假令たとへ)” の例文
新字:仮令
私は家へ行く別の道を知つてゐる。だが、假令たとへ私が二十も道を知つてゐたにしろ、もう何にもならなかつた。彼が私を見附けたのである。
上げ此事に付假令たとへ如何樣の儀仰せ付らるゝ共いさゝ相違さうゐの儀申上ざるにより御取調べの程ひとへに願ひ上奉つる尤も證據人忠兵衞を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
假令たとへ、私が死んだ翌る日、他所よそへ縁付いても不思議はないわけですが、私にして見れば、同じ破談にするにしても、せめて半歳待つて貰つて
假令たとへ食ふ物をすこしぐらゐ減らしてまでも、着る方に浮身をやつすといふ人さへある。それを思ふといぢらしい。
桃の雫 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
泉先生の場合に於ては、假令たとへ神を描いても、その神は昔話の神ではなくて、吾等と共に存在する神なのだ。
假令たとへ獄衣を身に纒ふやうな恥づかしめを受けようと、レエイプしてもとまで屡思ひ詰めるのだつた。
業苦 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
銛はするど尖端せんたんと槍の如きとより成る物なるが魚の力つよき時は假令たとへ骨にさりたるも其儘そのままにて水中深く入る事も有るべく、又漁夫があやまつて此道具をながす事も有るべし。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
文學と人生との接近といふ事から見れば、假令たとへ此の運動にたづさはらなかつた如何なる作家と雖も、遂に此運動を惹起したところの時代の精神に司配されずにゐる事は出來なかつた。
硝子窓 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
其處そこには假令たとへ重量ぢゆうりやうくはへられても、それはたくみつかれてねむ父母ちゝはゝみゝあざむくのである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
此子これが頭にこぶし一つ當てたる奴は、假令たとへ村長どのが息子にもせよ理非はとにかく相手は我れと力味たつ無法の振舞漸くつのれば、もとより水呑百姓の痩田一枚もつ身ならぬに、憎くき老耄おひぼれが根生骨
暗夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
それから後は假令たとへどんな貧弱な小屋でも結構ですから行かせて下さいまし——けれど、それ迄はどうか此處にお置きになつて下さいまし。
見込で御頼みとあれば假令たとへ親兄弟おやきやうだいたりとも義に依ては急度きつと助太刀すけだち致すべしと言へば掃部は聞て偖々さて/\頼母たのもしき御心底しんていかんじ入たり然樣さやう御座らば何を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
假令たとへ鼻が低いと言はれようが、瞼が高いと調戲からかはれようが、女の身ながらに眼を見開くなら、この世に隱れてゐる寶と生命と幸福とが得られるといふこゝろもちを
桃の雫 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
假令たとへ言議を試みる者があるにしても、責任を以て國家を非常の運命に導いた爲政者にはもうそんな事に耳を傾けてゐる事が出來ない。是が非でも遣る處までは遣り通さなければならぬ。
大硯君足下 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
假令たとへ一度は勘當になつても、私に取つても從兄弟いとこではあり、何んとか身の立つやうにしてやらうと、私も精一杯心掛けては居りますが、困つたことに、その從兄弟の吉太郎が歸つて來てから
「でもね、假令たとへ、子供が出來たとしても、戸籍のことはどうしたらいゝでせう。わたし、自分の可愛い子供に私生兒なんていふ暗い運命は荷なはせたくないの。それこそ死ぬより辛いことですわ」
崖の下 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
假令たとへにかへいのちにかへてもくしまゐらするこゝろなるを、よしなき御遠慮ごゑんりよはおくだされたしとうらがほなり、これほどまでにおもひくるゝ、其心そのこゝろらぬにもらぬを、このごろ不愛想ぶあいさうこゝろもだゆるまゝに
たま襻 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
次にそのほかの點でも、假令たとへあなたが男性の活溌な頭腦あたまを持つてゐるとしても、あなたの心臟こゝろは女性ですよ、だから——それでは駄目です。
かため種々に思案しあんめぐら如何いかにも天一坊怪敷あやしき振舞ふるまひなれば是非とも再吟味せんものと思へど御重役方は取上られず此上は是非に及ばず假令たとへ此身は御咎おとがめ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
とうさんの幼少ちひさときのやうにやまなかそだつた子供こどもは、めつたに翫具おもちやふことが出來できません。假令たとへしいとおもひましても、それをみせむらにはありませんでした。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
人に物を贈らうとするのに、一時に多く贈らうと思ふことは反つてよくない、假令たとへ少しづゝでもその折にふれて何度にも贈れといふことが、翁の書いたものに見える。
桃の雫 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
假令たとへ金錢は僅かでも、私には全く左樣いふ心を起したことが無いとは言へないのですから。
假令たとへその土地とちが、どんなやまなかでありましても、そこで今度こんどとうさんは自分じぶん幼少ちひさ時分じぶんのことや、その子供こども時分じぶんあそまはつたやまはやしのおはなしを一さつちひさなほんつくらうとおもちました。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)