“死者(ししや)” の例文
否(いな)、一代(だい)のうちでも、家(いへ)に死者(ししや)が出來(でき)れば、その家(いへ)は汚(けが)れたものと考(かんが)へ、屍(しかばね)を放棄(はうき)して、別(べつ)に新(あたら)しい家(いへ)を作(つく)つたのである。
日本建築の発達と地震 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
日本(につぽん)に於(お)ける大地震(だいぢしん)の統計(とうけい)によれば、餘(あま)り大(おほ)きくない町村(ちようそん)に於(おい)て、潰家(かいか)十一軒毎(じゆういつけんごと)に一名(いちめい)の死者(ししや)を生(しよう)ずる割合(わりあひ)である。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
(第五十六圖(だいごじゆうろくず))このような石棺(せきかん)はなか/\大(おほ)きく、立派(りつぱ)なものでありまして、その中(なか)には、死者(ししや)のふだん所持(しよじ)してゐた大切(たいせつ)な品物(しなもの)をも、一(いつ)しょに收(をさ)めたのでありますが
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
かの明治二十九年(めいじにじゆうくねん)の三陸地方(さんりくちほう)の海嘯(つなみ)の被害區域(ひがいくいき)は長(なが)さ百五十(ひやくごじゆう)まいるにわたり、死者(ししや)二萬二千人(にまんにせんにん)、重傷者(じゆうしようしや)四千四百人(しせんしひやくにん)、家(いへ)や、船(ふね)の流(なが)されたもの、農地(のうち)の損失(そんしつ)などで損害(そんがい)總額(そうがく)は數千萬圓(すうせんまんえん)に上(のぼ)りました。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
非人(ひにん)が來(き)て、死者(ししや)の手(て)や、足(あし)を捉(とら)へて穴(あな)の中(なか)に引込(ひきこ)んで了(しま)ふのだ、うツふ! だが何(なん)でもない……其換(そのかは)り俺(おれ)は彼(あ)の世(よ)から化(ば)けて來(き)て、此處(こゝ)らの奴等(やつら)を片端(かたツぱし)から嚇(おど)して呉(く)れる、皆(みんな)白髮(しらが)にして了(しま)つて遣(や)る。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
この崩壞(ほうかい)の結果(けつか)、有明灣(ありあけわん)に大津浪(おほつなみ)を起(おこ)し、沿岸地方(えんがんちほう)に於(おい)て合計(ごうけい)一萬五千人(いちまんごせんにん)ほどの死者(ししや)を生(しよう)じた大事件(だんじけん)もあつたので、原因(げんいん)を輕々(かる/″\)しく斷定(だんてい)することは愼(つゝし)まねばならぬ。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
例(たと)へば河内(かはち)にある聖徳太子(しようとくたいし)の御墓(おはか)には、太子(たいし)の母后(ぼこう)と、太子(たいし)の妃(きさき)と三人(さんにん)の御棺(おかん)を容(い)れてあるとのことです。また中(なか)には死者(ししや)を石棺(せきかん)でなく木棺(もくかん)にいれて葬(はうむ)つた石室(せきしつ)も多(おほ)くあります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
しかし死者(ししや)と共(とも)に葬(はうむ)つた品物(しなもの)はたいてい遺(のこ)つてをります。それらの品物(しなもの)については後(のち)に述(の)べることにいたします。この石棺(せきかん)の他(ほか)に、陶棺(とうかん)といつて赤(あか)い埴輪(はにわ)のような燒(や)き物(もの)の棺(かん)があります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
北方(ほつぽう)上野(かうづけ)の國(くに)吾妻川(あづまがは)に沿(そ)うて百數十村(ひやくすうじつそん)を埋(うづ)め、千二百人(せんにひやくにん)の死者(ししや)を生(しよう)ぜしめた。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
又(また)二年後(にねんご)の丹後地震(たんごぢしん)によつて三千(さんぜん)の死者(ししや)と一億圓(いちおくえん)の財産(ざいさん)損失(そんしつ)とを生(しやう)じた。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
大地開閉(だいちかいへい)の記事(きじ)を載(の)せた第三(だいさん)の地震(ぢしん)は西暦(せいれき)千七百八十三年(せんしちひやくはちじゆうさんねん)イタリー國(こく)カラブリヤに起(おこ)つたものであつて、地震(ぢしん)に因(よ)る死者(ししや)四萬(しまん)、それに續(つゞ)いて起(おこ)つた疫病(えきびよう)に因(よ)る死者(ししや)二萬(にまん)と數(かぞ)へられたものである。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)