しと)” の例文
一同の話が罷業の臆測をゆるさぬ流れに不安の空気を流しているときとて、話につれてしとやかな彼女の顔もどことなく沈んでいった。
厨房日記 (新字新仮名) / 横光利一(著)
この美女たちがいずれも長い裳裾もすそを曳き、薄い練絹ねりぎぬ被衣かつぎを微風になぶらせながら、れ違うとお互いにしとやかな会釈を交わしつつ
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
ある小鳥のようなわざとらしい落ち着きのない態度と、愛嬌あいきょうよそおってはいるがしとやかさと親愛さとに富んだ話し方をそなえていた。
秋作氏のそばには、ついこの夏、結婚したばかりの従姉いとこ槇子まきこしとやかに寄り添い、そのとなりに、長六閣下の白い毬栗頭どんぐりあたまが見えている。
筒井はしとやかにこれ以上たずねてくれるなという、柔らかい印象をあたえた。父という人は自らの無躾ぶしつけびるように、やさしくいった。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
九のしとやかな婦人のお供をして、大きなカバンを提げながら、改札口のほうへ向って、神妙に婦人のあとから地下道の階段をおりて行った。
三の字旅行会 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
東洋人独特のしとやかさはあり、それに髪はってはいなかったが、シイカの面影にはどこかそのクララに似たところがあった。
(新字新仮名) / 池谷信三郎(著)
男も女も、皆上品で慎み深く、典雅でおっとりとした様子をしていた。特に女は美しく、しとやかな上にコケチッシュであった。
猫町:散文詩風な小説 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
ジエィン、あなたはしとやかで勤勉で無慾で、誠實で、うつり氣な所がなく、而も勇敢です。實にやさしくまた實に雄々をゝしいのです。
菫色の薔薇ばらの花、こじけた小娘こむすめしとやかさが見える黄色きいろ薔薇ばらの花、おまへの眼はひとよりも大きい、僞善ぎぜんの花よ、無言むごんの花よ。
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
しかし女は依然としてしとやかな態度を保っていた。笑われれば笑わるるほど落ち着く性質の女であるかのように見えた。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
しとやかだと云ふだけでは済まない、非常時に際して充分適当な態度をとれるやうつかりした女にならなくてはいけないと云ふやうな事も教へます。
内気な娘とお転婆娘 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
彼女はそう言って、彼らのコップにサイダーをいだりした。秋川の妹であったころに比べると、彼女はいかにも若妻らしいしとやかさを見せていた。
街頭の偽映鏡 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
あの娘は美しいけれど、あれでいざとなれば恋人を捨てるんだろう。あの奥様はしとやかに見えるが、あれで娼婦のような性質が隠れているのだろう。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
約言すると、彼女は戯れ笑うときは一個の快活な少女だった。けれども、黙していることの多い人間の生活では彼女はむしろ寂しいしとやかな娘だった。
五階の窓:04 合作の四 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
瑠璃子は、しとやかに椅子から、身を起したとき、彼女の眉宇の間には、凄じい決心の色が、アリアリと浮んでゐた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
晩餐ばんさんの招待だ。しとやかな女である。ことにさかんに主人が主人がと言うから、良人おっとがあるならとメリコフは安心した。が、ぜひ訪問すると約束したわけではない。
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
幡江のしとやかな頬に、血の気がのぼって、神経的な、きっぱりした確信を湛えた顔に変ってしまった。
オフェリヤ殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
雪之丞の、そうした容態かたちは、相も変らず、しとやかに、優しかったが、しかし、不思議に、五分の油断もすきもない気合がみなぎって、どんな太刀をも、寄せつけなかった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
被衣をするりと払って、かれは狭い竹縁にあがって、あるじの兼好法師とむかい合ってしとやかに坐った。小さい庵室の中には調度らしいものはなんにも見えなかった。
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
又、何といふ初初うぶうぶしさだ。室生君。君はいい心境に落ちついた。君の之等の詩はしとやかに読んでもいい、声あげて読んでもいい。庭園の朝、木蔭で一人で読んでもいい。
明治年代の、しとやかに育てられた、つつしみぶかい娘には、代表してくれている涙を包んでいる。
九条武子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
しかも山の手の(しかも往年の)令嬢か何かのようにしとやかで、知人とならぶと、私は知人同様浅草の外の人間なのに、なぜか自分がそこにそぐわぬ浅草の人間のような気がし
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
従って女子の気質はしとやかで優しく、英語のいわゆるソフトという感じを与える。
現代の婦人に告ぐ (新字新仮名) / 大隈重信(著)
「兄上、照子どのは、千蔭流ちかげりゅうの書もよく書くし、薙刀なぎなたも、だいぶ習ったそうです。それに、何よりは、しとやかな婦人だそうですから、きっと、お気にいるに違いない。お楽しみですな」
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
五百石の女隠居になった気で、この時もせいぜいしとやかに軽く頭をさげただけだ。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
夫人は愛嬌あいきょうのある顔を見せてしとやかにおじぎをしてへやを出て往った。
悪僧 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
何らならないと反省して、しとやかに自分を責めた。
踊る地平線:10 長靴の春 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
「いえ、もうちゃんと、ご両親も丹波屋の旦那も、何度かこの寮へそっと来られて、あなたの御様子は充分ご承知でいらっしゃいます。どことなくしっかりして、そしてしとやかな娘御だと、皆さんだいぶお気に入りです」
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
もろもろの愚弄のまなこしとやかとなり
助けて下さった若い娘さんしとやかな方
アイヌ神謡集 (新字新仮名) / 作者不詳(著)
しとやかにつつましき夫人は
晶子詩篇全集拾遺 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
……ママのねがいにかけて、あたしはしとやかなフランスの娘になろうと、それこそ、死んだ気になってさまざまつとめましたの。
キャラコさん:05 鴎 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「お氣の毒ですが、今心當りが無いものですから。」白い扉はしまつた、いとも上品にそしてしとやかに。けれども私は閉め出されて了つたのだ。
それは穏かに庭で育った高価な家畜のようなしとやかさをもっていた。また遠く入江を包んだ二本のみさきは花園を抱いた黒い腕のように曲っていた。
花園の思想 (新字新仮名) / 横光利一(著)
そして「せっかくあなたもお骨折り下さいましたのにまことに残念でございました」と私にしとやかな笑顔を向けた。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
瑠璃子は、しとやかに椅子いすから、身を起したとき、彼女の眉宇びうの間には、すさまじい決心の色が、アリアリと浮んでいた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そうした女に特有のしとやかさいじらしさ、愛らしさを完備した女性であることによっても知られるのである。
みんな奥様のお口添えがあったからでして、なんでも、旦那様はどちらかというと、口やかましいお方でしたが、奥様は、いかにも大家の娘らしく、寛大で、しとやかで
幽霊妻 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
そのしとやかに落ち着いた振袖姿は、ストーン氏とまるで正反対の対照を作っていた。ストーン氏は、そうした女の態度を見かえると、吐き出すような口調で問うた。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
又、何といふ初初うぶうぶしさだ。室生君。君はいい心境に落ちついた。君の之等の詩はしとやかに読んでもいい、声あげて読んでもいい。庭園の朝、木蔭で一人で読んでもいい。
愛の詩集:03 愛の詩集 (新字旧仮名) / 室生犀星(著)
この夜ほど二人がしんみりと語ったことはなかった。しとやかに団扇うちわを使いながら、どうかすると心持ちまげを傾けて寂しくほほ笑む。と螢が一匹隣りの庭から飛んで来た。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
何時もしとやかな落着いた妻でした。よく私の面倒を見て呉れて、家事の好きな、自分の口から言うのは可笑しいが、しかし、事実です。フォニックスの町では、誰でも知っています。
アリゾナの女虎 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
彼女の後ろに身長せいの高い紳士が、エチケットの本のように、しとやかに立っていた。
(新字新仮名) / 池谷信三郎(著)
はてな! と顔をあげてよく見ると、奉公にあがったはずのおさよ婆さんが、これはまたなんとしたことか、殿様の御母堂然と上品ぶって、ふっくらとしたしとねの上からしとやかに見おろしている。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「いえ、御挨拶では痛み入ります」と、娘もしとやかに会釈えしゃくした。
半七捕物帳:49 大阪屋花鳥 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
眼鼻立めはなだちも同じやうにとゝのつてゐた。けれども彼女の表情には、何處となく打ち解けない所があり、態度にもしとやかなうちにいくらか隔てがあつた。
日ごろはしとやかで、大きな声でものをいうためしもない冬亭にしては、ありそうにもないいきりかたで、冬木は呆気にとられて、笑ってしまった。
西林図 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
先ずこの娘の好きな食物と飲物を取りよせてみたものの、日本の娘とよく似たしとやかな羞恥しゅうちを浮べ、ヨハンが何か訊ねても短い答えを云うだけだった。
罌粟の中 (新字新仮名) / 横光利一(著)
はらの中はいかにもあれ、すこぶるしとやかに礼儀正しく、高い教養もあり洗練された社交的の典雅さをも示して
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)