下刻げこく)” の例文
年表には「東風にて西神田町一圓に類燒し、又北風になりて、本銀町ほんしろかねちやう本町ほんちやう石町こくちやう駿河町するがちやう室町むろまちの邊に至り、夜下刻げこくしづまる」
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
さるこくからとり下刻げこくまで、わずかまだ一刻半(三時間)のあいだでしかない。野に満ちていた味方の旗幟きしは、いずれへついえ去ったのか。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あくやうや下刻げこくになつて、ちやんと共揃ともぞろひをした武士ぶしあらためて愚老ぐらうむかへにえましたが、美濃守樣みののかみさまはもうまへごろ御臨終ごりんじうでござりまして。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
午の下刻げこく、上様ご中食ちゅうじきの後、お仮屋青垣かりやあおがきまでお出ましになるが、特別の思召しをもって、垣そとにて両人に床几しょうぎをさしゆるされる。……介添かいぞえはおのおの一名かぎり。
顎十郎捕物帳:09 丹頂の鶴 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
そう言えば、もふたもなくなるがさ。実はわたしは、きのう娘に会ったのだよ。すると、きょうひつじ下刻げこくに、お前さんと寺の門の前で、会う事になっていると言うじゃないか。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
安政紀元十二月二十八日の夜、とり下刻げこく、神田多町二丁目北側の乾物屋三河屋半次郎の店から発火して南の方日本橋まで延焼した。横山湖山がお玉ヶ池の家はその門とへいとをかれた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
風にもまれて暮したりやうやく五日のさる下刻げこくに及び少し風もしづまり浪もやゝおだやかに成ければわづかに蘇生そせいの心地してよろこびしが間もなく其夜の初更しよかうに再び震動しんどう雷電らいでん颶風ぐふうしきりに吹起ふきおこり以前にばいしてつよければふね
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
下刻げこく(午前七時)に六波羅を出た二つの囚人輿めしゅうどごしは、まだ晩秋の木々や町屋の屋根の露もぬうち、はや蹴上けあげ近くにさしかかっていた。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十一月二十四日のひつじ下刻げこくである。西町奉行所の白洲ははればれしい光景を呈してゐる。書院には兩奉行が列座する。
最後の一句 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
はもう下刻げこくであつた。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
時刻は、正にとら下刻げこく(午前五時頃)だった。わずか四日半で着いたわけになる。二人は勿論、瀕死ひんしの病人に等しいものだった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十一月二十四日のひつじ下刻げこくである。西町奉行所の白州しらすははればれしい光景を呈している。書院しょいんには両奉行が列座する。
最後の一句 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
かくて、佐久間本隊が総退却にかかり出したのは、下刻げこく(午後十一時)頃であり、この夜、月の出は、今の時間にして、十一時二十二分。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その日のとり下刻げこくに、上邸かみやしきから見分けんぶんに来た。徒目附、小人こびと目附等に、手附てつけが附いて来たのである。見分の役人は三右衛門の女房、伜宇平、娘りよの口書くちがきを取った。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ちょうど夜明けのとら下刻げこく(五時)頃から戦端は開かれていたので、新手あらて新手と代えても、甲軍は兵馬共にりんりたる汗と気息の疲れにつつまれていた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
陽を仰ぐと、まだたつ下刻げこく(午前九時)ごろだ。長い。またみじかい。どッちといっていいか、たれの頭にも、時間の観念が、もういつもの日ではない。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「御小憩がおすみに相成りましたら、とり下刻げこくのお土圭とけいをあいずに、二の丸の御仏殿までおわたり下さるように」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
下刻げこく。夜は深更なのである。終日のつかれもあろうに——と、家臣たちは自己の労を惜しむのでなく、主人の余りな精力が体にさわりはせぬかとおそれた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先鋒、先鋒本隊、中軍、監視隊などの総勢一万八千が、ひそかに各〻その営からゆるぎ出した時刻は、まさに下刻げこく(午前一時)の一点であったから——。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これによって結果を考えましたところ、今夕こんせきとり下刻げこくからの刻のあいだに、昼よりましたおそろしい大血戦が裾野すそののどこかで起るということがわかりました
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明朝たつ下刻げこく(午前九時)までには、かならず寺中から挨拶に出向く——という雪岑長老の口約束をとって。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蜂須賀七内をはじめ、岐阜ぎふに入り込んでいる乱波らっぱの衆が、いぬ下刻げこくに集まることになっている場所だった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
酒に興じていて、誰も気づかぬまに、うま下刻げこく(一時)頃から、暗い真昼に天候が変っていたのである。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あ、父の命日になるか、それは止そう。……九日の朝——下刻げこく、そうきめる、そういたそう」
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
本能寺十余坊の堂舎伽藍どうしゃがらんは、墨のように寝沈んで、夜は下刻げこく(午前一時)を過ぎていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
既に将軍家は、ひつじ下刻げこく着御ちゃくぎょ、随行の大名お鳥見組の諸士、近侍旗本のひしひしと詰め合った南面のお幕屋に着席している。半刻のご休息があって、一番太鼓がドーンと入る。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
相搏あいうつ味方の咆哮ほうこうは、さるこく(午後四時)からとり下刻げこく(七時頃)までつづいた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
網をかけた一ちょうの乗物が、足軽の棒と、厳しい槍組の武士に囲まれて、江戸城の平河口から、日比谷御門、桜田の辻を通って、芝愛宕山下の田村屋敷へ着いたのは、もうさる下刻げこくに近い。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お聞き及びでもござろうが、昨日下刻げこく、江戸城内に於て、浅野内匠頭事、主人吉良上野介へ刃傷に及ばれ、そのため、主人の知行所、三州幡豆郷はずのごうまで、急命を帯びて出向く者でござる。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明確にいえば、延元元年の三月一日——さる下刻げこく(午後五時)ごろ。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくて、麓の三石村へついたのは、下刻げこく(午前十一時)ごろ。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「耳をすな。もう、いぬ下刻げこくは過ぎているぞッ」
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それが当夜の真夜中下刻げこく(一時)であった。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
時刻は、うま下刻げこく(午後一時)ごろであった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この時、いぬ下刻げこく(午後九時頃)ごろ。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一 下刻げこく(午後十一時)陣払い。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
下刻げこくにござります」
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
時刻 いぬ下刻げこく(九時)
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こよい、いぬ下刻げこく
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)