符牒ふちょう)” の例文
元来自分とさいと重吉の間にただ「あのこと」として一種の符牒ふちょうのように通用しているのは、実をいうと、彼の縁談に関する件であった。
手紙 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
数百の受話器が仲買人たちの耳に瞬間に数千の符牒ふちょうを発した。踏むものが一巡するごとに、人々がなだれをうって台場台場をうずめた。
女百貨店 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
父子二代の傾向が幽玄という符牒ふちょうによって知られはじめた頃、世人はその表現を正当に理解することは出来なかったのである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
あいつという符牒ふちょうは、無論、大火の夜に、かごのなかからヌッと鉄扇を出した侍を指すので、それを考えあぐねていたのである。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、ぼくを彼らから区別するどんな根拠がある? ちがうのは名前だけじゃないのか? 名前なんて、いわば符牒ふちょうだ。
お守り (新字新仮名) / 山川方夫(著)
ここでも、人間が人間を……。だが、人間が人間と理解し合うには、ここでは二十種類位の符牒ふちょうでこと足りる。たとえば
火の唇 (新字新仮名) / 原民喜(著)
五郎造はこの三人の男のことを、松監督さん、竹監督さん、梅監督さんと呼んでいたが、もちろんそれはこの中での符牒ふちょうであるにちがいなかった。
東京要塞 (新字新仮名) / 海野十三(著)
乞食や泥棒が仲間に指示するために、道端の石や塀に白墨その他で奇妙な彼らだけに分る符牒ふちょうをしるしておくのも、この暗号記法の原始形である。
探偵小説の「謎」 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
こっちが部屋をぬけだすのと同時に、符牒ふちょうを合せたように唄いだす相手。こいつぁ唯者でないぞと腕組みをした三次
暗がりの乙松 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
お互に、仲間の符牒ふちょうで、話し合って、追い抜いてしまった。大磯と、小田原の間、松並木つづきで、左手に、遠く、海が白く光っている所であった。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
いろはは智見(ノウレジ)なり。五十韻は日本語を活用する文法のもといにして、いろははただ言葉の符牒ふちょうのみ。
小学教育の事 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
それからは符牒ふちょうでしょう、何かたがいにいい合って、手間てまの取れることなどもありますが、まりが附いて皆がそこを離れるころには、また別の方で呼立てます。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
あいつはいつかも話したとおり例の山田宗徧そうへんの弟子で、やはりぼく一(上野介の符牒ふちょう)の邸へ出入りをしている、茶会さかいでもある時は、師匠のおともをして行って
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
私は盗賊たちのつかう符牒ふちょうを多少研究したことがありますが、今の二人の手真似はさっぱりわかりません。けれどこれで二人が盗賊仲間だということを知りました
呪われの家 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
露店というのは、もとは縁日えんにちだけのもので(この縁日目当ての露店を、テキヤの符牒ふちょうでホーヘーと言う)
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
幕とか旗とかに付けた符牒ふちょうで、その思い付は京都の大官連が車に家々の紋を付けたのがもとで、紋の材料は現今の通説のごとく、礼服の衣紋えもんから得たものであろう。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
自分の思想に何かの符牒ふちょうをつけられることがさも問題ででもあるように、率直な熱心さで自分を守った。
まずかくのごとき複雑な景色がほとんど符牒ふちょうのごとく、「町淋し」と言い「雨の筍」と言い「貸家札」と言って、これでその景色を想像しろといったふうになっている。
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
金魚や鮒の腹に食いつく源五郎虫のように、彼女達は水上で不良の男達の艇にねばられることがあった。彼女たち娘仲間の三四人は、これに「源五郎」と符牒ふちょうをつけていた。
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
伝馬町とか、西京とか、昔はよく市川や菅などと一緒になるたびにはそんな符牒ふちょうが出たものだ。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
社会主義の書籍という符牒ふちょうの下に、安寧秩序を紊るものとして禁止せられることになった。
沈黙の塔 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「実はな、八、この手拭の染め模様が何かの符牒ふちょうに違いないと思って、俺は五日考えたよ」
関東方だの京師方だのと、妙な符牒ふちょうをつけている。どうも俺にはわからないよ。——と、こういうと穏当おんとうなのだが、ナーニ俺にはわかっている。だからいっそう眼が放されない
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
こっちの符牒ふちょうが間違っているから、グレ通しだが、おいらと同じ目的のため、ああして乗込んだにちげえねえ。こいつぁ、うっかり口をあいて見ているばっかりの場合でねえぞ。
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
また「小絵馬」のような特殊な符牒ふちょうの表示ではない。それは物の姿を写すためではなく、世事への見方を現すための絵であった。描かれた姿は、一つの手段に用いるに過ぎない。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「そうか、それでは」と桂は女中に向かって二三品命じたが、その名は符牒ふちょうのようで僕には解らなかった。しばらくすると、刺身さしみ煮肴にざかな煮〆にしめ、汁などが出て飯をった茶碗に香物こうのもの
非凡なる凡人 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
「おいいでないよ。」と繰返して、「今に御客も来るし、今朝のね、彼の件はきっと謂わないだろうね。」と幾多の危懼きぐ、憂慮を包める声音こわね、==お謂でないよ==は符牒ふちょうのようなり。
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
まるで符牒ふちょうを書いてあるようなものがある。で世人一般に分らない字を知るのをもって教育の最後の目的として居るのですから、実に奇怪きかいなる教育の目的と言わんければならんです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
しかしこの奇妙な綽名は鋭敏な嗅覚きゅうかくの少女たちの間にすばやく拡つて行つた。この符牒ふちょうの裏にポアント——鋭い尖、の意味を了解したのも彼等独特の鋭い感応がさせるわざにほかならなかつた。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
「覚えていらっしゃいよ、人が知らないと思って病院の符牒ふちょうなんか使って」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
ところが驚くべきことに、これに対して彼は符牒ふちょうをもって答えたものだ。私に判らない符牒で——。何か南瓜かぼちゃの親類のような符牒で——。けげんそうな私の面持ちをあわれむように彼は注釈を加えた。
一つのエチケット (新字新仮名) / 松濤明(著)
符牒ふちょうで書いてあるから、見たってわかりゃしないよ」
青髯二百八十三人の妻 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
大丸の符牒ふちょう
あがって来た小女(お光という名であった)に、符牒ふちょうのような言葉で註文ちゅうもんを命じてから「あなたはまだ酒は飲まないのか」と訊いた。深喜はうなずいた。
花も刀も (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
十段ばかり上ると、そこに巌丈がんじょう鉄扉てっぴがあって、その上に赤ペンキで、重大らしい符牒ふちょう無雑作むぞうさに書かれてあった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
と言って——いかにかれがこの切迫にワクワクしても、すべての声が符牒ふちょうなので他の形勢がさっぱり分らない。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
数と云うのは意識の内容に関係なく、ただその連続的関係を前後に左右にもっとも簡単にはか符牒ふちょうで、こんな正体のない符牒を製造するにはよほど骨が折れたろうと思われます。
文芸の哲学的基礎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
夢と符牒ふちょうを合わせているようなものだが、それとても、今日までの旅行にありきたりの光景であって、山と谷との間を旅をする者は、どこへ行っても、誰人も経験する道程に過ぎない。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
いや、それはいや、それはしかしながら初めは妖怪ばけもの符牒ふちょうででもあるかに聞いたですが、再度繰返して説明をされたで、貝類である事は分ったです。分ったですが、……貴下あなたは妙なものを
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「八五郎さんにお願いして、銭形の親分にお頼みしたと話すと、主人は、——そうか、仕方があるまい、あの符牒ふちょうだけでは、見る人が見なければ判る道理がないから、——と申しておりました」
彼女は手紙の中の宛名あてなをも今までのように「叔父さん」とは書かないで、「捨吉様」と書くほどの親しみを見せるように成った。同族の関係なぞは最早この世の符牒ふちょうであるかのように見えて来た。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
元来文字そのものが一つの符牒ふちょうであるのではあるが、さらに俳句に使われる場合にはそこに作者と読者との間に特別な約束ができて、普通な文章もしくは談話などで使われる文字が運ぶ意味よりは
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
……なんの符牒ふちょうなのかいっこうにわからない。
これはもちろん符牒ふちょうである。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
符牒ふちょう教えたる」
死までを語る (新字新仮名) / 直木三十五(著)
この四角な文字の配列を眺めていると、この中のンという文字は、たしかに或る符牒ふちょうを示すものであると察せられる。言葉を構成しているものではないのだ。
かれらが、「朱雀」という符牒ふちょうで呼ぶこの陰謀に、浜屋敷がなにかのかかわりをもつことは慥かである。
風流太平記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ある時は行先を残す符牒ふちょうとするなどは、素人しろうとが聞いても、甚だうま味のあることだと、万太郎はすこぶる興味をもちましたので、その暗合符の見方を問いましたが
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四辺あたりみまわす)う/\、思つた同士、人前で内証ないしょうで心をかよはす時は、ひとツに向つた卓子テエブルが、人知れず、あしを上げたり下げたりする、かすかな、しかし脈を打つて、血の通ふ、其の符牒ふちょうで、黙つて居て
紅玉 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
で、組仲間の者は、そこを符牒ふちょうに呼んで、「お鏡下かがみした」ともまた「おしゃべりの」ともいっていた。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)