いたま)” の例文
而もこの血液型の相違が、後にいたましい悲劇の重大要素となり、この物語の骨子ともなるのだから、軽々しく見逃すことは出来ないのだ。
血液型殺人事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
いたましくも悩める君をのみわれは求むる。狂ひて叫ばん唇に、消えも失せなん心して、わが愛する人よ。泣きたまへ。ただ泣きたまへ。
従者 はいはい今申し上げまするが……あ、いたましや。……それからでござります。……よろしゅうござりますかお嬢様。
レモンの花の咲く丘へ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
彼が教壇の上に立って、讃美歌を捧げる時のその声は、高い、太い声だけれど、またいたましい、かなしみをんだ何処どこやら人に涙を催させるような処があった。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
耳朶みみたぼ黒子ほくろも見えぬ、なめらかな美しさ。松崎は、むざとたかって血を吸うのがいたましさに、蹈台ふみだいをしきりに気にした
陽炎座 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
殊にいたましいのはその眼の色で、これはぼんやりした光を浮べながら、まるで屋根の向うにある、際限ない寒空でも望むやうに、いたづらに遠い所を見やつてゐる。
枯野抄 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
皇軍の戦果の偉大さに比べて、感傷過多の報道は、その貧しさに於ていたましすぎるものがある。
文章のカラダマ (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
それよりもかの島村抱月先生の寂しいいたましい死や、須磨子の悲劇的な最期やを思い、更に島村先生晩年の生活や事業やをしのんでは、常に追憶の涙を新たにせざるを得ないのだ。
早稲田神楽坂 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
昨日きのふよりも色が蒼く、眼が物狂はしいやうな、不気味な色を帯びてゐた。瑠璃子もなるべく父の顔を見ないやうに、俯いたまゝ食事をした。それほど、父の顔はいたましくみじめに見えた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
それほど女というものの考え方なぞがくずれて行った時でも、冷然として自己の破壊に対するいたましい観察者の運命に想い到った時でも、なお彼はデカダンとして自分を考えたくないと思っていた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
勸めて看病かんびやう暫時しばし油斷ゆだん有ね共如何成事にや友次郎が腫物しゆもつは元の如くにて一かうくちあかいたみは少づつゆるむ樣なれども兎角に氣分きぶんよろしからずなやみ居けるぞいたましや友次郎も最早日付にしても江戸へつかるゝ處迄て居ながらなさけなき此病氣びやうきと心のみはやれども其甲斐かひなく妻のお花も夫の心を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
冬の闇夜やみよに悪病を負う辻君つじぎみが人を呼ぶ声のいたましさは、直ちにこれ、罪障深き人類のみがたき真正まことの嘆きではあるまいか。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
あるものと云えば悲哀である。またいたましい懺悔ざんげである。多くの信者達は、役ノ行者と光明優婆塞との、その二人の具象化として、この石像を尊んだ。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そうして再びこの小さなカンヴァスの中に、恐しい焦躁しょうそうと不安とにさいなまれているいたましい芸術家の姿を見出した。
沼地 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
瑠璃子もなるべく父の顔を見ないように、うつむいたまゝ食事をした。それほど、父の顔はいたましくみじめに見えた。昼の食事に顔を合した時にも、親子は言葉らしい言葉は、交さなかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
雪の上は灰色に凍って、見渡すかぎり、寂莫じゃくまくとしている。その時私の母は四十幾つであった。脊の低いやせた人柄であった。私はいまだに当時のあたりのいたましい景色が身に浸みていて忘れられない。
北の冬 (新字新仮名) / 小川未明(著)
その時はこう云う彼のことばも、単に一場の口頭語として、深く気にも止めませんでしたが、今になって思い合わすと、実はもうそのことばの中にいたましい後年の運命の影が
開化の良人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ありとあらゆる悪人は皆いたましい懺悔者なのだ。懺悔しながら悪事をする。悪事をしながら懺悔をする。懺悔と悪事の不離不即、これが彼らの心持ちだ。同時に俺の心持ちだ。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
早や真白まっしろになったびんの毛と共に細面ほそおもての長い顔にはいたましいまで深いしわがきざまれていたけれど、しかし日頃の綺麗好きれいずきに身じまいを怠らぬ皮膚の色はいかにもなめらかにつやつやして
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
之迄これまででさへ、父と父との感情に、暗い翳のあることは、恋する二人の心を、どんなにいたましめたか分らない。それだのに、今日はその暗い翳が、明らさまに火を放つて、爆発を来したらしいのである。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
宇左衛門は、いたましそうな顔をして、修理を見た。が、相手は、さらに耳へ入れる容子ようすもない。
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
しか一思ひとおもいにいさぎよく殺され滅されてしまうのではなく、新時代の色々な野心家のきたならしい手にいじくり廻されて、散々なぐさまれはずかしめられた揚句あげくなぶり殺しにされてしまういたましい運命。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
之迄これまででさえ、父と父との感情に、暗いかげのあることは、恋する二人の心を、どんなにいたましめたか分らない。それだのに、今日はその暗い翳が、明らさまに火を放って、爆発をきたしたらしいのである。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
こうしていつか真昼も過ぎ、晩鴉よがらす虚空を渡りながらねぐらを求めて啼く声が、とどろく渓流の音に和して、旅人の心をいたましめる夕暮れ時に近づいても贄川は愚か、洗馬へさえも、至り着くことが出来なかった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
私はこの小さな油画の中に、鋭く自然をつかもうとしている、いたましい芸術家の姿を見出した。
沼地 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
雨は急に降りまさって来たと見えて軒を打つ音と点滴の響とが一度に高くなったが、母は身動きもせずすやすやと眠っている。しかしそれは疲れ果てて昏睡こんすいしたいたましい寝姿ではない。
寐顔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
役人は勿論見物すら、この数分のあいだくらいひっそりとなったためしはない。無数の眼はじっとまたたきもせず、三人の顔に注がれている。が、これはいたましさの余り、誰も息を呑んだのではない。
おぎん (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
決して許さない。こゝにもいたましい矛盾がある。
歓楽 (旧字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
大空に向ひていたましき声を上ぐれば
夕暮は賢者に取りていたましき灰ならず