いた)” の例文
彼は死にいたるまで、その父母をわするるあたわざりしなり。否、死するに際して、第一彼れの念頭にのぼりし者は、その父母にてありしなり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
永楽えいらく元年、帝雲南うんなん永嘉寺えいかじとどまりたもう。二年、雲南をで、重慶じゅうけいより襄陽じょうよういたり、また東して、史彬しひんの家に至りたもう。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
車は月桂ラウレオ街樾なみきを過ぎて客舍の門にいたりぬ。薦巾セルヰエツトひぢにしたる房奴カメリエリは客を迎へて、盆栽花卉くわきもて飾れるひろきざはしもとに立てり。
わたくし達は白鬚神社のほとりに車を棄て歩んで園の門にいたるまでの途すがら、胸中窃に廃園は唯その有るがままの廃園として之をながめたい。
百花園 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
松井田より汽車に乗りて高崎にいたり、ここにてりかえて新町につき、人力車をやといて本庄にゆけば、上野までの汽車みち、阻礙なしといえり。
みちの記 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
汝將に京に入らんとすとく、請ふ吾が爲めに恭順きようじゆんの意を致せと。余江戸を發して桑名にいたり、柳原前光さきみつ公軍をとくして至るに遇ふ。余爲めに之を告ぐ。
余与よと京水と同行どうかう十人小千谷をはなれて西の方●新保しんほ村●薮川新田やぶかはしんでんなどいふ村々を一宮いちのみやといふ村にいたる、山間やまあひ篆畦あぜみち曲節まがり/\こゝいた行程みちのり一里半ばかりなり。
彼はこの色を売るの一匹婦いつひつぷも、知らずたれなんぢに教へて、死にいたるまでなほこのがたき義にり、守りかたき節を守りて、つひに奪はれざる者あるに泣けるなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
即ち湯作新は韋駄保の母を毒殺せんとしたが、幸に早く氣付いて解毒を施した結果、死にはいたらざりしも、湯作新は殺人未遂の罪人であると官憲に誣告した。
白糸は一歩を進め、二歩を進めて、いつしか「寂然のしげり」を出でて、「井戸囲い」のほとりにいたりぬ。
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
六名と共に船にて帰郷のにつきしが、やが三番港さんばんみなとに到着するや、某地の有志家わが学校の生徒およびその父兄ら約数百名の出迎いありて、雑沓ざっとう言わんかたもなく、上陸して船宿ふなやどいたれば
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
しかし枕山が中秋観月の作の題言に「中秋、毅堂、香巌、楽山ト同ジク舟ヲ墨水ニうかベ百花園ヲ訪ヒ薄暮棹月楼ニいたル。コノ夜月色清佳ナリ。」
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
もしそれ死にいたりて流涕りゅうていし、落胆し、顔色土の如くなるが如きは、もとより死に支配せられたる者にして、言うに足らず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
碓氷嶺過ぎて横川にいたる。嶺の路ここかしこにやぶれたるところ多かりしが、そは皆かりに繕いたれば車通いしなり。
みちの記 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
かくて延喜元年辛酉二月朔日京の高辻の御舘をいで玉ひて、津の国須磨すまの浦に日をうつしつくしへいたりたまへり。
〔評〕復古ふくこげふ薩長さつちやう合縱がつしように成る。是れより先き、土人坂本龍馬りゆうま、薩長の和せざるをうれへ、薩ていいたり、大久保・西郷諸氏に説き、又長邸にいたり、木戸・大村諸氏に説く。
舟のゆくては杳茫えうばうたる蒼海にして、そのいたる所はシチリアの島なり、あらず、亞弗利加アフリカの岸なり。ゆん手の方は巖石屹立したる伊太利の西岸にして、所々に大なる洞穴あり。
国のためちょう念は死にいたるまでもまざるべく、この一念は、やがて妾を導きて、しきりに社会主義者の説を聴くを喜ばしめ、ようやくかの私欲私利に汲々きゅうきゅうたる帝国主義者の云為うんいを厭わしめぬ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
両箇ふたりはやや熱かりしその日も垂籠たれこめてゆふべいたりぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
日記を見るに水海道は筑波山を見渡す鬼怒川きぬがわの岸に臨んだ村で、河を渡り岡田郡横曾根村を過ぎて飯沼にいたるのである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
余与よと京水と同行どうかう十人小千谷をはなれて西の方●新保しんほ村●薮川新田やぶかはしんでんなどいふ村々を一宮いちのみやといふ村にいたる、山間やまあひ篆畦あぜみち曲節まがり/\こゝいた行程みちのり一里半ばかりなり。
ここにおいて彼は、その友金子重輔じゅうすけともに神奈川にいたり、横浜に赴き、外艦に近づくの策を講ず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
これを書きしは、かう/″\しき預言者にて、その指すかたに向ひて往くものは、地獄の火燄を踏み破りて、天堂にいたらんとす。若き華主だんなよ。君はまだ此書を讀み給ひし事なきなるべし。
〔評〕南洲官軍の先鋒せんぱうとなり、品川にいたる、勝安房かつあは、大久保一翁、山岡鐵太郎之を見て、慶喜つみつのじやう具陳ぐちんし、討伐たうばつゆるべんことを請ふ。安房素より南洲を知れり、之を説くこと甚だ力む。
大坂より送つた書には、江戸を発して伊勢にいたるまでの旅況が細叙してあつた筈である。茶山は秋にいたつて又筆を把つた時、最早伊勢より備後に至る間の旅況を叙することの煩はしきに堪へなかつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
かくて延喜元年辛酉二月朔日京の高辻の御舘をいで玉ひて、津の国須磨すまの浦に日をうつしつくしへいたりたまへり。
天保九年長崎にいたり遂に僧となり平戸の某寺に住したが、弘化元年に至り還俗して蝦夷地えぞち探険の途に上った。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
茶山が江戸にいたころほひには、蘭軒の疝積せんしやくも稍おこたつてゐた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
○又尾張の名古屋の人吉田重房があらはしたる筑紫記行つくしきかう巻の九に、但馬国たじまのくに多気郡たけこほり納屋村なやむらより川船にて但馬の温泉いでゆいた途中みちしるしたるくだりいはく、○猶舟にのりてゆく
来路を下り堰口せきぐちたきいたり見れば、これもいつかセメントにて築き改められしが上に鉄の釣橋をかけ渡したり。駒留橋こまとめばしのあたりは電車製造場となり上水の流は化して溝※こうとくとなれり。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
磐等は藤沢を発し、東京鳥居坂の宗家にいたつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
○又尾張の名古屋の人吉田重房があらはしたる筑紫記行つくしきかう巻の九に、但馬国たじまのくに多気郡たけこほり納屋村なやむらより川船にて但馬の温泉いでゆいた途中みちしるしたるくだりいはく、○猶舟にのりてゆく
また大婚式記念郵便切手の発行せられし時都人各近鄰の郵便局に赴き局員にひて、記念当日の消印けしいんを切手になつせしむ。南岳すなわち春画を描きたる絵葉書数葉を手にし郵便局の窓にいたりて消印を請ふ。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)