突嗟とっさ)” の例文
味方の士気を奮い立たすような正しい言葉を——機微きび適切な突嗟とっさに——いえるような侍ならば、それはよほど千軍万馬往来の士か
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
林は確にエリスがやったのだと思った。突嗟とっさの場合にも、彼はどうかしてこの犯罪を隠蔽して、哀れなエリスを救わねばならぬと焦った。
P丘の殺人事件 (新字新仮名) / 松本泰(著)
多計代は、突嗟とっさにそれを口に出して議論するだけまとまった反撥のよりどころを伸子に対してもっているわけではないのだった。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
ひょいとズックの手提鞄てさげかばんのようなものを目に入れて、ずかずかと入っていって、突嗟とっさに旅行の決心をして、それを買い求めた。
晩夏 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
これぞ天の助くるところと、甚内は突嗟とっさに思案を決めると、パッと雨戸へ飛びかかり、引きあける間ももどかしく家内なかへはいって戸を立てた。
三甚内 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
突嗟とっさに、その女中の話をきいて、これは夫がいきなりこの離れ家にやって来るに相違ないと想像し、いそいでその中の人間を裏口から出して
黄色な顔 (新字新仮名) / アーサー・コナン・ドイル(著)
その時、笠森仙太郎は、窓のところに近寄って、幸い窓に背を向けた丹波丹六のうしろから突嗟とっさの間に這い上りました。
私は突嗟とっさに、少しウロ/\した様子をし、それから帽子に手をやって、「S町にはこっちでしょうか——それとも……」
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
「ええ。じゃ、もっと歩きましょう」と私の心の奥にあるものが、私の理性を押しのけて突嗟とっさの間に答えてしまった。
決して皮肉の意味からではない。突嗟とっさに、つひしてしまつたのであるが、それに多少にやにや笑つてゐたかも知れないが、微塵も悪意はなかつたのである。
山の貴婦人 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
が、さすがはこれまで幾度いくたびとなく扮装したことのある京山ですから、突嗟とっさの間に、ある考えを思いつきました。
稀有の犯罪 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
それを突嗟とっさの間に自分の手許から袖の中にでもかくしたのだ、としたら……事件が解って人々が騒ぎはじめる。
撞球室の七人 (新字新仮名) / 橋本五郎(著)
その声はまるで氷の上へばらばらとこいしを投げたように、彼の寂しい真昼の夢を突嗟とっさあいだに打ち砕いてしまった。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
私は突嗟とっさに起ちあがって、電報を握ったまま暗い石段を駈け下り、石段の下で娘に会ったが同じことを言って、夢中で境内けいだいを抜けて一気にこぶくろ坂の上まで走った。
父の出郷 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
山のような岩の大塊のかげに、蒼白まっさおにぶるぶる顫えている幽霊のような顔が二ツ三ツちらちらしたばかりだ。「これだけしか生き残らなかったんだ!」突嗟とっさに井村は思った。
土鼠と落盤 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
不慮の驚きに動顛どうてんしたとは言っても、突嗟とっさにそのような空想を描くようなかれらでない。
幻覚の実験 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
自分は突嗟とっさに、この夏の苦しいあの出来事があたまに殺到して浮んできたのであった。
或る少女の死まで (新字新仮名) / 室生犀星(著)
それにうもこの怪談というやつは再聞またぎきのことが多い。その中でもまだあまり人に話したことのない比較的最も深い印象を与えられたものというと、突嗟とっさの場合ずこの二題をす。
白い光と上野の鐘 (新字新仮名) / 沼田一雅(著)
村瀬が胸をのめらせて枕にすがりついた。明子は突嗟とっさに自分の両手で吐かれる血を受けた。彼女は血だらけになつた両手を村瀬の口に押しつけながら、顔すれすれに近づけてささやいた。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
遊びではないように高飛車に出た少年のその無智無思慮を自省せぬ点を憫笑びんしょうせざるを得ぬ心が起ると、殆どまた同時に引続いてこの少年をしてかくの如き語を突嗟とっさに発するに至らしめたのは
蘆声 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
雪之丞の頭の中では、突嗟とっさにこうした懸念が、火花を散らして渦を巻いた。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
すなわちただ敵をろう、前に進もうという考えで齷齪あくせくするあいだは、勝つことも進むこともおぼつかない、しかるに一歩一寸退しりぞく余裕があれば、その突嗟とっさに敵のすきがわかる。そこで勝てる。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
私は突嗟とっさに富士登山のつえが浮いてるのをとって、窓の外の弟にわたした。
さすがに、まさかこんな時、突嗟とっさに口に上ろう、とは思うて居なかった。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
呉用が大きくうなずいた突嗟とっさである。またも末座から剽軽ひょうきんな声で、「——ほいッ、御用とございますなら、あっしを忘れちゃいけませんぜ」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのとき突嗟とっさに——どうしてもそう考えてやったとは思われないほど突嗟に——ずかずかと簾の方に近づいて、それに手をかけそうにせられた。
ほととぎす (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
「あぶない!」と彼はその突嗟とっさ、自分の心を緊張ひきしめた。「考えてはいけない考えてはいけない。無念無想、一念透徹、やっつけるより仕方がない」
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
私はその時私たちのような仕事をしているものゝみが持っているあの「予感」を突嗟とっさに感じて、——「あぐだ」と云って、ザブ/\と顔を洗った。
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
泉原の周囲まわりの人々は一斉に振返って、奇声をあげた小さな日本人を不思議そうにみはっている。泉原は突嗟とっさの間に雑沓ざっとうの間を縫ってM駅行の切符をった。
緑衣の女 (新字新仮名) / 松本泰(著)
寝馴れた自分の部屋の中だのに、ひろ子は自分の頭がどっちを向いているか、突嗟とっさにはっきりしなかった。
乳房 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
が、それにしてもこのままでは余りにも身窄みすぼらしい。突嗟とっさの間にも私はこう思いついた。
よく浄瑠璃じょうるり琵琶びわの曲などに、「襷十字にあやどりて」という文句を聴くが、是は婦人が突嗟とっさの場合に仮に働けるなりを作るためにするので、常は襷はそうして用いるものでない故に
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
あお単衣ひとえに赤い帯も印象的ですが、それよりもほの白く清らかな頬や、霞む眉や、少し脅えては居たが、聡明らしい眼が、突嗟とっさの間ながら、平次に素晴らしい印象を与えてくれたのです。
然し其時の闘は如何にも突嗟とっさに急激に敵が斫入きりいったので、氏郷自身までやりを取って戦うに至ったが、事済んで営に帰ってから身内をばあらためて見ると、よろい胸板むないた掛算けさん太刀疵たちきず鎗疵やりきずが四ヶ処
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
と、突嗟とっさに悟って、匕首に手を掛けてお初
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
お小夜は、抱えていた装束台を、小袖ぐるみ、相手のおもてへ投げつけて、次の突嗟とっさに、短い刃を抜くや否、身をていして、斬りつけて行った。
夏虫行燈 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私は突嗟とっさにドギついて、それでも「何んしろ、その……」と笑いながら云いかけると「まだ若いからでしょう?」と、おばさんはしまいをとって、笑った。
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
突嗟とっさに思案が浮かばなかった。と云って落ち着いてはいられなかった。防がなければならなかった。そうしなければ、捕えられるだろう。捕えられたら殺されるだろう。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
母が突嗟とっさに立って、早く雨戸をおしめ、抑えつけた緊張した声で云うなり、戸袋のところへ走って行った。私は、戸袋から母がくり出す雨戸を出来るだけ早く馳けて押した。
からたち (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
それから、証拠が聴き度いと言われるなら、言ってしまいましょう、これは彼女——阿修羅も気が付かなかったかも知れませんが、——最後の晩ライターの光で、突嗟とっさの間に私は彼女の大きな目印を
法悦クラブ (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
男は彼方かなたの廃院へでも急ぐのか、ふンとまた、鼻で笑いすてて歩き出した。そのきょや狙うべしと思ったか、智深は突嗟とっさ
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、突嗟とっさのことで、船長は棒杭ぼうぐいより、もっとキョトンとした。然し、すぐ彼は自分の立場を取り戻した。
蟹工船 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
何か宏子に言葉をかけようとした突嗟とっさにやっぱり母らしい文句しか出ず、ただそれを今朝は
雑沓 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
しかるに私はそうとは思わず、耳飾を盗みは盗んだものの、後から閣下が追跡するので、隠し所に困まったあげく、突嗟とっさにそれを飼葉に混ぜて、牛に食わせたと斯う思いました。
闘牛 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そうで無いまでも、手が廻ったと知ったら、百万円入のトランクを、自棄やけ半分川へ投げこまないものでもありません。突嗟とっさに思案をめて、川蒸気の屋根から橋の下へ飛付いたのはそうしたわけです。
悪人の娘 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
それは、役人より早く、女たちの眼を、吃驚びっくりさせた影だった。みんなが、きゃっといって、逃げる突嗟とっさに、兵部の後ろへ廻って、かがんだのである。
無宿人国記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
斯うして彼等は月光の下を鹿のように早く走ったが、小丘の頂上まで来た時に、目下めのしたに見える二軒のうちの其一軒の背戸畑の辺で拳銃ピストルの音の起こったのを突嗟とっさにハッキリ耳にした。
死の復讐 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
伯父の顔の上にぶつけるような気で、杉子は突嗟とっさに伊田を紹介しようと思った。
杉子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
その示唆しさを、下野の顔つきから、読み取ろうとするのかも知れなかった。そういう突嗟とっさの機謀は非常にするどい大将だとは下野もかねて聞いているところである。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
スルスルと前方へ走って行く者が、美作であるということと美作の正面にお粂がいて、脇差しをあぶなさそうに青眼に付けて、立っているのとを突嗟とっさに感じて、紋也がお粂へ注意をしたのであった。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)