家人けにん)” の例文
京都公家くげの官僚なる大江広元の輩までが、鎌倉に下ってその東夷あずまえびす家人けにんとなった。ここに至っては彼らはもはや決して賤民ではない。
検非違使けびいしの武者が、つじをかため、万一に備えている様子から見て、罪人は、家人けにんも持っている、しかるべき身分の者と、おもわれた。
天文十八年、法師丸が十三歳の秋、牡鹿山の城が管領畠山はたけやま氏の家人けにん薬師寺弾正政高やくしじだんじょうまさたかの兵に囲まれ、籠城ろうじょうは九月から十月にわたった。
かく云う我らは伊勢の豪族北畠家の家人けにんとして弓手ゆみての一人に数えられたるくろがね主馬之介と申す者、故あって主家を浪人し今では花村家の食客かかりゅうど
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
地方官が自己の家人けにんをもって自ら耕作する場合にのみ収穫の全部を得るのであって、公力すなわち百姓の賦役によって耕作させるのではない。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
もし、あったとしたら、それは先年私の雑誌「博浪抄」へ寄せた「家人けにんその他」の中の左の一章を読んでいただきたい。
自分も大将の家人けにんの数にはしていただいている者で、お邸へはまいることがあっても近くお使いになることもなかった。とても気高けだかい殿様なのだ。
源氏物語:54 蜻蛉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
京都の貴族に取り入って甘んじて家人けにんの地位に下っても、実際の富を作り武力を養うに十分であったのであります。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その家の家人けにんに、一人の勇壮ゆうそうな若者がいて、身支度をして飛出したが暗くてどちらが味方か敵かわからない。
女強盗 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「なんの、珍しゅうもない。そんなことを一いち詮議立てしたら、今夜はそこらに幾人の科人とがにんができようも知れぬ」と、平安朝時代の家人けにんはらのなかで呟いた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
諸藩の家人けにんれない時世に口をぬらしかね、残してきたものも売りはらいきってしまった時分のこと、そうした人たちの娘が、多く集められ、京都からも多く連れてきた。
大橋須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
ともに立って来た家人けにんの一人が、大きな木の叉枝またぶりをへし折って来た。そうして、旅用意の巻帛まきぎぬを、幾垂れか、其場で之に結び下げた。其をゆかにつきさして、即座の竪帷たつばり几帳きちょう—は調った。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
「はやるまいぞ。わしはこの殿の家人けにんじゃ。」
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
彼もそのまま書院のほうへ歩み出し、沓石くつぬぎ草履ぞうりを捨てかけた。——ところへまた、先刻さっき家人けにんが、首を振りながら駈けて来て
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平安朝における中間男ちゅうげんおとことか、中間法師ちゅうげんほうしとかの語のあるのがこれを証する。勿論賤民中の上位にいる家人けにんもまた中間ちゅうげんとしてみられる様になった。
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
刀のつかに手を掛けて四方に眼を配りながらノシノシ歩く家人けにんの群れ。店を開けている家はまれである。陽はカンカンと照ってはいるが街々の姿は暗く見える。
開運の鼓 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そう云えば薬師寺弾正と云う男は、管領畠山氏の家人けにんではあるが、その父の代から主人畠山氏をしのぐ勢いがあり、時には陪臣ばいしんの身を以て室町むろまち将軍の意志をさえ左右する権力者であった。
出迎える家人けにん達の間を通って行くにも、うなずくだけで、自然口が重くなる。——黙って、奥の——息子達の部屋よりもう一棟奥の、居間に坐る。
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昔は高年者に「侍」を賜うという事もある、家人けにん奴婢ぬひ等がその主人に侍し、その用務を弁じ、その護衛に任ずるもの、これすなわちさむらいである。
家人けにんの貝塚三十郎が、また芝山内で悪事をした。
一枚絵の女 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
されば、その主人が好意上から、或いはその他の理由から、奴婢ぬひのぼせて家人けにんとなし、或いは家人けにん奴婢ぬひを解放して良民りょうみんとなすことが出来ます。
その間に、父義朝や家人けにんむれからはぐれてしまったものであろう。わずか十間か二十間もへだてると、もうお互いの姿も見えない白毫はくごう霏々紛々ひひふんぷんなのだ。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「この方は、子飼いからの、殿の家人けにんでござる。このにあたって、殿のおそばへ参るよりほか、行く所はござらぬ」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そういう卑しい家人けにんという名称の者でも、実力さえあればその主人が段々と勢力を得るに従って、身分が高くなる。
従う人々には、佐藤忠信ただのぶ、堀弥太郎やたろう伊勢いせ三郎など二百余騎の家人けにん、みな義経にならって拝をした。そして、粛然しゅくぜんと、ちりも散らさず、都を後に去った。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしながら彼らはもともと主人持ちであるから、その主人が勢力があれば、自然と家人けにんにも勢力が付いて来る。
吉次の云った鶴ヶ岡の上棟式には、頼朝夫妻から家人けにんおもなる人々がのぞんで、ずいぶん盛大に執り行われるであろうと、近郷の噂もなかなかであった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この時頼義が、いかに辞をひくうし礼を厚うして清原氏を誘ったかは、後に清原氏の方で頼義を見ること、家人けにんのごとく心得ていたのによっても解せられる。
春雪の出羽路の三日 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
「景季。おん身は、義経が会わぬのは、仮病ならんと、家人けにんへ云われたそうなが、とくと、この灸のあとを見られよ」
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その代りに従来賤民であった筈のヤッコすなわち奴隷のうちにも、比較的優遇せられて一家をなすものは家人けにんとして、同じ賤民の中ながらも上位に置かれた。
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
貧乏平氏とあざけろうが、かれのみは、武家の家憲を守りとおし、主従の礼儀、ことばづかい、いやしくも、折り目切れ目を、くずしたことのない家人けにんだった。
そこで大江広元とか、中原親能とか、三善康信とかいうような、立派な京都の公家衆くげしゅうまでが、自ら身をこの家人けにんなる賤民の群に投じて、幕府の政治に参与する。
「おう、小右京どのとは、あなただったか。では去年、身の家人けにん右馬介から、委細をお聞きおよびだったのか」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ことにもと家人けにんさむらいなどと呼ばれた賤者も、時を得ては武士となって高く社会を睥睨する様になった世の中のこととて、古え「大みたから」と呼ばれた農民までが
エタに対する圧迫の沿革 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
さいつ頃、尾張の頼盛が家人けにんの弥兵衛宗清という侍が、美濃路で捕えてきた可憐いじらしい和子がありましたの」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
唐子からことは唐人からびとの義なり。家人けにんを家の子と稱し、奴隷をヤツコ(家の子の義)と稱するも同じ義なり。古代には、人を稍見下げて云ふ時に、子と云ひしものと見えたり。
と、斎藤下野の家人けにんに訊いても、口をつぐんで一切知らないというし、日頃、親しい友人にたずねても
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大宝令にはいわゆる五色の賤民として、陵戸、官戸、家人けにん、官奴婢ぬひ、私奴婢ぬひの五種を数えている。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
『叔父上でしたか。……ああ成程、これは叔父上のお手勢ですな。そういえば、見た顔の家人けにんもある』
乞胸ごうむねと呼ばれた大道芸人の仲間も今では立派な街上芸術家である。昔ならば家人けにん奴婢ぬひと呼ばれて、賤民階級に置かれた使用人の如きも、今ではサラリーマンと名までが変って来た。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
家に在る大叔父やい叔父に対して、気うとい風を示して近づかなかったし、大勢の家人けにんや奴婢たちにも、なんとなく、顔を見られるような卑屈を抱いているのだろう。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしてこれ実に中世以後家人けにんもしくは郎等の称をもって知らるる武士その物と性質を一にす。奈良朝における中衛府の兵士これを東舎人あずまのとねりと称す。東人あずまびとをもって組織せる兵士の義なり。
武士を夷ということの考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
上総かずさ夷隅郷いすみごう万喜頼春まきよりはるは里見一族の武将であるが、その家人けにんのうちに小野朴翁ぼくおうという老人がある。
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
国法の精神から云えば立派に家人けにん奴婢階級の賤民の徒であらねばならぬ。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
おれの親達が以前仕えていた新免しんめん伊賀守様は、浮田家の家人けにんだから、その御縁をたのんで、たとえ郷士ごうしせがれでも、槍一筋ひっさげて駈けつけて行けば、きっと親達同様に
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
下人げにん名子なごは他人に所属するもので、大宝令に所謂家人けにん奴婢に相当するものなるが故に、間人よりも一層社会的地位の低いものと認められ、したがってその夫役負担もまた間人の家族と同じく
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
家人けにん眷族けんぞく慴伏しょうふくの上に坐し、有徳うとくな長者の風を示している大掾国香も、常南の地に、今日の大をなすまでには、その半生涯に、信義だの慈悲だの情愛などというものは
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すでに、きのう、おとといにわたって、石川家では、数ある家人けにん召使の大部分にいとまを出していた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明智家の家人けにんになったことには、複雑な内容があり、旧主と光秀とのあいだに生じた葛藤かっとうを、信長のまえにまで持ち出して、裁決さばきを仰いだような、紛争もあったりした。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
家人けにんの者があわただしく中門から廻って来て、小六へ向って告げることには、ただ今、織田信長の使者と称する者が——使者にしては供も連れずただ一名で御門に駒を繋ぎ
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)