奥方おくがた)” の例文
旧字:奧方
と、こんなことをいいっては、あざわらいました。そして中将ちゅうじょう奥方おくがたかっても、はちかつぎの悪口わるくちばかりいっていました。
鉢かつぎ (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
旅行中の、ある若い公爵こうしゃくが、奥方おくがたといっしょに、ちょうどこの町を通りかかって、きょうの芝居を見物にきていました。
わたくし小櫻こざくらもうすものでございますが、こちらの奥方おくがたにお目通めどおりをいたしく、わざわざおたずねいたしました……。』
そして、国司や、奥方おくがたの身のまわりの用を足してやりました。これがために国司のたちなどでは、「宇賀の老爺」「浜の宇賀」などと云って、非常に重宝がりました。
宇賀長者物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
内藤さんは光栄身にあまった。三代相恩の主君、その奥方おくがたが助けてくださいとおおせある。
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
斯う噂をして居たが、和上に帰依きえして居る信者しんじやなかに、きやう室町錦小路むろまちにしきのこうぢ老舗しにせの呉服屋夫婦がたいした法義者はふぎしやで、十七に成る容色きりやうの好い姉娘あねむすめ是非ぜひ道珍和上どうちんわじやう奥方おくがた差上さしあいと言出いひだした。
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
此の所へ文金ぶんきん高髷たかまげに紫の矢筈絣やはずがすりの振袖で出てまいりましたのは、浅草蔵前の坂倉屋助七の娘お島で、当おやしきへ奉公にあがり、名を島路と改め、お腰元になりましたが、奥方おくがた附でございますから
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
『あのな、奥方おくがた
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
奥方おくがたはそれをいておよろこびになりました。そしていつ幾日いくかにお嫁合よめあわせをするからと、おいいわたしになりました。
鉢かつぎ (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
乙姫様おとひめさまとおもうすのもなにやらおかしく、さりとて神様かみさま御名みな申上もうしあぐるのも、なにやらあらたまりぎるようにかんじられ、ツイうっかり奥方おくがた申上もうしあげてしまいました。
中納言ちゅうなごん奥方おくがたもびっくりして、ぬほどかなしがって、上手じょうずうらなしゃにたのんでみてもらいますと、やはり大江山おおえやまおにられたということがわかりました。
大江山 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
領主りょうしゅ奥方おくがた御通過ごつうかというので百姓ひゃくしょうなどは土下座どげざでもしたか、とっしゃるか……ホホまさかそんなことはございませぬ。すれちがときにちょっと道端みちばたけてくびをさげるだけでございます。
おかげで、中将ちゅうじょう奥方おくがたも、だんだんはちかつぎをきらうようになりました。そしてなにかにかこつけて、はちかつぎにひまをやろうと相談そうだんをしておいでになりました。
鉢かつぎ (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
まえむすめたいそううつくしい織物おりものるという評判ひょうばんだ。おしろ殿とのさまと奥方おくがたが、おまえむすめはたるところがたいというおおせだから、このかごにっててもらいたい。
瓜子姫子 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
義朝よしとも奥方おくがた常盤御前ときわごぜんは、三にん子供こどもれて、大和やまとくに片田舎かたいなかにかくれていました。
牛若と弁慶 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
奥方おくがたがこのごろおもやまいにかかって、いろいろの医者いしゃせてもすこしもくすりえないものですから、ちょうど自分じぶんのにいさんが芦屋あしや道満どうまんといって、その時分じぶん名高なだか学者がくしゃ
葛の葉狐 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
天子様てんしさまのおそばにつかえて、天文てんもんうらないでは日本にっぽん一の名人めいじんという評判ひょうばんだったのをさいわい、あるとき悪右衛門あくうえもん道満どうまんたのんで、てもらいますと、奥方おくがた病気びょうきはただのくすりではなおらない
葛の葉狐 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)