回向えこう)” の例文
このいたいけな少年の手を合され質朴な老爺や婦人たちの一本な涙の回向えこう手向たむけられて、これに感動せぬ墓があったであろうか。
逗子物語 (新字新仮名) / 橘外男(著)
ところがさらに意外な事には、祥光院の檀家たる恩地小左衛門のかかりびとが、月に二度の命日には必ず回向えこうに来ると云う答があった。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
今わの父が有難い上人の読経どきょうをしりぞけ、念佛をさえ唱えずに死んだことを何よりも歎いて、お姫様が回向えこうをしてお上げなされませ
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
和尚も巡礼の身上みのうえで聊かでも銭を出して、仏の回向えこうをして呉れと云うのは感心な志と思いましたから、ねんごろに仏様へ回向を致します。
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
暇があったら一度はその墓を拝んでやってくれ。生きている間は仇同士のようにしていても、死ねば仏じゃ。どうぞ回向えこうを頼むぞよ
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「そんなら、その着物はお雪ちゃんへの授かり物だから、遠慮なく身につけているのが、かえって回向えこうというものかも知れないぜ」
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「ああ。死んだ母へ、及ばぬ回向えこうだが、きょうは生きてる身にも、善根のよい一日を送ったなあ。……血臭い世間は嘘のようだ」
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
名人右門と一対のひなではないかと思われる美しい姿に美しい涙をためながら、なき父の霊前に、静かな回向えこうをささげつづけているのでした。
あのう、今しがたわしが夢にの、美しい女の人がござっての、回向えこうを頼むと言わしった故にの、……くわしい事は明日話そう。南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう
第二菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
あなたはどんなに冷淡になっておいでになってもさすがに回向えこうの人数の中にはお入れくださるであろうと、頼みにされるところもあります。
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
「供養はいちどに仕すませるものではない、十日二十日の看経より、ながく心にとめて忘れぬこそ、仏へのまことの回向えこうだ」
日本婦道記:松の花 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そこで「ふくべ」の飲みあまりの酒をかけて、回向えこうの句を詠んで帰る。その骨の主が女で、昼のお礼に足腰などをもみましょうといってくる。
江戸前の釣り (新字新仮名) / 三遊亭金馬(著)
このお坊様に、回向えこうしてもらって、この浄らかな山の中で、静かな——ほんとに、静かな——何んという騒々しい、いやな、世の中であろう。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
「これは、よいところへ来られた。非業の死を遂げた、哀れな亡者じゃ。通りかかられた縁に、一遍の回向えこうをして下され」
恩讐の彼方に (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「そうはコマメにいかないねえ。センチな気分にひたるヒマがなかったほど、労働が苛烈をきわめたんだなア。二三、回向えこうの方々があったらしいや」
街はふるさと (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
誠に結構けっこうだ、どうかわれわれが死後に回向えこう供養くようのためお経を読んで戴きたい、もう私どもは死んで後の事より外に何も望みがないと大層喜んだです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
それゆえ事の面倒にならぬうちわが身一つに罪を背負って死出の旅路をこころざ申候もうしそうろう。何とぞのち回向えこうをたのむとあった。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その時、和尚は半蔵が焼こうとした寺にも決してなんらの執着を持たないおのれの立場を明らかにして、それをもって故人への回向えこうに替えようとしていた。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
兎も角も此のまま置くとは何とやら其の人の冥福にも障る様な気がしたから余は手巾を取り出し、骸骨の顔をかくし、回向えこうの心で口の中に一篇の哀歌を唱えた。
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
彼は金を千ルーブル取り出すと、それを町の修道院へ持って行って、亡き妻の回向えこうを頼んだのであった。
女たちは涙を流して、こうなり果てて死ぬるからは、世の中に誰一人菩提ぼだいとむろうてくれるものもあるまい、どうぞ思い出したら、一遍の回向えこうをしてもらいたいと頼んだ。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
回向えこうするために香をいている尼姫をたとい純粋な愛の動機からとはいえしいて訪れてその秘密を打ち明けさせようとあえてするがごときは最も愚かな行ないであろう。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
縁側に立っていると、隣家から赤子の回向えこうかねの音が聞えて来た。初秋の涼しい夜だ。すると
御身 (新字新仮名) / 横光利一(著)
十日あまり滞留して、祖先の回向えこうが滞りなく終ると、上野介の一行は江戸へひきあげていった。
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
私はこれで死んで了へば、もう二度とこの世でお目に掛ることは無いのですから、せめて一遍の回向えこうをして下さると思つて、今はのきは唯一言ただひとこと赦して遣ると有仰おつしやつて下さい。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
たとえば右の第七の「たふときもの、九条錫杖さくじょう、念仏の回向えこう」という一行は本来「たのもしきもの」と並んでいたのを転写の際すでに積善寺供養さくぜんじくようの長い描写を写し初めた後に気づき
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
しょせんこの写経を魔道に回向えこうし、魔力によってこの恨みを晴らそうと、ひとすじに心をきめ、指を切ってその血で願文を書き、経とともに志戸しとの海に沈めてからのちは、人にも逢わず
というので立派な石塔を建てた上に永代回向えこう料まで納めてしまったが、それでも余った相当の金額を持ってソンナところは無暗むやみに義理固い篠崎、水野の両保証人が、又木の本籍地へ乗込んだ。
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「今となって、源様を助けようとも思わなければ、また、もう手遅れにきまっているけれど、せめては、水につかった死骸なりと引きあげて、回向えこう手向たむけ、菩提ぼだいをとむらうことにしたら……」
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
それは幽霊がいったのだろうともいわれず、右の鮨を残らず引受ひきうけ、近所へ配って回向えこうをしてやったそうだが、配る家が一軒も過不足なく、その数通りであったと云うは一寸ちょっと変っている怪談であろう。
枯尾花 (新字新仮名) / 関根黙庵(著)
然し、辛うじてそれを思い止り、博士夫妻の亡き跡を回向えこうしながら、苦しい一年間を送った。今や私はそれを発表しようとしている。この遺書が発表されたら、どんな影響を社会に与えるだろうか。
血液型殺人事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
しかもこの往還の二種の回向えこうを離れては、少なくとも他力教はないのです。いや、単に浄土教のみではありません。一切の仏教は、ことごとくこの往相おうそう還相げんそうとの二つの世界を離れてはないのです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
死ぬべき条件がそなわらぬ先に、死ぬる事実のみが、ありありと、確かめらるるときに、南無阿弥陀仏なむあみだぶつ回向えこうをする声が出るくらいなら、その声でおういおういと、半ばあの世へ足を踏み込んだものを
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それにも拘らず、彼等は静かで真面目で、低い調子で話し、厳粛に、上品に、彼等の学友に対して、最後の回向えこうをするのであった。墓はすくなくとも七、八フィートという、非常に深いものであった。
諦め玉え々々と三度回向えこうして、彼方あちら向いて匇々さっさと行って了う。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
宿ともお定めない、御見懸け申した御坊様じゃ。推しても行って回向えこうをしょう。ああもしょう、こうもしてやろう、と斎布施ときふせをお目当で……
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「殺された人の悪口などはいけない、たとえ嫌な人であろうとも、ああいうのは、悪口よりは、回向えこうをしてやるのが本来だね」
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
かれがこの城へはいって来るとき公言したとおりに、生けるしかばねの長政の霊へ、一片の回向えこうをしているかの如きすがたであった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平助は正直者であるので、座頭が形見の小判五枚には手を触れず、すべて永代えいたい回向えこう料としてその寺に納めてしまった。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
中門の所へすわって回向えこうの言葉を述べているその末段に言われることが、故人の遺族の身にしみじみとしむのであった。
源氏物語:49 総角 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「実は——百城月丸なる者が、貴僧の手によって、厚く回向えこうされて、葬られたと申すことで、ござるが、真実かの」
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
現に大漁の真ッ最中でも、屍体があがると、漁をほッたらかして、オカへ戻り鄭重に回向えこうして葬るそうだ。さらにより大いなる大漁を信じているからだという。
他に用は無いから、毎日洪願寺へまいり、夜は回向えこうをしては寝ます。よいうちに早四郎が来て種々いろ/\なことをいう。いやだが仕方がないからだまかしては帰してしまう。
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
陀羅尼だらにの一遍も回向えこうしないのは邪慳と云うものだ、その上佛の利益りやくにも背き、亡者の恨みもあるであろう、これは帰った方がよいと悟って、戻って来て見ましたら
三人法師 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
仏餉ぶっしょう献鉢けんばち、献燈、献花、位牌堂いはいどう回向えこう大般若だいはんにゃの修行、徒弟僧の養成、墓掃除そうじ、皆そのとおり、長い経験から、ずいぶんこまかいところまでこの人も気を配って来た。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
増×寺様でも快くお引受け下さいまして、ねんごろ回向えこうをしておくから、もう何にも心配せずに安心してお帰りと仰せて下さいましたので、はじめて私どももほっといたしました。
蒲団 (新字新仮名) / 橘外男(著)
が、せめてもの恩返しに、かげながら回向えこうをしてやりたい。——こう思ったものでございますから、わたしは今日きょうとももつれずに、早速一条戻り橋へ、その曝し首を見に参りました。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
殺しに追って来る 気遣いもなかろうという考えでゆっくりして居りました。すると彼らから買うた一疋の羊が死んでしまったです。誠に可哀そうに感じて相当の回向えこうもしてやりました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
それともあの世から迷って来たのではなかったかと、気味の悪い心持もするので、大分お腹が大きくなっていたにも係らず、子供をつれて中山の法華経寺へ回向えこうをしてもらいに行った。
にぎり飯 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
一片の回向えこうをお願い申し上げます。(久保謙氏宛 七月二十日。庄原より)
青春の息の痕 (新字新仮名) / 倉田百三(著)