薄暮はくぼ)” の例文
何か、敵味方大声がこだましあうと、一団また一団、太刀長刀なぎなたをひっさげた兵が、われがちに薄暮はくぼの谷間をのぞんで駈け降りてゆく。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
無言のまま、彼と握手を交して、それからこの秘密臭い薄暮はくぼの書斎を更にうす暗い外の廊下へ、そっと独りで退きました。
開化の良人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
上野へは薄暮はくぼにならぬ中に着く筈だ。汽車は猶も私と私の默想とを載せて、たゆたひながら、しかも只管に焦つて、そこへ急ぎつゝあるのだ。——
受験生の手記 (旧字旧仮名) / 久米正雄(著)
だんだん夏が来て、その店の前のたなの下には縁台が置かれて、夕顔の花が薄暮はくぼの中にはっきりときわだって見える。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
薄暮はくぼは迫り、春の日は花に暮れようとするけれども、行路こうろの人は三々五々、各自に何かのロマンチックな悩みを抱いて、家路に帰ろうともしないのである。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
既に薄暮はくぼのこととて庭の隅々すみずみ篝火かがりびが燃されている。それを指さしながら子路が、「火を! 火を!」と叫ぶ。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
帰途勧工場かんこうばに入りて筆紙墨ひっしぼくを買い調ととのえ、薄暮はくぼ旅宿に帰りけるに、稲垣はあらずして、古井ひとり何か憂悶ゆうもんていなりしが、妾の帰れるを見て、共に晩餐をきっしつつ
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
ちょうどその日の薄暮はくぼ韮崎にらさき方面からこの甲府城下へ入り込んだ武者修行ていの二人の者。前に進んでいたたくましいのが、何を思い出したか、刀の柄袋つかぶくろちょうと打って
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この日の薄暮はくぼごろに奈々子の身には不測ふそくわざわいがあった。そうして父は奈々子がこの世を去る数時間以前奈々子に別れてしまった。しかも奈々子も父も家におって……。
奈々子 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
太掖勾陳処処。薄暮毀垣春雨裏。〔太掖たいえき勾陳こうちん処処しょしょうたがう。薄暮はくぼ毀垣きえん 春雨しゅんううち
ははほうへはかずに、四畳半じょうはんのおのが居間いま這入はいったおせんは、ぐさまかがみふたはずして、薄暮はくぼなかにじっとそのまま見入みいったが、二すじすじえりみだれたびんを、手早てばやげてしまうと
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
予定の十分の一にもたらぬ里程において目的を放棄し、薄暮はくぼ、コオト・ドオル県ボオヌ駅より列車にて碧瑠璃海岸コオト・ダジュウルへ向けて出発したが、図らざりき、列車の取捨を誤ったため、同夜半ふと目覚めれば
二十六日、枝幸丸えさしまるというに乗りて薄暮はくぼ岩内港いわないみなとに着きぬ。
突貫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
薄暮はくぼ
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
いそぎにいそいで京都をでた伊那丸主従いなまるしゅじゅうが、大津おおつ越えせきとうげにさしかかったのは、すでに、その日の薄暮はくぼであった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鎌倉にとどまれる知友を思ひ、心しきりに安からず。薄暮はくぼ円月堂の帰り報ずるを聞けば、牛込は無事、芝、焦土せうどと化せりと云ふ。あねの家、弟の家、共に全焼し去れるならん。
二三日前までは老母が夕べごとにそこに出て、米かし桶の白い水を流すのがつねであったが、娘が帰って来てからは、その色白の顔がいつもはっきりと薄暮はくぼの空気に見えるようになった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
ときすでに薄暮はくぼであり、夜に入っての城攻めは、兵法の禁もつとされているし、長駆ちょうく、楽田から息もつかずに来た人馬なので、こよいの行動は一時見あわせ
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ちょうどあの尾生が薄暮はくぼの橋の下で、永久に来ない恋人をいつまでも待ち暮したように。
尾生の信 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
寺のさかいにひょろ長いはんの林があって、その向こうの野の黄いろく熟した稲には、夕日が一しきり明るくさした。こうの巣に通う県道には、薄暮はくぼに近く、空車からぐるまの通る音がガラガラといつも高く聞こえる。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
又つらつら考へれば、鸚鵡の籠をげたるまま、檀那寺だんなでらの世話にはなられぬやうなり。即ち鸚鵡に玄米の残りを食はせ、九段上の濠端ほりばたよりこれを放つ。薄暮はくぼ、谷中の檀那寺に至る。
松はどこだろうと、薄暮はくぼの空ばかり探していたので見つからなかったわけである。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
悪魔「るしへる」は、かくわが耳に囁きて、薄暮はくぼの空をふり仰ぐよと見えしが、その姿たちまち霧の如くうすくなりて、淡薄たんぱくたる秋花あきはなに、消ゆるともなく消え去りおわんぬ。
るしへる (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
すでに薄暮はくぼの時刻がせまって、その日の御岳みたけ平和裡へいわりに第一日のおわりをげた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
顔に当る薄暮はくぼの風、足の下におどるトロッコの動揺、——良平はほとん有頂天うちょうてんになった。
トロッコ (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
必死な気もちでお綱は新藤五を構えながら、薄暮はくぼの白い明り目がけて走りだした! と、その勢いの余りに鋭く、まッしぐらな姿は世阿弥の体とれて、合歓ねむの木の根元まで泳いで仆れた。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし少くとも常子だけは半年ばかりたったのち、この誤解に安んずることの出来ぬある新事実に遭遇そうぐうした。それは北京ペキンの柳やえんじゅも黄ばんだ葉を落としはじめる十月のある薄暮はくぼである。
馬の脚 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そして範宴の帰りは、いつも薄暮はくぼになるので、性善坊は師の一身を案じて
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
暑気はなはだし。再び鎌倉に遊ばんかなどとも思ふ。薄暮はくぼより悪寒をかん。検温器を用ふれば八度六分の熱あり。下島しもじま先生の来診らいしんを乞ふ。流行性感冒のよし。母、伯母をば、妻、児等こら、皆多少風邪ふうじやの気味あり。
薄暮はくぼの空を見て、半兵衛重治はやがて辞し去った。来るも去るも「静」という一語に尽きる人だった。官兵衛は陣門までその姿を見送り、その縁まで帰って来ると、手に持っていた物に気づいて
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
薄暮はくぼの並木の陰に、市女笠いちめがさをかぶった妻の白い顔が見えたからである。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(二人の乗っていた電車は、この時、薄暮はくぼの新橋停車場へ着いた。)
片恋 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
薄暮はくぼのあいろに向って、二人はなお、そこの縁に腰かけていた。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)