佃島つくだじま)” の例文
その頃は父も閑散かんさんな身となって佃島つくだじまにすんで土いじりをしていたので、一所に植木いじりはしていたが——たまたまいきな客などが来て
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
この石川島はほぼ三角形で、東に石川大隅守おおすみのかみの屋敷、西に佃島つくだじまが、それぞれ堀を隔ててあり、北が大川口おおかわぐち、南には海がひろがっていた。
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
銀座から築地へ歩き、渡船に乗り、佃島つくだじまへ渡ることが、よく、あった。この渡船は終夜運転だから、帰れなくなる心配はない。
日本文化私観 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
これだけは以前に変らぬ眺めであったが、自分の眼はたちま佃島つくだじま彼方かなたから深川へとかけられた一条ひとすじの長い橋の姿に驚かされた。
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
日本橋からさきは八丁堀、霊岸島、新川、新堀、永代際まで、築地の御門跡から海手、木挽町こびきちょうの芝居も、佃島つくだじまもすっかり焼けてしまいました。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
遠洋へ乗り出してくじらの群を追ひ廻すのは壮快に感ぜられるが佃島つくだじま白魚舟しらうおぶねかがりいて居る景色などは甚だ美しく感ぜられる。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
私もね、ありようは持っていましてね、佃島つくだじまへおまいりをする時ぐらいしか使わないもんですからね、今でも、通用するだろうと思いましてね
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
楫取の弥之助というのが、ついこの春、佃島つくだじまの船宿のお静という末むすめを女房にもらったンですが、これが三年越し思いあったというえらい恋仲。
顎十郎捕物帳:13 遠島船 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
長谷川時雨女史はせがわしぐれじょしの実験談であるが、女史が佃島つくだじまにいたころ令妹れいまいの春子さんが腸チブスにかかって離屋はなれの二階に寝ていたので、その枕頭まくらもとにつきっきりで看護していた。
疫病神 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
いつもはわざと住居から遠くはなれて秘密な恋を味い喜んだあの佃島つくだじまで私ははっきり切れ話を持ち出した。時子のなげきがどんなであったか、それは想像に委せる。
三角形の恐怖 (新字新仮名) / 海野十三(著)
賭博兇状ばくちきょうじょう強迫兇状ゆすりきょうじょうがありました故其の者は二人とも佃島つくだじまへ徒刑になりました。
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
随って昔のおもかげは明治半ばにおおよそ退転、まず旧永代えいたいは無論木橋でやや上流の箱崎町寄り、橋の上から下流を見ると、まだ月島の埋立地はなく佃島つくだじまだけで、今よりもよく海が見えた。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
この亀島町辺も三百年位前は海の浅瀬だったのを、神田明神のある神田山の台を崩して、その土で埋めて慥えたものである。それより七八十年前は浅草なぞは今の佃島つくだじまのように三角洲デルタだった。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
一、松平大膳太夫だいぜんだゆう様、(長州藩主)鉄砲洲てっぽうずおよび佃島つくだじま
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
佃島つくだじまでは例年の通り狼烟のろし稽古けいこの始まる頃とて、夕涼かたがたそれをば見物に出掛ける屋根船猪牙舟ちょきぶねは秋の木葉このはの散る如く河面かわもせに漂っていると
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その船は中洲へ着いたのであるが、六の死躰は干潮時に流され、佃島つくだじまの岸のくいにひっかかってい、水玉模様の仕着で、すぐに寄場へ知らせがあった。
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
だが、また、佃島つくだじまから、渡舟わたしでわたって来た盆踊りは、この界隈かいわいの名物で、異境にある外国人とつくにじんたちを悦ばせもした。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
様子を聞くと、伝がこの事を意趣にして、子分子方の奴等がしょっちゅう附け廻すんだそうですから、私あ堪らなくなって、舟賃を一銭ひゃく出して、川尻を渡って佃島つくだじまげました。
三枚続 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
芸者の揃いの手古舞てこまい姿。佃島つくだじま漁夫りょうし雲龍うんりゅう半纏はんてん黒股引くろももひき、古式のいなせな姿で金棒かなぼうき佃節を唄いながら練ってくる。挟箱はさみばこかついだ鬢発奴びんはつやっこ梵天帯ぼんてんおび花笠はながさ麻上下あさがみしも、馬に乗った法師武者ほうしむしゃ
有名なのは十二年の暮、日本橋箔屋町から出て佃島つくだじままで焼いた大火。全焼八千余戸、次は十四年一月二十五日、神田松枝町俗にお玉ヶ池の大火、これが一万五千余戸で大正震災以前のレコード。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
住吉すみよし移奉うつしまつ佃島つくだじまも岸の姫松のすくなきに反橋そりばしのたゆみをかしからず宰府さいふあがたてまつる名のみにして染川そめかわの色に合羽かっぱほしわたし思河おもいかわのよるべにあくたうずむ。
川上の佃島つくだじまのほうに、舟で燃す火がぼっとかすんで、点々と五つ六つ見えた。白魚網しらうおあみだろう、そのあたりから水面を伝って、人の声がとぎれとぎれに聞えて来る。
寒橋 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
私の父は晩年を佃島つくだじまの、相生橋畔あいおいばしのほとりに小松を多く植えて隠遁いんとんした。湯川氏夫妻もおなじ構内かまえうちに引取られた。
こりゃ何ですって、佃島つくだじまの弁天様の鳥居前に一人で葦簀張よしずばりを出しているんですって。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
例へば東都駿河台とうとするがだいの図、佃島つくだじまの図、あるひは武州多摩川ぶしゅうたまがわの図の如き、一見づ日本らしからぬ思ひあり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
佃島つくだじまの家にいることがすくなくなって、あらたに、母の住むようになった、鶴見つるみの丘の方のうちにいたし、佃島しまでは出入りに不便でもあるので、小石川に大きな邸をもって
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
屋根をかけた、一そうの小舟が、佃島つくだじまの南の海面を、しきりに、右へ左へと、こぎまわっていた。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
この、築地橋の下を流れる川の両岸は、どっちから行っても佃島つくだじまへむかう、明石町河岸あかしちょうがしへ出た。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
そのおけいの顔へ、宇之吉がのしかかるような姿勢になり、うっとのどへ声の詰るのが聞えた。……みぎわではしきりに波の音がし、闇の向うに佃島つくだじまの燈がちらちらとまたたいていた。
追いついた夢 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
いわ佃島つくだじま深川万年橋ふかがわまんねんばし本所竪川ほんじょたてかわ、同じく本所いつ羅漢寺らかんじ千住せんじゅ、目黒、青山竜巌寺あおやまりゅうがんじ、青山穏田水車おんでんすいしゃ神田駿河台かんだするがだい日本橋橋上にほんばしきょうじょう駿河町越後屋店頭するがちょうえちごやてんとう浅草本願寺あさくさほんがんじ品川御殿山しながわごてんやま
講釈の寄席よせへ昼寝をしにゆくのを毎日の仕事にしていたが、あんまり口やかましいので、佃島つくだじまの庭の梅が咲いたからお訪ねなさい、桜がよいでしょうから行ってらっしゃいと
座敷の数も下に小さいのが三つ、二階に八帖と六帖があるだけだが、表の八帖は大川に面しており、縁側へ出れば広い川口と、佃島つくだじまをまぢかに、品川沖までの海が眺められる。
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
(訳者思ふにこれ永代橋下の猪牙船ちょきぶねを描ける「東都名所佃島つくだじま」と題する図のことなり。)
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
築地つきぢ河岸かしの船宿から四挺艪しちやうろのボオトを借りて遠く千住せんじゆの方まで漕ぎのぼつた帰り引汐ひきしほにつれて佃島つくだじまの手前までくだつて来た時、突然むかうから帆を上げて進んで来る大きな高瀬船たかせぶねに衝突し
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
鏡花さんが水がきらいで私の住んでいた佃島つくだじまうちが、海潚つなみに襲われたとき、ほどたってからとても渡舟わたしはいけないからと、やっとあの長い相生橋あいおいばしを渡って来てくださったことを思出したり
江木欣々女史 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
築地つきじ河岸かしの船宿から四梃艪しちょうろのボオトを借りて遠く千住せんじゅの方まで漕ぎのぼった帰り引汐ひきしおにつれて佃島つくだじまの手前までくだって来た時、突然むこうから帆を上げて進んで来る大きな高瀬船たかせぶねに衝突し
佃島つくだじまの砂の上にボオトを引上げ浸水をかい出しながら相談をした。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)