顛倒てんとう)” の例文
臍下丹田に力をめれば、放屁の音量を大にするばかりであり、丹田の力をぬけば、心気顛倒てんとうして為すところを失うばかりであった。
閑山 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
中へ入ってみると、なんとなく顛倒てんとうして、大店おおだならしい日頃の節度もなく、奉公人たちはただうろうろと平次の一行を迎えるだけです。
宇宙を説明する秘鑰ひやくはこの自己にあるのである。物体に由りて精神を説明しようとするのはその本末を顛倒てんとうした者といわねばならぬ。
善の研究 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
サタンの使が裁判長の席に坐し、神の子が捕縛せられてその前に引き据えられるとは! こんな顛倒てんとうした光景がまたと世にあろうか。
なぜ名探偵をして、かの如く気を顛倒てんとうせしめたか。その答は一つ。老探偵——いや名探偵は恋をせり、あの女に惚れたからだと……
断層顔 (新字新仮名) / 海野十三(著)
そして、造花屋のことなどは忘れて、人通りの多いにぎやかな方へ賑やかな方へと往ったが、気が顛倒てんとうしているので方角が判らない。
水魔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
なぜ今日の作がかくも冷やかになったか、この上下の位置が顛倒てんとうしたのが一つの起因である。機械そのものには何の悪もないであろう。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
『どうすればええだろう?』と私は気が顛倒てんとうしていますから言うことがおずおずしています、そうしますと武はこわい眼をして
女難 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
ところが骨をまなければなおらぬとか、臓腑の位置を一度顛倒てんとうしなければ根治がしにくいとかいって、それはそれは残酷なみ方をやる。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ふたりは、啓之助に襟がみをつかまれながら顛倒てんとうした。そして、何か口走ったが、それは意味をなさないくらい平心へいしんを欠いたものだった。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
教えという字はなぐるとかたたくとかいうことを含んでいるようだが、育という字は子という字を顛倒てんとうし、下に肉月にくづきがついている。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
左右顛倒てんとうの事実は別として顔の大きさというものに対しても正当な観念を得る事はおそらく非常に困難だろうと思われだした。
自画像 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
木俣は再度の失敗にもう気が顛倒てんとうしてきた。かれはいまここで生蕃を殺さなければふたたび世人に顔向けがならないと思った。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
ふと気がついてみると、いまの墜落で、ひどく顛倒てんとうしたときに体を縛ってある縄が切れたと見えて、手足が自由になっている。
骸骨島の大冒険 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
どないしてええのんか顛倒てんとうしてしもてると、「こないなったら、柿内さんとこい電話かけて揃いの着物取り寄せるよりしょうがないでしょ」
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
人と制度との主客関係を顛倒てんとうし、制度のために個人の自我発展を阻止し、個人の活力を圧殺して顧みないものだと思います。
激動の中を行く (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
筆を執るものここにおいてあるいは文勢を変じあるいは省略の法を取り、あるいは叙事の前後を顛倒てんとうせしめて人を飽かしめざらん事をつとむ。
小説作法 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
自分から顛倒てんとうしていて突当った人を見ると、じゃの道はへびで、追廻す蝶吉がまた追廻す探索は届いて、顔まで見知越みしりごしの恋のあだ
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
前者を無視し、または前者と後者との考察の順序を顛倒てんとうするにおいては「いき」の把握は単にむなしい意図に終るであろう。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
結句に始めて雪をいへる歌にして第二句に「ふかさ」といへるは順序顛倒てんとうししかもその距離遠きは余り上手なるよみ方にあらず。(三月三十日)
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
見ると、年若い助手の久吉も、矢張やはり気が顛倒てんとうしたものか、ゆがんだ顔に、血走った眼を光らせながら、夢中になって、カマに石炭を抛込なげこんでいる。
鉄路 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
上役にうまく取入って威張っていたもの等が、ガラ/\とその位置を顛倒てんとうして行った。支え柱を一旦失うと、彼等は見事に皆の仲間はずれを食った。
工場細胞 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
木の根につまずいて顛倒てんとうしそうになっても、にこりともせず、そのまま、つんのめるような姿勢のままで、走りつづけた。
乞食学生 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そうして僕が捕えてやっとソファの上へ腰かけさせた時には、親じの口も目も片一方引き吊って、まるですっかり気が顛倒てんとうしていることが分かった。
それ故ある人々は、ヘルンがもし悪妻をめとり、意地悪の姑等と同居したら、彼の神国日本観は、おそらく顛倒てんとうした結果になったろうと言っている。
ラスコーリニコフは突如として、例の件に関する彼の考えをすっかり顛倒てんとうさせ、いよいよ意見を固めさせたのである。
子供は手の甲を知らず知らず眼の所に持って行ったが、そうしてもあまりの心の顛倒てんとうに矢張り涙は出て来なかった。
卑怯者 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
まれに外国の方から来た毛色の違った旅人を見て「異人が通る」と思った彼自身の位置は丁度顛倒てんとうしてしまった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
源氏も今日の高い地位などは皆忘れて、魂も顛倒てんとうさせたふうに泣き泣き恨みを言うのであるが、宮は心の底からおくやしそうでお返辞もあそばさない。ただ
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
ただ明らかなのは、彼が感動し顛倒てんとうしていたことである。しかしその感激はいかなる性質のものであったか。
というのは、いま道庵が、聞くは末代の恥、聞かぬは一時の恥と言ったのは、たしかに比較が顛倒てんとうしている。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
概して論ずれば松陰は、攘夷のために、倒幕を唱えたれども、その後継者は、倒幕のために、攘夷を唱えたるなり。目的と手段とは、実に顛倒てんとうしたりしなり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
女の言葉が前後顛倒てんとうしていて、ただ何か訴うるがごとく、ぶつぶつと恨みを述べているらしいほか、果して何を口説いているのか少しも要領ようりょうを得ないのである。
ある日信子は例の切り通しの坂で顛倒てんとうした。心弱さから彼女はそれを夫に秘していた。産婆の診察日に彼女はふるえた。しかし胎児には異状はなかったらしかった。
雪後 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
多少順序は顛倒てんとうするようですが、ソオリヤ君に、まずこの航海記録から始めてもらうことにしましょうか
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
必ずしもその必要はないのです、にもかかわらず、今日ではそれをいかにも化粧の第一条件にしております。主客顛倒てんとうもはなはだしいといわざるを得ないのです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
吾々の平生へいぜいの生活が、それぞれ小説を書いているということになり、また、その中で、小説を作っているべきはずだ。どうもこの本末を顛倒てんとうしている人が多くて困る。
妻君は気が顛倒てんとうして昨夜から床に就いたきりで面会はできないというし、孝子たかこという娘に会ったが何も事情は分からず、詰めかけていた親戚しんせきのだれかれに訊いても
五階の窓:03 合作の三 (新字新仮名) / 森下雨村(著)
彼の肉体に植物の繁茂し始めた歴史の最初は、彼の雄図を確証した伊太利イタリー征伐のロジの戦の時である。彼の眼前で彼の率いた一兵卒が、弾丸に撃ち抜かれて顛倒てんとうした。
ナポレオンと田虫 (新字新仮名) / 横光利一(著)
場所が場所だけに、学生の遊里帰りとでも、間違えたのでしょう、ひどく反感をもった態度でしたが、こちらは何しろ気が顛倒てんとうしています。言い値どおりに乗りました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
石燈籠いしどうろうあま強大きようだいならざる地震ぢしん場合ばあひにもたふやすく、さうしてちかくにゐたものを壓死あつしせしめがちである。とく兒童じどう顛倒てんとうした石燈籠いしどうろうのために生命せつめいうしなつたれいすこぶおほい。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
転んだ小虎は古杭で、横腹を打って、顛倒てんとうした。それをお鉄は執念深くも、足蹴あしげにして、痰唾たんつばまで吹掛けた。竜次郎はつくづく此お鉄の無智な圧迫に耐えられなく成った。
死剣と生縄 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
肉体的価値を得んがために永遠の価値に呼び掛けるごときは、軽重の顛倒てんとうもまたはなはだしい。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
木曽義明は顛倒てんとうした。と云うのは自家の乱脈は、おおおうとしても蔽い難く、足利将軍家から遣わされた、見届けの使者の三好春房に、見現わされるのが知れていたからである。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
鳴鐘の機械装置はいかなる方法によっても、そう云う顛倒てんとうした鳴り方を許さぬのである。
聖アレキセイ寺院の惨劇 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
シナにたいするロンドンとニューヨークの地位を顛倒てんとうするという見通しの点で、この報告書とマルクスの評論は一致するが、海軍専門家の推論は、何らの経済学的なものを含まず
それから先の問答は、気が顛倒てんとうしておりましたせいか一々記憶に止まっておりません。
少女地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
殺戮さつりくされることは、その状態なのだ! (以下七字不明)! もし、新聞や、その他の社会が事実を顛倒てんとうしてると考えるならば、それは、君が資本主義の社会を見ていないからだ。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
はなはだしきは全くその意味をことにして居るのもあり、また一つの訳本に出て居る分がほかの本には出て居らないのもあり順序の顛倒てんとうしたのもあるというような訳で種々雑多ざったになって居ります。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
彼はいつの間にか客が殺されているのを見て、このまま届出たら自分の犯行と見られるにきまっていると考え、気も顛倒てんとうして、死体を(袋づめにしたのだったと思う)裏の川に投げ込む。
探偵小説の「謎」 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)