鯉口こいぐち)” の例文
地声を現した新九郎は、大音声と共に竹の子笠をてて、来国俊らいくにとし鯉口こいぐちを前落しに引っ掴み、ジリジリと玄蕃の前に詰め寄った。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鯉口こいぐちさえ切るひまもなくあっさりやられているところを見ると、この下手人はじつに容易ならぬ腕ききにちがいなかったからです。
宇佐川鉄馬は小さい身体をおどらせると、苦もなく生垣いけがきを越えて、四角な顔を醜くゆがめたまま、逃げ腰ながら一刀の鯉口こいぐちを切ります。
手慣てなれたる強刀ごうとう、何はともあれ、綱を去って鯉口こいぐち押し拡げておかねば——あたふた家の中へ引っ返しかけたが、万一の場合を思ったか
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「滅相な。」と帳場を背負しょって、立塞たちふさがるていに腰を掛けた。いや、この時まで、紺の鯉口こいぐちに手首をすくめて、案山子かかしのごとく立ったりける。
歌行灯 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
この槌の音の主こそ、敵了海に相違あるまいと思った。ひそかに一刀の鯉口こいぐちを湿しながら、息を潜めて寄り添うた。
恩讐の彼方に (新字新仮名) / 菊池寛(著)
それを言って、刀を引き寄せ、鯉口こいぐちを切って見せた。二人の番士はハッと答えて、平伏したまま仰ぎ見もしない。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
案の如く高橋をイナすことができて、めざす清川八郎ただ一人。新徴組の壮士は刀の鯉口こいぐちを切って駕籠をめがけて一時に飛びかかろうとするのを、土方は
よごれた鯉口こいぐちを着た四十五六の女が奥から出て来たので、半七はずっとはいって直ぐに話しかけた。
半七捕物帳:56 河豚太鼓 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
モヂリ・鯉口こいぐちうわり、或いはこの頃はやる割烹着かっぽうぎの類まで、この作業の頻々ひんぴんたる変更に、適用せしめようとした発明は数多いが、もともと働かないための着物を
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「それは覚えがある筈だ」と云って彼は刀の鯉口こいぐちを切った、「支度をしなければこのままゆくぞ」
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)
母親がそういって大きな声で呼んだので、越前屋えちぜんやという仕出し屋の若い主人は印の入った襟のかかった厚子あつし鯉口こいぐちを着て三尺を下の方で前結びにしたままのっそりと入って来た。
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
やっとのことでいこんできた佐平治のまえへ、傷ついたオオカミのように兇暴きょうぼうな左近将監の目が、いざといわば真っぷたつ! とばかりに、刀の鯉口こいぐち切ってにじりよってまいります。
亡霊怪猫屋敷 (新字新仮名) / 橘外男(著)
今日は不漁しけで代物が少なかったためか、店はもう小魚一匹残らず奇麗に片づいて、浅葱あさぎ鯉口こいぐちを着た若衆はセッセと盤台を洗っていると、小僧は爼板まないたの上の刺身のくずをペロペロつまみながら
深川女房 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
刀をひきよせ鯉口こいぐちをきッて酒を浴びつづけている。遊女屋も疫病神とあきらめはしても、彼らが浴びるほどの酒を連日はだしきれない。そこで酒の徴発に差しむけられるのが正二郎であった。
孝助は仮令たとえ如何いかなるわざわいがあっても、それを恐れて一歩でも退しりぞくようでは大事を仕遂げる事は出来ぬと思い、刀にそりを打ち、目釘めくぎ湿しめし、鯉口こいぐちを切り、用心堅固に身を固め、四方に心を配りて参り
しかし、必ずともに、その女髪を見んとて、鯉口こいぐち三寸、押し拡げるでないぞ。抜かぬ剣、斬らぬ腕、そこが法外流の要諦ようていじゃ。
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
土蔵脇どぞうわきの小部屋にも、後の縁端えんばたの左右の部屋にも、ここには、常に七、八名の侍が刀の鯉口こいぐちに心をとめて坐っているのだった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ハッとして提灯を差向けると、出口をふさいだのは、主人の皆川半之丞。いつの間に帰ったか、一刀の鯉口こいぐちを切って、近寄らば目に物見せん構えです。
と紺の鯉口こいぐちに、おなじ幅広の前掛けした、せた、色のやや青黒い、陰気だが律儀りちぎらしい、まだ三十六七ぐらいな、五分刈りの男が丁寧に襖際ふすまぎわかしこまった。
眉かくしの霊 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
羽織、袴、申し合せたような黒いろずくめの長刀を握りしめて、鯉口こいぐちこそ切ってはいなかったが、その目には、その顔のうちには、歴然たる殺気がほの見えました。
これ家来の無調法を主人がわぶるならば、大地だいじへ両手を突き、重々じゅう/″\恐れ入ったとこうべつちに叩き着けてわびをするこそしかるべきに、なんだ片手に刀の鯉口こいぐちを切っていながら詫をするなどとは侍の法にあるまい
小林は脇差の鯉口こいぐちを切りながら、外の闇へ飛んで出ました。
殿中では、何の意味もないにしろ、鯉口こいぐちを三寸くつろげれば、直ちに当人は切腹、家は改易かいえきということに、いわゆる御百個条によって決まっているのである。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
一角だけは、覆面をせずに、野ばかまの高股たかももだち。そのそばにいて、鯉口こいぐちをつかんでいるのは森啓之助であろう。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
桜庭兵介が鯉口こいぐちをブッと切ると、八五郎横ッ飛びに五六歩、早くも門の外へ飛出しておりました。
というように会心そうなみを見せていましたが、静かに黙山と熊仲の両名をうしろへかばうと、ぷつりと音もなく細身の鯉口こいぐちを切りながら、威嚇するようにいいました。
その鯉口こいぐち両肱りょうひじ突張つっぱり、手尖てさきを八ツ口へ突込つっこんで、うなじを襟へ、もぞもぞと擦附けながら
露肆 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と云いながら刀を側へ引寄せ、親指にて鯉口こいぐちをプツリと切り
相手が、鯉口こいぐちを切るばかりに用意しているのを見て、おりんはいたずらに騒ぐことの非を悟りましたから、じっと、眼を閉じて相手のなすままにこらえている。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
半分は脅すつもりもあったらしく、黒鞘の大刀だいとうを横にヒネってプツリ鯉口こいぐちったところを
左手に大業物おおわざもの蝋色ろういろさやを、ひきめ下げ緒といっしょにむんずとつかんで、おどろいたことには、もうその、小蛇のかま首のようなおや指が、今にも鯉口こいぐちを切ろうとしているのだ。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
道庵の駕籠をければもっと簡単に曲者の策が解るはずですが、駕籠に付添って来た一人の武士は、下手に駕籠を跟ける者があれば、一刀の下に道庵を刺すつもりらしく、鯉口こいぐちを切って
それでいて、腰の矢立はここのも同じだが、紺の鯉口こいぐちに、仲仕とかのするような広い前掛をいて、お花見手拭てぬぐいのように新しいのをえりに掛けた処なぞは、お国がら、まことに大どかなものだったよ。
古狢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
文治は油断をしませんでプツリッと長脇差の鯉口こいぐちを切って
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
やいば鯉口こいぐちを切っても、家名断絶のおきてにはござりますが、まだ、内匠頭の儀は、いかが相成りますやら』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
龍造寺主計りゅうぞうじかずえは、はや鯉口こいぐちを押しひろげて、いまにも右手が、つかへ走りそうに見えるのだ。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
蒸芋ふかしいもの湯気の中に、紺の鯉口こいぐちした女房が、ぬっくりと立って呼ぶ。
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
プツリと鯉口こいぐちを切っております。
弦之丞の挨拶あいさつ、意外にいんぎんであったので、かえって薄気味悪く思ったお十夜と一角とは、ひそかに鯉口こいぐちを整えて、顔の筋を怖ろしげにこわばらせてしまった。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぷつり、帰雁の鯉口こいぐちをひろげて、ぴしゃぴしゃ——守人は飛泥はねを上げて追いすがる。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
来たら——と脇差の鯉口こいぐちを切って、逃げる先の先まで、微細な工夫をしていたが、こう見まわしたところでは、ひとりとして自分へ向って光って来る眼はなかった。
治郎吉格子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はっと息づまるなかに、痙攣けいれんのようなみを浮かべた左膳、しずかにお藤をどかせて、きらめく一眼を源十郎の面上に射ながら、隻手はもう血に餓える乾雲丸の鯉口こいぐちにかかっていた。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
三五兵衛のやつが、まだ充分に寝つかないのだろう。その方は今お稲さんが見に行っているから、皆は、鯉口こいぐちを切ってじっと鳴りをしずめていることだ。卑怯なまねを
八寒道中 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たとえ誤ちでも、鯉口こいぐち三寸ひろげれば、大変なことになるのだった。
元禄十三年 (新字新仮名) / 林不忘(著)
その鯉口こいぐちの切って走る前に、今の化粧下をそそいだ布が、金吾の顔にふわりと投げられたかと思うと、彼の五体は、力なくよろよろとお粂のささえる腕へもたれて来ました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのあたりに、婦人たちのかいがいしい姿がたくさん見えた。ある者は白木綿で髪止めをしている。ある者は紅のたすきをかけ、ある者は鯉口こいぐちを着て、兵と共に、働いているのである。
日本名婦伝:谷干城夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
革紐の帯をなであげて、左手ゆんでが、鯉口こいぐちにふれる。右手めてが、軽くつかをうつ。
剣の四君子:03 林崎甚助 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして左の片手を太刀の鯉口こいぐちに忍ばせておく身構えも忘れなかった。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
同時に、ヘンに肩を張って、刀の鯉口こいぐちなどをひねくるのであった。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)