修業しゅぎょう)” の例文
からすさん、わたしは、三ねんあいだそらうえんでゆく稽古けいこをしました。そして、いまは、あめにもかぜにもひるまぬ修業しゅぎょうみました。
紅すずめ (新字新仮名) / 小川未明(著)
やがて年季ねんきがあけて、いよいよ国ぐにをまわって修業しゅぎょうして歩こうというときになりますと、親方おやかたが小さなテーブルをこのむすこにくれました。
きっと石太郎は、学校がひけると、毎日是信さんとそういう情景をくり返しながら、修業しゅぎょうをつんでいるのだろう。まったくかれは屁の名人だ。
(新字新仮名) / 新美南吉(著)
支那しな四川省しせんしょうの奥で修業しゅぎょうをしたと云うんだ。気合をかけるとじぶんみゃくがとまるよ、仰向あおむいて胸をらして力を入れると、肋骨ろっこつがばらばらになるそうだ。
仙術修業 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
人間は手足を動かしても一種の興味を感じ得らるるものだ、いわんや心を動かして興味のないということがあるものか、昔は修業しゅぎょうに出ることを遊学というたよ。
廃める (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
月日たつにつれ自然出家しゅっけの念願起りきたり、十七歳の春剃髪ていはつ致し、宗学修業しゅぎょう専念に心懸こころがけあいだ、寮主雲石殿も末頼母たのもしき者に思召おぼしめされ、ことほか深切しんせつに御指南なし下され候処
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
こうして、このつらいお弟子でし修業しゅぎょうのおかげで、わたしは少年時代に、たいていの困難こんなんに打ち勝ってゆく力をやしなうことのできたのは、あとで思えばひじょうな幸福であった。
はい、万々一まんまんいちわたくしがけるようなことがございましたら、それこそわたくしのいただいておりますおやくくらいのこらずおかえもうげて、わたくしは童子どうじ弟子でしになって、修業しゅぎょうをいたします。
葛の葉狐 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
が、一人ひとり幼児おさなご母胎ぼたい宿やどったときに、同一系統どういつけいとう竜神りゅうじんがその幼児おさなご守護霊しゅごれいまた司配霊しはいれいとしてはたらくことはけっしてめずらしいことでもない。それが竜神りゅうじんとして大切たいせつ修業しゅぎょうひとつでもあるのじゃ……。
ところで壮士坊主というのはもちろん学問を修業しゅぎょうするだけの学資金がない。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
決してキリスト教からとおざかろうとはしませんけれど、氏の元来がんらいが、キリスト教より、仏教の道を辿たどるに適して居ないかと思われる程、近頃の氏の仏教修業しゅぎょうが、いかにも氏に相応ふさわしく見受けられます。
『——修業しゅぎょうして来い、両三年』
御鷹 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのうちに、うえのほうの子供こどもたちは、六ねん修業しゅぎょうえて、学校がっこうからてゆきました。そして、また、おさな子供こどもたちが、あたらしくはいってきました。
学校の桜の木 (新字新仮名) / 小川未明(著)
鉋太郎かんなたろうこたえました。これは、江戸えどから大工だいく息子むすこで、昨日きのうまでは諸国しょこくのおてら神社じんじゃもんなどのつくりをまわり、大工だいく修業しゅぎょうしていたのでありました。
花のき村と盗人たち (新字新仮名) / 新美南吉(著)
わたしがあれにさずけている世間の修業しゅぎょうは、あれにとって、あなたがたといるよりもずっといい、はるかにいいのだ。あなたはあれに教育を授けてくださるでしょう。それはほんとうだ。
さて、ろくろ細工ざいく職人しょくにんがしごとをならいおぼえて、いよいよ修業しゅぎょうの旅にでかけようというとき、親方おやかたは、おまえはたいへんよくはたらいたからといって、ふくろをひとつくれました。そして
わたしは、けっして、うそをつきません。やまにいて、いろいろほかの人間にんげんのできないことを修業しゅぎょうしました。
あほう鳥の鳴く日 (新字新仮名) / 小川未明(著)
むかしから、そのしまへいってみたいばかりに、かみがんをかけてかいとなったり、三ねんあいだうみなか修業しゅぎょうをして、さらに白鳥はくちょうとなったり、それまでにして、このしまあこがれてんでゆくのであった。
明るき世界へ (新字新仮名) / 小川未明(著)