沁々しみじみ)” の例文
自分と徳川どのとが、どうして、戦いを決せねばならぬ理由があるのか——秀吉にはとんと分らぬ、と沁々しみじみ御述懐ごじゅっかいなすっておられた
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おっとりとそんな説明をする時の規矩男の陰に、いつも規矩男から聞いたその母の古典的な美しいおもかげ沁々しみじみとかの女に想像された。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
二人は沁々しみじみとした心持で笑いました。が、事件はこれがほんの端緒いとぐちで、この後に続く恐ろしい発展は、全く笑いごとではなかったのです。
いや寧ろ、その悪夢のように繰りひろげられた、醜悪な写真が眼にはいると、足早に近寄り、かず沁々しみじみと見詰めるのであった。
魔像 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
一首は、これまでまだ沁々しみじみと逢ったこともない女に偶然逢って、その後逢わない女に対する恋の切ないことを歌ったものである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
きょう、おだやかな天気を沁々しみじみ感じる道理です。あああ眠ったと云う心持。この間うち体がこわばったりしていたのが大分ましになりました。
おとなしい人で、それに寝た切りの奥様に付いているのですもの。沁々しみじみ話す暇もなかったわ。ええ、お子さんはなかったの。
ニッケルの文鎮 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
と、霜枯れた風致ふうちの中に、同じ人生の暖かさ懐かしさを、沁々しみじみいとしんで咏むのであった。この同じ自然観が、芭蕉にあっては大いに異なり
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
それと云うのが眼が潰れると眼あきの時に見えなかったいろいろのものが見えてくるお師匠様のお顔なぞもその美しさが沁々しみじみと見えてきたのは
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
かべの小さい柱鏡につかれた僕の顔と、ほおのふくれた彼女の顔が並んだ。僕は沁々しみじみとした気持ちで彼女の抜きえりを女学生のようにめさせてやった。
魚の序文 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
と、御叩頭おじぎをして、二人の前へ、茶を置くと、しとやかに出て行った。茶室好みの小部屋へは、もう夜が、隅々すみずみへ入っていて、沁々しみじみと冷たさがんだ。
大岡越前の独立 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
貧しかった実家の破れ障子をふとおもい出させるような沁々しみじみした幼心のなつかしさだと、一代も一皮げば古い女だった。
競馬 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
「ああ、それにしても……」丘助手は、博士の門に入ることの出来た喜びを沁々しみじみと感じたことだった。「この憎々にくにくしくそびえ立つ殺人興奮の曲線?」
キド効果 (新字新仮名) / 海野十三(著)
わっしなんぞが参りますと、にごり屋のかみさんが沁々しみじみ愚痴をいいますがね、勘定はいうまでもなく悪いんです、——つれ引張ひっぱって来りゃきっと喧嘩。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
平一郎は冬子にこのように沁々しみじみと物語られるのははじめてであった。彼は冬子と彼との間にあった「大人と子供」の隔てが全くとれてしまったのを感じた。
地上:地に潜むもの (新字新仮名) / 島田清次郎(著)
彼は初めてそうした華やかな群の中へ入ったのだが、何というわけもなく、沁々しみじみ寂しさと遣瀬やるせなさを感じた。
孤独 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
東京ではいくらかボカして考えていた「ふるさと」もこうやってみると、今更ながらうそッ八だと沁々しみじみわかる。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
腕力をもってくるなら、反抗する決心もあるが、沁々しみじみと訴えられるのはつらい。自分の思想を守るのに、そんなことで屈伏したり、陥落は出来ないとも思った。
遠藤(岩野)清子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
尾形に俺の目が負けてはなるものかと力みつつ沁々しみじみ歓びを感じた。支那人は分らんと云う連中は愚の骨頂だ。
天馬 (新字新仮名) / 金史良(著)
几帳きちょうの蔭に悲しみの天女をやすませて、大納言は縁へでた。静かな月の光を仰いだ。はじめて彼は、この世に悲しみというもののあることを、沁々しみじみ知った思いがした。
紫大納言 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
絶壁には横に大きな襞が幾つかあって、そこにはギボウシの花が咲いているのを見た。河原伝いの気楽さを沁々しみじみ味いながら、二町も遡ると対岸で餓鬼谷が合流している。
黒部川を遡る (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
その温情を譲吉は、沁々しみじみと感じて居るのであった。学資ばかりでなく、譲吉は、衣類や襯衣シャツや、日用品のほとんすべてを、近藤夫人の厚意に依って、不自由しなかったのである。
大島が出来る話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
今日、三人の子の父となった私には、今さらながら、亡くなった父の慈愛、母の情が沁々しみじみと感ぜられるのです。「子を持って知る親の恩」とは、あまりにも、古い言葉です。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
筒井は息もつかずにびた。「その折、あまりのおなさけ深く身に余りまして無断で立ち去りましておわびの致しようもございませぬ。」と筒井はおもてをぬらして沁々しみじみいった。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
山楽は山楽でなければならないはずのものだ——永徳は早死はやじにをしたが、山楽は長生ながいきをした、およそ長生すれば恥多しということを、沁々しみじみと体験したもの山楽の如きはあるまい。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その時、半身を雪に圧されて救助隊の来るまでの一昼夜を動かれぬままに観念してすごした苦しさを思い出しながら、沁々しみじみと語る。喜作はかすかに、ウーンとうなっただけだった。
案内人風景 (新字新仮名) / 百瀬慎太郎黒部溯郎(著)
夜番の鳴らす拍子木の音が、屋敷を巡って聞こえるのさえ、今夜は沁々しみじみと身に浸る。
正雪の遺書 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
或しぐれた夕方、尼は女のところに来ると、いつものように沁々しみじみと話し込んでいた。
曠野 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
落つるに早い楓、朴、はぜの類は、既に赤裸々の姿をして夕空寒く突き立って見える。彼の蘇子瞻の「霜露既降木葉尽脱 人影在地仰見明日」というような趣きが沁々しみじみと味われる。
茸をたずねる (新字新仮名) / 飯田蛇笏(著)
相手は急に間誤間誤まごまごし出して、と、と、飛んでもねえ、と、ムキになって否定しましたが、不図ふとパセティックな調子となり、でも、沁々しみじみ考げえりゃあ他人事ひとごとじゃ御座んせん、とこぼしました。
陳情書 (新字新仮名) / 西尾正(著)
鈍帳芝居の卑しさとみじめさとが沁々しみじみ思い知られるようであった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
沁々しみじみ言う彼の顔にはあきらかに絶望の影が動いてた。
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
そして沁々しみじみ、わが児の成長をながめ、また、あかのついていない小袖や、髪の結いぶりや、刀、脇差などを見て、ほろほろと涙をながした。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
作曲も実に善良な、邪念のない、美しいものを書いているが、その演奏もまた邪念のない、沁々しみじみと行き届いたものであった。
なほ子は母の老いたことを沁々しみじみ感じ、さっき彼女自身、祖母について云った口うらから、母が飽きず思い出話をするのが、水のように淋しかった。
白い蚊帳 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
東北の山間などにいてはこういうものは決して見ることが出来ないと私は子供心にも沁々しみじみとおもったものであった。
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
一郎はジュリアの美しさを沁々しみじみと見たような気がした。ただ美しいといったのではいけない、なやましい美しさというのはまさにジュリアの美しさのことだ。
恐怖の口笛 (新字新仮名) / 海野十三(著)
だが、失恋というものが、こんなにも感傷的な気持を誘うものだろうか——中田は今、沁々しみじみとそれを体験した。
自殺 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
こちらから望んで世話に乗り出したくらいだから、利用されたというような悪毒あくどひがんだ気持ちはしないまでも、ただわけもなく寂しい感じが沁々しみじみと襲った。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
と、沁々しみじみとして人生のうら寒いノスタルジアを思うのだった。そうした彼の郷愁は、遂に無限の時間を越えて
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
「帰りたいか。お待ち、お前はまだ沁々しみじみおれの顔を見ないだろうが、ようく見て御覧……くちを貸して……もっと思いきって前へ出せよ……どうだ怖かアないか」
暗中の接吻 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
気の毒がるのをいじらしそうに沁々しみじみといったが、かろく立った。酒と聞いて、気もそぞろで、この(先生様)といったことばは、この時愛吉の耳には入らなかったのである。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
すぐ痩ぎすな甲武信の頂上にひょこりと出た南日君と自分とは、登山の目的を遂げた快さを沁々しみじみと味う余裕も無かった程、この予期していなかった山の出現に気を奪われてしまった。
秩父の奥山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
私の外貌は悠々と読書に専念してゐたが、私の心は悪魔の国に住んでをり、そして、悪魔の読書といふものは、聖人の読書のやうに冷徹なものだと私は沁々しみじみ思ひ耽つてゐたのである。
魔の退屈 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
十日と経ち、二十日と経つうちに、大尉はゼラール中尉と交情を保っていくことは、自分の意志を中尉の意志の奴隷にするのと、あまり違わないことを沁々しみじみと悟ってしまったのである。
ゼラール中尉 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
低い灰空はいぞらだ——雪になるか? 雨になるか? 沁々しみじみと冷たさの黄昏たそがれだ。
大岡越前の独立 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
却って、上野介の身に急迫を感じさせて、米沢城の奥深くでも追いこんでしまうのが落ちではないか。——沁々しみじみそう感じながら、又之丞が
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
旅人は、讃酒歌さけをほむるうたのような思想的な歌をも自在に作るが、こういう沁々しみじみとしたものをも作る力量を持っていた。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
そしてチャイコフスキーの愛情のこまやかさが、あの前人未踏の涙の芸術を生み、すべての人の心に、四沢したくうるおす春の水のように沁々しみじみと行きわたるのであろう。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
肉体もたましいもしっくりと融け合って、細君であると同時に情婦らしい感じのする女、つまり理性と享楽を兼ねていて、沁々しみじみと話がわかって、夜は温々ぬくぬくとしたへや
孤独 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)