“縫殿助”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
ぬいのすけ50.0%
ぬひのすけ50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
五助が墓地にはいってみると、かねて介錯を頼んでおいた松野縫殿助ぬいのすけが先に来て待っていた。五助は肩にかけた浅葱あさぎふくろをおろしてその中から飯行李めしこうりを出した。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
岡本况斎、名は保孝ほうこう、通称は初め勘右衛門かんえもん、後縫殿助ぬいのすけであった。拙誠堂せつせいどうの別号がある。幕府の儒員に列せられた。『荀子じゅんし』、『韓非子かんぴし』、『淮南子えなんじ』等の考証を作り、かたわら国典にも通じていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
小河縫殿助ぬひのすけ、小河織部、久野四兵衞、小河專太夫、畝町には井上監物けんもつ、吉田壹岐いき、伊丹藏人くらんど、高橋忠左衞門、小河長五郎、金出口には野村右京、加藤圖書づしよ、村田出羽、毛利又右衞門、久野外記げき
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
「そんなわけぢや御座いません、——七八年前田島屋は御上の御用を勤めて居りました、——御呉服所と申して、後藤縫殿助ぬひのすけ樣の御支配で、孫店まごだなでは御座いましたが、見識のあつた店でございます」