)
との支持する公武合体派の本拠を
覆
(
くつがえ
)
し、
筑波山
(
つくばさん
)
の方に
拠
(
よ
)
る一派の水戸の志士たちとも東西相呼応して事を
挙
(
あ
)
げようとしたそれらの種々の計画は
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
それでも
会津
(
あいづ
)
、松山、高松、
大多喜
(
おおたき
)
等の諸大名は皆京都に敵対するものとして、その屋敷をも領地をも召し上げらるべきよしの報道なぞはしきりに伝わって来た。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
その流言に対して
会津
(
あいづ
)
方からでも出たものか、
八幡
(
はちまん
)
の行幸に不吉な事のあるやも測りがたいとは実に
苦々
(
にがにが
)
しいことだが、万一それが事実であったら、武士はもちろん
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
強大な諸侯らの勢力は
会津
(
あいづ
)
戦争を背景として今や東と西とに分かれ、この国の全き統一もまだおぼつかないような時代の薄暗さは、木曾の山の中をも静かにしては置かなかった。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
“会津”の解説
会津地方(あいづちほう)は、福島県の西部に当たり、西に越後山脈と東に奥羽山脈に挟まれた日本海側内陸の地域である。福島県は、奥羽山脈と阿武隈高地によって区切られており、西から順に「会津地方」と「中通り」と「浜通り」の三地域に区分されている。
なお、福島県内では、「あいづ」と、いにアクセント核が置かれる。
(出典:Wikipedia)
会
常用漢字
小2
部首:⼈
6画
津
常用漢字
中学
部首:⽔
9画
“会津”で始まる語句
会津屋
会津八一
会津塗
会津家
会津方
会津盆
会津郡
会津領
会津征伐
会津若松