先鋒せんぽう)” の例文
楠木勢の先鋒せんぽうといえば、そのあらかたが、日傭兵ひやといへいといってもよい、半裸同様な軽装に、ただ大刀だんびらや長柄を振り廻すものが多かったのだ。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
会桑二藩の兵の伏見に駐屯ちゅうとんするものを大阪に引揚げしめん事を説いたが、事既に遅く東西両軍の先鋒せんぽうは早くも砲火を交るに至った。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
まことに九死一生の場合、よくぞ機をはずさず逆襲の先鋒せんぽうをきった。このたびの功名ずい一である、よって五百貫の加増をもうしつけるぞ
だんまり伝九 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
東征先鋒せんぽう鎮撫ちんぶ総督らの進出する模様は、先年横浜に発行されたタイムス、またはヘラルドの英字新聞を通しても外人の間には報道されていた。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
いつまで待っても、れそうもなければ、正午一行と別れ、予とフ氏とは、嘉門次父子を先鋒せんぽうとし、陸地測量部員の他、前人未知の奥穂高を指す。
穂高岳槍ヶ岳縦走記 (新字新仮名) / 鵜殿正雄(著)
ようやくの事先鋒せんぽうを去る事約五六寸の距離まで来てもう一息だと思うと、勘左衛門は申し合せたように、いきなり羽搏はばたきをして一二尺飛び上がった。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
其時そのときは、この武村新八郎たけむらしんぱちらう先鋒せんぽうぢや/\。』と威勢いせいよくテーブルのうへたゝまわすと、さらをどつて、小刀ナイフゆかちた。
四年正月、燕の先鋒せんぽう李遠、徳州とくしゅう裨将ひしょう葛進かっしん滹沱河こだかに破り、朱能しゅのうもまた平安の将賈栄かえい衡水こうすいに破りてこれとりこにす。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
彼は道鏡の高い為人ひととなりを見ぬいたので、自分が彼を利用しうるなら、自分が道鏡をかつぐ先鋒せんぽうとなろうと考えていたように私は解する。自分がかつぐに足る人格を見たのかも知れぬ。
安吾史譚:02 道鏡童子 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
吉野よしのを旗艦として、高千穂たかちほ浪速なにわ秋津洲あきつしまの第一遊撃隊、先鋒せんぽうとして前にあり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
イングラム孃は重々おも/\しく立上つた。「私が一番に參ります。」と彼女は、仲間の先鋒せんぽうとなつて、城の崩壞口をのぼつて行く決死隊の先導者に相應ふさはしいだらうと思はれるやうな調子で云つた。
さればかかる社会に於て、古典韻文の如き形式主義の文学が、流行の外に廃棄されるのは当然である、特に就中なかんずく、叙事詩の如き貴族趣味に属するものは、時代の来る先鋒せんぽうに於て死刑にされる。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
星が降るやうにきらめいて居るが、十六日の月はやゝ遅く、今しも高社山かうしやざんの真黒な姿の間から、其の最初の光を放たうとして、その先鋒せんぽうとも称すべき一帯の余光を既に夜露の深い野に山にみなぎらして居た。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
「それは聞いた、横浜の毛唐けとうを打ちはら先鋒せんぽうとやら」
仁木義長と上野頼兼の両大将をさしむけ、九州では松浦党をその先鋒せんぽうとして攻略に急がせた。すでに三月もなかばに入っていたのである。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その日、先鋒せんぽうはすでに中津川に到着するはずで、木曾福島から行った山村氏の御隠居が先鋒の重立った隊長らと会見せらるるのもその夜のことである。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
氏郷の先鋒せんぽう、諸将出陣というので論無く対治されて終い、それで奥羽は腫物はれものの根が抜けたように全く平定した。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
こう考えて、いやいや、いてくると、何だか先鋒せんぽうが急にがやがやさわぎ出した。同時に列はぴたりと留まる。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
名古屋藩では正気隊と称した精鋭の士卒を先鋒せんぽうとなし藩主徳川慶勝は信州太田に出陣した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
徒士組との決闘になれば、彼は馬廻りの中心となり先鋒せんぽうとなることは必至である。
四日のあやめ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「長頼は、先鋒せんぽうに立て。利秀としひで内膳ないぜんは第二隊に。第三隊には、利益とします光之みつゆき与三郎よさぶろうなどをもって組み、第四隊は、利長としながの手勢にまかすぞ」
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今度の東山道先鋒せんぽうは関東をめがけて進発するばかりでなく、同時に沿道諸国鎮撫ちんぶの重大な使命を兼ねている。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
はじめは官軍の先鋒せんぽう孫霖そんりん燕将えんしょう朱栄しゅえい劉江りゅうこうために敗れて走りしが、両軍持重じちょうして、主力動かざること十日を越ゆ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
手順がきまり、東堂舎人助によって先鋒せんぽうの兵が選ばれた、このときの兵の組立てはちょうどらっきょうのようなかたちだった。橋を確保すべき先鋒は五十人で、これを三百人の兵が包んでいる。
一人ならじ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「すぐ、蹴上けあげの辺りまで、信長がせて来ましたッ。明智、朝山、島田、中川などの諸隊を先鋒せんぽうとし、死にもの狂いの勢いで」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
待ってましたとばかりに関白の方では、此の大石を取れば碁は世話無しに勝になると、堂々たる大軍、徳川を海道より、真田さなだを山道より先鋒せんぽうとして、前田、上杉
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
昨日は白耳義ベルジックナミュウルの要塞ようさいが危いとか今日は独逸軍の先鋒せんぽうが国境のリイルに迫ったとか、そういう戦報を朝に晩に待受ける空気の中にあっては、唯々ただただ市民と一緒に成って心配を分け
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
無理押しをはやッた先鋒せんぽうは、すべてここ十日ほどの間に、外聞の悪いような損害をつみかさね、逆に、孤峰こほうの城をほこらせるばかりに終った。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
氏郷の先鋒せんぽうは二本松から杉目、鎌田と進んだ。杉目は今の福島で、鎌田は其北に在る。政宗勢も其先鋒は其辺まで押出して居たから、両勢は近々と接近した。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
しかし耕雲斎にして見ると、一橋公の先鋒せんぽうを承る金沢藩を敵として戦うことはその本志でなかった。筑波つくば組の田丸、藤田らと、館山たてやまから合流した武田との立場の相違はそこにもあらわれている。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「この上は、彼らを先鋒せんぽうとし、われわれは後巻うしろまきして、進むほかあるまい。さもなくば、戦いの後、木下、池田を見殺しにしたといわれよう」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十一月、京軍の先鋒せんぽう陳暉ちんき、河を渡りて東す。燕王兵を率いて至り、河水の渡り難きを見て黙祷もくとうして曰く、天し予を助けんには、河水氷結せよと。夜に至って氷はたして合す。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
その際は先鋒せんぽうを承って死力を尽くしたいと申し出た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
これは田楽狭間を潰滅かいめつさせると直ぐ、大高方面へ偵察に向けられた隊である。大高には、三河の松平元康が、義元の先鋒せんぽうとして働いていた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「父も何分老年ですから、願わくは父に代って、柳生の手勢をひっさげ、私に先鋒せんぽうの一手をおいいつけ賜わりますように」
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
するうちに、序戦、ここの正面へ当って来たのは、少弐頼尚しょうによりひさを主将とする筑紫つくし諸党の兵——つまり浜の手隊の先鋒せんぽうだった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高山などの先鋒せんぽうが進出してから、夜に入って、すでに勝龍寺の西方あたりで、足軽隊同士の鉄砲戦があり、その附近で
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうだ。直義の軍勢は今朝立ったが、佐々木道誉らの先鋒せんぽうは、すでに鎌倉を立っておる。——その佐々木の陣へ、秘命をつたえに行って欲しいのだが」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一 敵先鋒せんぽうの散兵、間者輩、く山へ潜り入ること備うべし。味方、山を出るあとになお百名の屈強は残し行くべし。敵の忍びあらば逸せず討果すこと。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、そのこたえよりより早く、すでに六波羅勢の先鋒せんぽう、また鎌倉の大軍が、近くにまで到れりと、この日もここ笠置の行宮には、早馬の報が頻々だったのだ。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「うしろから、逆攻さかぜめを食わすもよい。しかし、要は、敵を二つに分裂させてしまうことだ。汝らは、敵の後尾を打て。自分は、敵の先鋒せんぽうへ立ちむかわん」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、俄然がぜん、前方の者から声があがった。四、五けんばかりの小石こいし河原、そこではしなくも、徳川家とくがわけ先鋒せんぽう内藤清成ないとうきよなりの別隊、四、五十人と衝突しょうとつしたのである。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
海づたいに、潜行せんこうしていた前田方の先鋒せんぽうは、いつも中軍の馬じるしよりも、はるか先へ先へと、進んでいた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この一軍は、事変の初めから反明智態度をあきらかに示していた瀬田の城主山岡景隆の全家中と、さきに山崎から急派されていた堀秀政の先鋒せんぽうの一隊である。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「お引き返し下さい。そして、お味方の先鋒せんぽうと合体せよとの——仰せです。池田どの御父子のおことばです」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
氏家広行うじいえひろゆきなどの先鋒せんぽうは、各地に放火し、またたくまに岐阜城を取詰めんの猛勢を示しおるとも聞え、このたび筑前が決意と動きは、これを、なお余日ありなどと
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
右のうち、先鋒せんぽうの第一第二がもちろん決死行の中心力だった。堀秀政は軍監、秀次は総帥の格である。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もちろん、実戦でもそのいきを越えてはならん。——はや高ノ師泰を先鋒せんぽうにやったそうだが、その師泰の軍勢にも、三河の矢矧やはぎから西へは進み出るなと固くいましめておけ。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すすめ、先鋒せんぽう、本軍、遊軍などの布置ふちに、抜かりなきを期しておかれてはいかがとぞんじますが
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
織田勢の先鋒せんぽう、滝川左近、篠岡ささおか平右衛門などの兵が、はや近くの村々に入りこみ、ここにおやかた以下御一門がおわすことを里人から聞き知ったらしく、遠巻きに通路を断って
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)