鬱然うつぜん)” の例文
百合ゆり山査子さんざしの匂いとだけ判って、あとは私の嗅覚きゅうかくに慣れない、何の花とも判らない強い薬性の匂いが入れ混って鬱然うつぜん刺戟しげきする。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
しかるにわが東京においてはもし鬱然うつぜんたる樹木なくんばかの壮麗なる芝山内しばさんない霊廟れいびょうとても完全にその美とその威儀とを保つ事は出来まい。
あらゆる華やかさと恥と不可解がごく自然に存在し、事実、それらの堆積が鬱然うつぜんし醗酵してLISBOAを作ってるのだ。
当時徳富蘇峰の『国民之友』は政治を中心としてあまねく各方面の名士を寄書家に網羅もうらし、鬱然うつぜんとして思想壇に重きをなした雑誌界の覇王はおうであった。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
川向こうを見ると城の石垣いしがきの上に鬱然うつぜんと茂ったえのきがやみの空に物恐ろしく広がってみぎわの茂みはまっ黒に眠っている。
花物語 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
この戦国の乱れた世に鬱然うつぜんたる勢力を抱きながら眠れる獅子ししのそれのように諸国の武将に恐れられ、しかも己は焦心あせらず逼らず己が国土を静かに守り
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
洋燈ランプめづらしいが、座敷ざしきもまだ塗立ぬりたての生壁なまかべで、たかし、高縁たかゑんまへは、すぐにかしつき大木たいぼく大樹たいじゆ鬱然うつぜんとして、めぐつて、山清水やましみづ潺々せん/\おとしづかながれる。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
たとい留守を預かるほどの者が心がけがよくって、見苦しからぬよう手入れをおこたらぬにしたところで、主人を持たぬ家は、その鬱然うつぜんたる生気を失うにきまっている。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
扉を立てた剥げ落ちた朱色の門の下で、眼の悪い犬が眠った乞食の袋をおさえていた。ときどき鬱然うつぜんと押し重なった建物の中から、鋭く警官の銃身だけが浮きながら光って来た。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
けれども雲の軍勢が鬱然うつぜんと勃起し、時に迅雷じんらい轟々ごうごうとして山岳を震動し、電光閃々せんせんとして凄まじい光を放ち、霰丸さんがん簇々そうそうとして矢を射るごとく降って参りますと修験者は必死となり
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
レコードは、ビクターのコルトーは鬱然うつぜんたる感じのする名演奏で(七四九三—五)、ほかに三、四種のレコードも入っているが、コルトーに比べると薄手で散漫で問題にならない。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
見ゆる限り草蓬々ぼうぼうたる大野原! 四周をかぎって層々たる山々が、屏風びょうぶのごとくに立ちつらなり、東北方、山襞やまひだの多い鬱然うつぜんたる樹木の山のみが、そのすそを一際近くこちらにいている。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
仰いで天文を望めば、日月星辰、秩然ちつぜんとして羅列するもの、一つとして妖怪ならざるはなし。して地理を察するに、山川草木、鬱然うつぜんとして森立するもの、またことごとく妖怪なり。
妖怪学講義:02 緒言 (新字新仮名) / 井上円了(著)
場所は山路であつて、正面に坂道を現はし(坂の上には小さな人物が一人向ふへ越え行かうとして居る処が画いてある)坂の右側に数十丈もあらうといふ大樹が鬱然うつぜんとして立つて居る。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
そして、時の芽ぶきを待ちつつ、近国近郡のひろい山野にその気運を鬱然うつぜんえ出させた原動力は千早であった。千早にって、よく今日までを耐えてきた超人的な人々の力であった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
他面には恋愛結婚に対する憧憬が鬱然うつぜんとして盛んな機運を作ろうとしつつあり
平塚さんと私の論争 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
春雨を豊かに吸うた境内の土、処々に侘しく残ったにわたずみ、古めかしい香いのする本堂、鬱然うつぜんとして厳しく立ち並んだ老木の間には一筋の爪先き上りの段道がある。その側には申し訳のような谷川がある。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
さかうへから、はるか小石川こいしかは高臺たかだい傳通院でんづうゐんあたりから、金剛寺坂上こんがうじざかうへ目白めじろけてまだあまはひらない樹木じゆもく鬱然うつぜんとしたそこ江戸川えどがは水氣すゐきびてうすよそほつたのがながめられる。
番茶話 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
ただ、眼に見えるものと云えば、洞然と静もる巨大な谷と鬱然うつぜんと聳える雪の山と地に這っている灌木と氷張り詰めた河ばかり。そしてそれらをおおうている暗い寂しい空ばかり……。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
鬱然うつぜんとした大樹はあるが、渭山いやまはあまり高くない。山というよりは丘である。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
イタリー歌劇の鬱然うつぜんたる巨頭、伝統をまもって、ワグナーと対峙たいじしたが、この人のイタリー歌劇は、その豊かな創作力と、変化きわまりなき種々相と、感銘の深さにおいて、何人も及ぶところでない。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
変幻出没の業を覚え、さらに兵法武術をも学び、仁徳を積み聖賢の道をも極わめ、父の仇を討って取ろうとして、義明を狙い同志を集め、鬱然うつぜんとした勢力を作り、御嶽山上に砦を築き
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)