“のう”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ノウ
語句割合
46.4%
23.6%
6.4%
5.7%
5.0%
5.0%
1.4%
能生1.4%
0.7%
0.7%
0.7%
0.7%
能楽0.7%
0.7%
0.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
あんなつまらねえ宿屋ったらねえや、ぜいたくなばか騒ぎばかりしてさ、俺の方じゃあもなくすっかり食いつぶしてしまったからな。
「ほほう、なかなかあでやかじゃ。——女! 早う伝えい。江戸の男が、気ッ腑を資本に遊びに参ったと、早う八ツ橋に伝えい」
〔評〕南洲、顯職に居り勳功ふと雖、身極めて質素なり。朝廷ふ所の賞典二千石は、く私學校のつ。貧困なる者あれば、けて之をふ。
翌日めると、依然としての中心から、半径つたが、二重に仕切つてゐる様な心持がした。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
例えば夏に腸出血をしたということを初めておききしたのは十月十五日頃でした。その前から永らく便にが混っていたことを伺ったのは先日がはじめてであったと思います。
、なんでしょう。——ああ新潟県で思い出した。この間あなたが御出のときに出て行った男があるでしょう」
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
蒙り駿四ヶ國巡見として罷越し駿州吉原宿の節長門守殿御領分水呑村名主九助妻并に駿州島田宿藤八と申者愁訴の趣き吟味に及び候所再應糺明の筋有之に付右の段江戸表御老中方へ縫殿頭より御屆けに及び右節藤八とも差立相成候間本人九助并に九郎兵衞夫婦下伊呂村々役人其外掛合の者一同勘定奉行兼郡奉行松本理左衞門始め掛り役人殘らず江戸表へ早々差出し三番町松平縫殿頭屋敷迄相送らるべく旨申入候縫殿頭申付候之に依て此段御に及び候以上
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
けれども、汽車は、越前の三国、敦賀。能登の富来、輪島。越中の氷見、魚津。佐渡。また越後の糸魚川能生、直江津——そのどこへ売られたのか、捜しようがなかったのです。
河伯令嬢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ああこれを思い、彼を想うて、潸然たるのみ。ああいずれの日かが素志を達するを得ん、ただ儂これを怨むのみ、これを悲しむのみ、ああ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
就中儂の、最も感情を惹起せしは、新聞、集会、言論の条例を設け、天賦の三大自由権を剥奪し、らの生来かつて聞かざる諸税を課せし事なり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
子供四 さまでしょう。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
「それではまずにを呑むぅとやるか。」その年よりが云いました。
ポラーノの広場 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
この湖水の名をチベット語でマパム・ユムツォ(〔無能勝母湖〕)といって居る。また梵語には阿耨達池といい漢訳には無熱としてある名高い湖水であります。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
「いや、能楽の方です。——大師匠方に内弟子の私たち。」
白金之絵図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
くして翌朝起出でたには、爽快なるへるく、けるく、腦漿透明であるかのじるので、めて愉快其日業務れるのである。
「往昔十四五、出デテ遊ブ翰墨場、斯文崔魏ノ徒、我ヲ以テ班揚ニ比ス、七齡思ヒ即チ壮、九齡大字ヲ書シ、作有ツテ一ニ満ツ」
岷山の隠士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)