低地ていち)” の例文
おつぎは足速あしばや臺地だいちはたけから蜀黍もろこしのざわつく小徑こみち低地ていちはたけへおりてやうやくのことで鬼怒川きぬがは土手どてた。おつぎはばひつてしばつかまりながらのぼつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
清三の麦稈むぎわら帽子は毎年出水につかる木影のない低地ていちの間の葉のなかば赤くなった桑畑に見え隠れして動いて行った。行く先には田があったり畠があったりした。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
けれど、まちは、かれらがおもったように、たいらかではなかった。くぼもあれば、おかかげとなっているようなところもあった。そして、おばあさんのうちは、やはり、低地ていちだったのです。
おばあさんとツェッペリン (新字新仮名) / 小川未明(著)
電車でんしや神奈川かながははじめてつうじたときに、其沿道そのえんだう低地ていちに、貝塚かひづか發見はつけんしたといふひとせつき、實地じつちついてチヨイ/\發掘はつくつしてて、破片はへんにほひもせなんだれいかんがへ、また橘樹郡たちばなごほりたる貝塚かひづか
村の古文書こぶんしよに小貝川の土手の出來たのは寶文七年だとあるから、低地ていちの水の乾きはじめたのも其頃からであらう。明治めいぢのはじめには七八町しか隔たらぬ坂井の村が、野篠のじので見えなかつた。
筑波ねのほとり (旧字旧仮名) / 横瀬夜雨(著)
半町はんちやうばかりまへを、燃通もえとほさまは、眞赤まつか大川おほかはながるゝやうで、しかぎたかぜきたかはつて、一旦いつたん九段上くだんうへけたのが、燃返もえかへつて、しか低地ていちから、高臺たかだいへ、家々いへ/\大巖おほいはげきして
露宿 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
工事こうじ場所ばしよかすみうらちか低地ていちで、洪水こうずゐが一たんきしくさぼつすと湖水こすゐ擴大くわくだいしてかはひとつにたゞ白々しら/″\氾濫はんらんするのを、人工じんこうきづかれた堤防ていばうわづか湖水こすゐかはとを區別くべつするあたりである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
最後さいごに、偶然ぐうぜんにも、それは鶴見驛つるみえきから線路せんろして、少許すこしつた畑中はたなかの、紺屋こうや横手よこて畑中はたなかから掘出ほりだしつゝあるのを見出みいだした。普通ふつう貝塚かひづかなどのるべき個所かしよではない、きはめて低地ていちだ。
そこは低地ていちで、野菜やさいつくることができないので、そうなっているのかもしれません。往来おうらいからだいぶはなれていましたが、みちほうたかいので、よくそのあたりの景色けしき見下みおろされるのでした。
すずめ (新字新仮名) / 小川未明(著)