身延みのぶ)” の例文
見えない程にも身延みのぶのお山につづく街道は、谷も霧、もりも霧、目路の限り夢色にぼうッとぼかされて只いち面の濃い朝霧でした。
たいへん御利益のある地蔵様だそうで、信濃しなの身延みのぶのほうからも参詣人が昼も夜もひっきりなしにぞろぞろやって来るのだ。
黄村先生言行録 (新字新仮名) / 太宰治(著)
私はその中心地波高島はだかじま身延みのぶへは、年に四、五回も行って幾日も滞在する。これから後は、一層精出して行こうと思う。
水の遍路 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
信者しんじや善光寺ぜんくわうじ身延みのぶ順礼じゆんれいるほどなねがひだつたのが、——いざ、今度こんど、ととき信仰しんかうにぶつて、遊山ゆさんつた。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
かけ甚だ難澁なんじふ仕つり一命にも及ばんとなすをり是なる藤八身延みのぶ參詣さんけいの歸り掛け幸ひ其處へ差掛さしかゝり私し難儀なんぎの體を見兼右の三人を片端かたはしよりたゝたふして私しを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「でも、お前さんが、山道は景色が好いの、身延みのぶへ御参詣をなさいのと、口前くちまえをよくすすめるものだから」
大菩薩峠:08 白根山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この身延みのぶさはと申す處は、甲斐の國飯井野いひゐの御牧みまき波木井はきゐ箇郷かがうの内、波木井郷はきゐがう戊亥いぬゐの隅にあたりて候。
法諱おんなを聞けばそのころの三歳児みつごも合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀うだ朗円上人ろうえんしょうにんとて、早くより身延みのぶの山に螢雪けいせつの苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の修行をかさね
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
路は悪いが甲州街道を身延みのぶまで出にやなら無えから、忘れもし無え、極月ごくげつの十一日、四谷の荒木町を振り出しに、とうとう旅鴉たびがらすに身をやつしたが、なりは手前てめえも知つてた通り
鼠小僧次郎吉 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
さかいを出発した穴山あなやまの一族郎党ろうどうは、伊那丸いなまるをげんじゅうな鎖駕籠くさりかごにいれ、威風堂々いふうどうどうと、東海道をくだり、駿府すんぷから西にまがって、一路甲州の山関さんかんへつづく、身延みのぶの街道へさしかかった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
祖師そし身延みのぶ参詣さんけいても鰍沢かじかざはの舟には乗るなとおつしやつた
講中こうちゅうと一緒に身延みのぶへ御参詣にまいりました」
半七捕物帳:64 廻り灯籠 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
さては身延みのぶ參詣さんけいをするのであつたか。遙拜えうはいしつゝ、わたしたちは、いまさらながら二人ふたりを、なみだぐましく見送みおくつた。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
渡し置ん此品は身延みのぶ山代だい貫主くわんしゆの極ある日蓮上人直筆ぢきひつの曼陀羅なり一時もはなされぬ大切の品なれ共金の引替ひきかへの爲あづけんと申かれ思操こゝろざし信實しんじつかんじ命にも替難かへがたき大金を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
身延みのぶ七面山しちめんざんの間の裏山を越えて薬袋みなえというところへ出た時分に、お徳は右手の方を指しながら
大菩薩峠:08 白根山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
家康の軍は、穴山梅雪を案内として、身延みのぶから文殊堂もんじゅどうを経、市川口へ。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なし名主林右衞門へも頼みおきて近所へは身延みのぶ參詣さんけい披露ひろうし忠兵衞へ跡の事ども言含いひふくめ文藏お時は下男吉平が實ていなる者故是をとも召連めしつれて主從三人頃は享保十二年十月十日原澤村はらさはむら
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
時間じかん前後ぜんご汽車きしやは、六月ろくぐわつ七月しちぐわつだと國府津こふづでもうあかるくなる。八月はちぐわつこゑくと富士驛ふじえきで、まだちつたないと、ひがしそらがしらまない。わたし前年ぜんねん身延みのぶまゐつたのでつてる。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「貴様は身延みのぶへ参詣に行くのだと申したがその通りか」