ぬい)” の例文
何か出て来るかもしれないと勘次が上部うえへ指を入れると、触った物があるから引き出した。紫縮緬むらさきちりめん女持の香袋においぶくろ、吾妻屋のぬいがしてある。
家付きのおぬいは、灯のそばに、凍った寒椿かんつばきみたいに、じっと、俯向いていた。彦太は、こんな美しい襟あしを見たことはなかった。
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
允成の妻ぬいは、文政七年七月朔に剃髪して寿松じゅしょうといい、十二年六月十四日に五十五歳で亡くなった。夫にさきだつこと八年である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
それから三年目に奥様は更におぬいという嬢様を生んだが、その頃にはお時も丁度かの十吉を腹に宿していたので、乳母はほかの女をえらばれた。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
牛乳の煮立にえたつのに心づき男は小鍋をおろしてコップにうつすと、女は丁度化粧を終り紫地むらさきじ飛模様とびもよう一枚小袖いちまいこそでに着換えてぬいのある名古屋帯なごやおびをしめ
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
十一月の事で寒いから二つの布団の上に小蒲団を敷き、藤掛鼠ふじかけねずみ室着へやぎの上へぬいもようの掻巻袍かいまきどてらを羽織り、寒くなると夜着よぎをかける手当が有りまする。
……心着こころづくと、おめしものも気恥きはずかしい、浴衣ゆかただが、うしろのぬいめが、しかも、したたかほころびていたのである。
二、三羽――十二、三羽 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
一 女は常に心遣こころづかひして其身を堅くつつしみまもるべし。朝早く起き夜は遅くね、昼はいねずして家の内のことに心を用ひ、おりぬいうみつむぎおこたるべからず。又茶酒など多くのむべからず。
女大学評論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ぬいとてもまだ年わかなる身の桂次が親切はうれしからぬにあらず、親にすら捨てられたらんやうな我がごときものを、心にかけて可愛かわいがりて下さるはかたじけなき事と思へども
ゆく雲 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
まず彼女は、白繻子しろじゅすの訪問服の上から木鼠きねずみの毛皮外套を着て、そして、スキイをいた。帽子には、驚くべきアネモネのぬいとりがあった。耳環みみわ真珠の母マザア・オヴ・パアルの心臓形だった。
踊る地平線:11 白い謝肉祭 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
保吉は匇々そうそう母のところへ彼の作品を見せに行った。何かぬいものをしていた母は老眼鏡の額越ひたいごしに挿絵の彩色へ目を移した。彼は当然母の口からめ言葉の出るのを予期していた。
少年 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
養い娘のおぬいという十九になる女と、手代ともなく引取られているおい世之次郎よのじろうとが、年寄りの世話を焼いておりますが、どちらも財産目当ての孝行らしくて、三右衛門の気には入りません。
兄が東京勤めになって、家族が一緒に住み始めた頃、母は、「いろいろ見せて戴いたよ」といわれました。床の間には定紋のぬいのある袋に入れた琴や、金砂子きんすなご蒔絵まきえ厨子ずしなども置いてありました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
いもとぬいといって三つ違である。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
困る佐賀さん、あきれたぬいちゃん
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
衣裳は染返しの小紋に比翼の襟が飛出しているし半襟のぬいもよごれている。鳥渡ちょっと見ても、丸抱えで時間かまわずかせぎ廻される可哀そうな連中です。
あぢさゐ (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかし棭斎は狩谷保古ほうこの代にこの家に養子に来たもので、実父は高橋高敏たかはしこうびん、母は佐藤氏である。安永四年のうまれで、抽斎の母ぬいと同年であったらしい。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「では、ご厄介に相なろう。泊めていただくか否かは、その時として。——のうぬい、ともあれ、お茶をひとつ」
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぬいとてもまだとしわかなる桂次けいじ親切しんせつはうれしからぬにあらず、おやにすらてられたらんやうなごときものを、こゝろにかけて可愛かわいがりてくださるはかたじけなきことおもへども
ゆく雲 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
それでも葛籠を明けて中から出る品物がえらい紋付や熨斗目のしめぬい裲襠うちかけでもあると、う云う貧乏長屋に有る物でないと云う処から、偶然ひょっとして足を附けられてはならんから
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
五十前後の内儀おぬいは、主人彦太郎の後ろからつつましく顔を出しました。
お君は俯向うつむいて、むらさき半襟はんえりの、ぬいうめを指でちょいと。
縁結び (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
家つきのおぬいは、きりょうこそくはないが、明るくて純な、そして教養もよく身についている処女おとめだった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「寿松院妙遠日量信女、文政十二己丑きちゅう六月十四日」とあるのは、抽斎の生母岩田氏いわたうじぬい、「妙稟童女、父名允成、母川崎氏、寛政六年甲寅こういん三月七日、三歳而夭、俗名逸」
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
と是から午飯ひるの支度を致して、午飯ひるはんべ終り、お定が台所で片附け物をして居ります処へ入って来ましたのは、茶屋町に居りますおぬいという仕立物をする人で、くは出来ないが
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
ゆかりの娘の、ぬいですわ。
山吹 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「や、ぬいか。……何、降って参ったと。今のうちなら濡れもしまい。どれどれ、早速お暇しよう」
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぬい。不覚じゃったな。あわてぬようでも、慌てておるわい。——すぐ其方参ってお迎えして来い」
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
娘は、おぬいといって、二十二だという。彦太は、単純に、美人だと感じた。しかし、七十幾両の金が、美人の娘の前で、あかくさい御家人の父親と、取引される時、彼は、顔をそむけた。
(新字新仮名) / 吉川英治(著)