八幡やわた)” の例文
ここの御社の御前の狛犬こまいぬは全く狼のすがたをなせり。八幡やわたの鳩、春日かすがの鹿などの如く、狼をここの御社の御使いなりとすればなるべし。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「同じ甲州でござんすけれども、ここからはだいぶ離れておりまして、萩原領の八幡やわた村というところからお輿入こしいれでござんすとやら」
大菩薩峠:08 白根山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それから一々それらの竹を検した末に、日本の京都近郊の八幡やわた産のものが最上であることをたしかめ、これを使うことにしました。
トーマス・エディソン (新字新仮名) / 石原純(著)
十坪程の土間に、離れ離れに三四脚のテーブルが置かれ、常緑樹の大きな鉢植えが、その間々に、八幡やわた藪不知やぶしらずの竹藪の感じで並んでいる。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
夜半、旗本の饗庭あえば氏直は、彼のむねをおびて、直義のいる八幡やわたへ馬をとばして行った。あとの尊氏は、魚見堂で眠りについた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八幡やわたの町の梨畠に梨は取り尽され、葡萄棚ぶどうだなからは明るく日がさすようになった。玉蜀黍とうもろこしの茎は倒れて見通す稲田の眺望は軟かに黄ばんで来た。
草紅葉 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
瓢箪形の巨大な入海は、戸畑とばた八幡やわた、若松、という三つの町に取りかこまれ、中島なかのしま葛島かつらしまという二つの島を浮かべている。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
入谷いりやまでけて行ったんですが、恐ろしい八幡やわた藪知やぶしらずの抜け道へ入り込んで、とうとう消えっちまいましたよ」
たとえば八幡やわたの藪知らず……その藪の真ったゞなかの、どっちへ行ってもふさがれた行くてゞある。——ぼんやりそこに立ちすくむ外はなかった……
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
群馬県多野たの八幡やわた村大字阿久津は、烏川と鏑川かぶらがわの落合いに近い低地で、また高瀬舟の終点であった。かくのごとき例は他国にもなお存するかも知れぬ。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それは砂町一丁目と上大島町の瓦斯ガスタンクを堡塁ほるいのように清砂通りに沿う一線と八幡やわた通りに沿う一線に主力を集め、おのおの三方へ不規則に蔓延まんえんしている。
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
宇兵衛はなぜか其の行く先をはっきり云わないが、今度は江戸ではないらしく、船橋の方へ奉公に行ったという噂もあり、八幡やわたの方へ行ったという噂もある。
半七捕物帳:61 吉良の脇指 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
昭和三年十月二十日 泊月、王城と八幡やわたの男山に遊びまた大阪に至る。住友倶楽部に於ける無名会に出席。
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
それにもかかわらず、初対面のこのひとの魅力と、ここの、せまいうちの、八幡やわたやぶしらずのような面白さに、おきんちゃんについて毎日通うようになってしまった。
「ばかいわねえこった。あんな八幡やわたやぶしらずのような冥途屋敷の中に、どうして半年も一年も暮せるかよう。第一その間、ちょっくら姿も見せねえでおいてよう」
千早館の迷路 (新字新仮名) / 海野十三(著)
これから八幡やわたという所、天竺木綿てんじくもめんの大きな国旗二つを往来の上に交扠こうさして、その中央に祝凱旋がいせんと大書した更紗さらさの額がかかっている、それをくぐると右側の屑屋の家では
八幡の森 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
見合わせてそのじいの倅の友だちの叔父の神田の猿楽町さるがくちょうに錠前なおしの家へどうとかしたとか、なんとか言うので、何度聞き直しても、八幡やわたやぶでも歩いているように
水の三日 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
女院や宮々も八幡やわた、賀茂、嵯峨さが太秦うずまさ西山にしやま、東山などの片田舎に難を逃れている。平家一門は都より落ちたが、源氏はまだ京に入っていない。京は主のない都となった。
これらの志士との往来が幕府の嫌疑けんぎを受けるもとになって、身辺に危険を感じて来た彼はにわかに京都を去ることになり、夜中江州ごうしゅう八幡やわたにたどり着いて西川善六にしかわぜんろくを訪い
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
遠藤どのとのう! 主計頭どのはたしか美濃八幡やわた二万五千石を領する城持ちじゃ。一国一城のあるじが、そちのごとき中店ちゅうみせの抱え遊女にお通い召さるとは、変った風流よのう。
が、一切の前提を破壊してしまったならドコまで行っても思索は極まりなく、結局は出口のない八幡やわたらずへ踏込んだと同じく、一つ処をドウドウめぐりするより外はなくなる。
二葉亭追録 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
刃物はものもこの町で色々作ります。金物かなもので想い浮ぶのは「塔寺釜とうでらがま」でありますが、もとは河沼郡八幡やわた塔寺とうでらの産であったかと思われます。今はかえって他郷に仕事を奪われました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
それとも難所なんじょを越えて雪中に病でも求めなければいがと存じて心配するが、お前にまで心配させてはならんから、今日きょうは気を変えてブラ/\と八幡やわた八幡宮はちまんぐうへでも参詣致そうか
僕があなたに始めてお目にかかったのは、この夏あなたが木村君と一緒に八幡やわたに避暑をしておられた時ですから、あなたについては僕は、なんにも知らないといっていいくらいです。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ここから近い八幡やわたの宮は九州の松浦、箱崎はこざきと同じ神様なのですから、あちらをお立ちになる時、お立てになった願もありますから、神の庇護で無事に帰京しましたというお礼参りをなさいませ
源氏物語:22 玉鬘 (新字新仮名) / 紫式部(著)
時としてはその境地が、鶴見には八幡やわたやぶのようにも見える。鴎外はそこで円錐えんすいの立方積を出す公式をひとりで盛んに講釈している。結局人を煙に巻いているのではなかろうか。それも好い。
「何が何だか分りゃしない。まるで八幡やわた藪不知やぶしらず這入はいったようなものだ」
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
八幡やわた、山崎、竹田、宇治、勢多せた、深草、法勝寺などにわたる夜来やらいからの赤い空は、ただまっ黒なものとなり、小雨はやんで、東山のみねには
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私は子供の時分に八幡やわた藪知やぶしらずの見世物で、型ばかりの代物しろものではありましたが、鏡の部屋を経験したことがあるのです。
鏡地獄 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「そこは大江戸の有難さで、ここに小さくなって住んでいる分には、八幡やわた知らずの中にいるようなものでしょうよ」
甲斐かいの国の八幡やわた村の水車小屋附近で、若い村の娘が惨殺されて村を騒がした後、小泉家には、机竜之助もお銀様もその姿を見ることができなくなりました。
また野菜を買いに八幡やわたから鬼越おにごえ中山なかやまの辺まで出かけてゆく。それはいずこも松の並木の聳えている砂道で、下肥しもごえを運ぶ農家の車に行き逢うほか、殆ど人に出会うことはない。
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
荷馬車一台荷車一台と人が二三人って何か荷物を薄暗い家の中へはこんでいる、空にも星が一つ見えだした、八幡やわたの森にも火が点じた すべてゆるやかな落着いた光景、間もなく鳥居の前へくる。
八幡の森 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
市川新田いちかわしんでん八幡やわた船橋ふなばし国分村こくぶむら小松川こまつがわ松戸まつど辺から買いに来ます。
まるで八幡やわた藪知やぶしらずへ這入はいったように、すべてが解らなくなった。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
山名時氏のごときは、きのうまで尊氏の下にいたのに、この趨勢すうせいを見ると、尊氏を離れ、一夜、とつぜん直義方の八幡やわたの陣へ投じてしまった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
横町を曲ると、陰気な住宅街で、頭より高い生垣が、両側にまるで八幡やわた藪不知やぶしらずみたいに、うねうねと続いていた。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「このお屋敷の中には、たしか八幡やわたのお稲荷様がありましたぜ、お稲荷様の前で踊らせてもらいましょう」
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
茯苓ぶくりょう肉桂にっけい枳穀きこく山査子さんざし呉茱萸ごしゅゆ川芎せんきゅう知母ちぼ人参にんじん茴香ういきょう天門冬てんもんとう芥子からし、イモント、フナハラ、ジキタリス——幾百千種とも数知れぬ薬草の繁る中を、八幡やわた知らずにさ迷い歩いた末
家の中ではランプが今一張ひとはりついた、これが八幡やわた神社の入口である。
八幡の森 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
と、洛中の南軍が八幡やわたに退くと、義詮は時をおかず、本陣を東寺へすすめた。そして細川頼之よりゆきの一手をほらとうげへまわして、八幡の糧道を断った。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「はい、金峰山颪きんぽうざんおろしが吹きます時なぞは、わたしの故郷八幡やわた村あたりは二尺もたまることがありまする」
大菩薩峠:02 鈴鹿山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
八幡やわた、山崎の線を死守していた武田信武は、ついに官軍の大兵にもみつぶされて、多くは官軍へ降参し、大将信武は、いまのところ生死も不明——と。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宇津木文之丞が妹と称して沢井の道場へ出向いたお浜は、実は妹ではなく、甲州八幡やわた村のさる家柄の娘で、文之丞が内縁の妻であることは道場の人々があらかじめ察しの通りであります。
瀬田はひがしの関門だが、都の西の八幡やわた、山崎はもっと重要である。畿内きない、西国街道へののどくびなのだ。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はっと思ってその裏を見ると「八幡やわた村」という文字が弓張の蔭になっています。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
八幡やわたの藪知らずへ踏みこんだように、竹と丸太にすべての視野を遮った迷路が曲がりくねりして、やがて半町も行ったかと思うと、洞然どうぜんたるつき当たりの暗黒と
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
往手ゆくては枯枝や、蜘蛛くもの巣、それに足許に竹の切口や、木の株や、凹みなどもあって、危ない。ほとんど昼なお暗い、八幡やわた知らずの藪のようになって、さしものお婆さんも少しひるんでいる。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
主力はもちろん尊氏の麾下きかで、その中軍は、八日、大渡をつき破り、同夜、八幡やわた方面まで進出した。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「それも知らないのか。三日町から八幡やわたの方へ行くのはどうだ」
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)