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城下
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じやうか
徊歴し
肥後國熊本の
城下に到りぬ
爰は名に
負五十四萬石なる
細川家の城下なれば他所とは
替り
繁昌の地なり寶澤は既に
路用を
ところで
藝者は、
娼妓は?……をやま、
尾山と
申すは、
金澤の
古稱にして、
在方鄰國の
人達は
今も
城下に
出づる
事を、
尾山にゆくと
申すことなり。
けれども
僕の
故郷は
二萬石の
大名の
城下で、
縣下では
殆んど
言ふに
足らぬ
小な
町、
殊に
海陸共に
交通の
便を
最も
缺て
居ますから、
純然たる
片田舍で
すると
軌道に
沿ふて三
人、
田舍者が
小田原の
城下へ
出るといふ
旅裝、
赤く
見えるのは
娘の、
白く
見えるのは
老母の、からげた
腰も
頑丈らしいのは
老父さんで
聞き
實事と思ひ然らば我等と
同職なれば
委く尋る程ならば
譬へ廣き御
城下でも知ぬ事は有まじ
今夜は
此方に
泊り明日
未明より餠屋
仲間を一々尋ね見るべし我も
仲間帳面を
和出來の
猪八戒と
沙悟淨のやうな、
變なのが
二人、
鯱の
城下へ
轉げ
落ちて、
門前へ
齋に
立つたつて、
右の
度胸だから
然までおびえまいよ。
紹介をしよう。……(
角はま)にも。
爰に又和歌山の
城下より五十町
道一里半ほど
在に平澤村といふ
小村あり此處へ
先年信州者にて夫婦に
娘一人を
連し千ヶ
寺參の平左衞門と申者來りぬ
名主甚兵衞は至て
世話好にて遂に此三人を