頭腦あたま)” の例文
新字:頭脳
次に質問されたのは「好きからに文筆を弄んでゐるのか或は本職的に沒頭してゐるのか」といふ頭腦あたまの古い連中のおきまり文句である。
そこで私は、私の頭腦あたまに、その返答を速く探せ、と命令した。頭腦づなうは、次第にはやく働き出した。私は、頭にも顳顬こめかみにも脈打つのを感じた。
日本人の國民的性格といふ問題に考へを費すことを好むやうになつた近頃の私の頭腦あたまでは、此事件を連想する事が必ずしも無理でなかつた。
我が最近の興味 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
文藝春秋といふ雜誌は、文壇稀れに見る「頭腦あたまの好い雜誌」であつて、編輯がキビキビとして居り、詰將棋の名手を見るやうな痛快さがある。
常識家の非常識 (旧字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
靈と肉との表裏ある淡紅色ときいろの窓のがらすにあるかなきかの疵を發見みつけた。(重い頭腦あたまの上の水甕をいたはらねばならない)
聖三稜玻璃:02 聖三稜玻璃 (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
頭腦あたまをも絶對に休めてゐようと思つてゐるのだが、しかし、生きてゐる限りは何かかにか、心に浮んで仕方がない。
しばらく忘れて居てめつたに平素ふだん思出さないやうなことが、しかも一部分だけ妙に私の頭腦あたまの中に光つて來ました。
頭腦あたまなか此樣こんことにこしらへて一けんごとの格子かうし烟草たばこ無理むりどり鼻紙はながみ無心むしんちつたれつれを一ほまれ心得こゝろゑれば、堅氣かたぎいゑ相續息子そうぞくむすこ地廻ぢまわりと改名かいめいして
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
さて、此樣このやう行裝ぎゃうさうで、彼奴きゃつ毎夜々々まいよ/\戀人共こひびとども頭腦あたまなか馳𢌞かけまはると、それがたちま種々さま/″\ゆめとなる。
勘次かんじはそれを凝視みつめてくとなんだか頭腦あたまがぐら/\するやうにかんぜられた。かれ昨夜ゆふべねむらなかつた。かれ自分じぶんひとりころしてねばならぬ忌々敷いま/\しさが頭腦あたま刺戟しげきした。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
人間業とは思へぬ巧妙精緻かうめうせいちな風太郎の手口を見ると、決して二人や三人の仕事ではなく、異常な頭腦あたまと體力を持つたたつた一人の仕業に相違ないといふことがよくわかります。
その明るさが室の内を照らし出すと、幾分頭腦あたま明瞭はつきりしたやうで先刻さつき途中で買つて來た菓子の袋を袂から取り出して茶道具を引寄せた。そして自分は湯を貰ひに二階から勝手に降りた。
一家 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
松公はこの四五日、姿も見せない。お大は頭腦あたまも體も燃えるやうなので、うちじつとしてゐる瀬はなく、毎日ぶら/\と其處そこら中彷徨うろつきまはつて、妄濫むやみやたらと行逢ふ人に突かゝつて喧嘩をふつかけて居る。
絶望 (旧字旧仮名) / 徳田秋声(著)
幼いわたしの頭腦あたまにはこの話が非常に興味あるものとして刻み込まれた。
半七捕物帳:01 お文の魂 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
情と熱に富む士には、計数の頭腦あたまとぼしいものである。計数の才に富む者には、義や忠誠は知っても、進んで死地へ飛び込むような断がない。勇がない。実行力に欠けているのがふつうである。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さうして、その清水に浸つてゐる樣な明らかな頭腦あたまの中に
木乃伊の口紅 (旧字旧仮名) / 田村俊子(著)
何時いつしか暗い陰影かげ頭腦あたまはびこつて來る。私は、うして何處へといふ確かな目的あてもなく、外套を引被ひつかけて外へ飛び出して了ふ。
菊池君 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
次にそのほかの點でも、假令たとへあなたが男性の活溌な頭腦あたまを持つてゐるとしても、あなたの心臟こゝろは女性ですよ、だから——それでは駄目です。
雜誌新聞に衆をたのんで筆陣を張る頭腦あたまの惡い派に云はせると、「藝術座」などの役者達に比べて本來理解力の少ないものと看做され勝であつたが
一風呂浴びて日の暮れゆけば突かけ下駄に七五三の着物、何屋の店の新妓しんこを見たか、金杉の糸屋が娘に似て最う一倍鼻がひくいと、頭腦あたまの中を此樣な事にこしらへて
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
ガラツ八の報告を聽くと、平次の頭腦あたまはいろ/\に働きます。此事に南部家は關係して居ないやうにも思はれますが、若し關係があるものとすれば、櫻庭兵介は日本一の喰はせ者です。
其日、吾儕の頭腦あたまなかは朝から出逢つた種々雜多な人々で充たされて居た。咄嗟に過ぎる影、人の息、髮のにほひ——汽車中のことを考えると、都會の空氣は何處迄も吾儕から離れなかつた。
伊豆の旅 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
其麽そんな時は、恰度ちやうど、空を行く雲が、明るい頭腦あたまの中へサッと暗い影を落した樣で、目の前の人の顏も、原稿紙も、何となしにくすんで、曇つて見える。
菊池君 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
これは吉村忠雄氏又は次郎生の文藝觀で、如何に大人といふものは頭腦あたまの惡いものであるかを證明してゐる。
いろいろの事が疊まつて頭腦あたまの中がもつれて仕舞ふから起る事、我れは氣違ひか熱病か知らねども正氣のあなたなどが到底とてもおもひも寄らぬ事を考へて、人しれず泣きつ笑ひつ
ゆく雲 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「あの人は殆んど口をきませんの。云ふことと云つたらいつも要領を得てゐますのよ。隨分頭腦あたまのいゝ方ですわ。まあどつちかと云へば感じ易い方ぢやなくて、強い方だと思ひますね。」
頭腦あたま懵乎ぼうつとしてゐて、これといふ考へも浮ばぬ。話も興がない。耳の底には、まだ轟々たる都の轟きが鳴つてゐる。
天鵞絨 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
幾度も幾度も、此の問題を頭腦あたまの中で繰返して居る間に、平生藝術家久保田君を見くびり勝な、其處いらに居る人間どものぼんくらと無禮が癪に障つて來た。
いろいろのことたゝまつて頭腦あたまなかがもつれて仕舞しまふからおこことれは氣違きちがひか熱病ねつびようらねども正氣せうきのあなたなどが到底とてもおもひもらぬことかんがへて、ひとしれずきつわらひつ
ゆく雲 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
誰やらに似た横顏はまだ頭腦あたまの中に殘つてゐるやうだけれど、さて其誰やらが誰だか薩張當がつかない。
散文詩 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
その癖頭腦あたまが明敏で、三田のやうな異種かはりだねを取扱ふこつも心得、又猩々だとか蟒だとか云はれる大酒飮みに似合はぬ親孝行兄弟おもひで、弟は東京の大學に通つてゐて
大阪の宿 (旧字旧仮名) / 水上滝太郎(著)
然しいくら考へたとて、私の頭腦あたまは彼の言葉の味を味ふことが出來なかつた。「何して斯う自分を虐めてるんだらう? たゞこんなことを言つて見るのか知ら?」
我等の一団と彼 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
いかに憎惡の念の熾烈に現れてゐるかは頭腦あたまの惡い派にはわからないのであらうか。
以上二つの舊知の名が、はしなく我頭腦あたまの中でカチリと相觸れた時、其一刹那、或る莊嚴な、金色燦然たる一光景が、電光の如く湧いて自分の兩眼に立ち塞がつた。
葬列 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
これは頭腦あたまが惡いなと思つた。
聞く人は唯もう目をみはつて、夜も晝もなく渦卷く火炎に包まれた樣な、凄じい程な華やかさを漠然と頭腦あたまに描いて見るに過ぎなかつたが、淺草の觀音樣に鳩がゐると聞いた時
天鵞絨 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
其日は一日、可成なるべくくすんだ顏を人に見せまいと思つて、頻りに心にもない戲談を云つたが、其麽そんな事をすればする程、頭腦あたまが暗くなつて來て、筆が溢る、無暗矢鱈に二號活字を使ふ。
菊池君 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
朝起きて先づ我々の頭腦あたまに上る問題は、如何に明日の新聞を作るべきかといふ事であつて、如何に其の一日を完成すべきかといふ事では無い。我々の生活は實にただ明日の準備である。
我等の一団と彼 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
二人は、まだ頭腦あたまの中が全然すつかり覺めきらぬ樣で、呆然ぼんやりとして、段々後ろに遠ざかる村の方を見てゐたが、道路の兩側はまだ左程古くない松並木、曉の冷さが爽かな松風に流れて、叢の蟲の音は細い。
天鵞絨 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)