“遺物(ゐぶつ)” の例文
私はちよつと苦(にが)い笑ひになつた。おばあさんの貯金帳には次兄の遺物(ゐぶつ)を賣り拂つたお金が、三百圓そこそこしか殘つてゐない筈だつた。
おばあさん (旧字旧仮名) / ささきふさ(著)
『すると、あの石(いし)の斧(をの)や石(いし)の鏃(やぢり)や、あれ等(ら)と同時代(どうじだい)の製作(せいさく)ですか』と聞(き)いて見(み)ると。『然(さ)うです、三千年(ねん)前(ぜん)のコロボツクル人種(じんしゆ)の遺物(ゐぶつ)です。 ...
石鏃は石器時代遺跡(ゐせき)に於て他の遺物(ゐぶつ)と共(とも)に存在(ぞんざい)するを常とすれど、左の諸所にては山中に於て單獨(たんどく)に發見されし事有るなり。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
臺所から十歩ばかりで井戸がある。井戸は舊(きう)時代の遺物(ゐぶつ)と謂ツても可い車井戸で、流しの板も半腐(はんぐさり)になツて、水垢(みづあか)と苔(こけ)とで此方から見ると薄ツすり青光(あをひかり)を放ツてゐた。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
それから五人(にん)、手分(てわけ)をして、窟内(くつない)を隈(くま)なく調査(てうさ)して見(み)ると、遺骨(ゐこつ)、遺物(ゐぶつ)、續々(ぞく/″\)として發見(はつけん)される。それを過(あや)まつて踏(ふ)みさうに爲(す)る。大騷(おほさは)ぎだ。
余は貝塚に於ける遺物(ゐぶつ)に就(つい)て動物性食物の原料(げんれう)を調査(てうさ)したり。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
但(たゞ)し斯(か)ういふ話(はなし)の出(で)た時(とき)は、餘(あま)り遺物(ゐぶつ)の出(で)ない時(とき)で、土器(どき)の顏(かほ)でも貝層(かひさう)から出(で)やうものなら、呼吸(こきう)をするのさへ忘(わす)れる位(くらゐ)。
活東子(くわつとうし)は鼻(はな)を蠢(うご)めかして『いや、之(これ)は、埴輪(はにわ)よりずツと古(ふる)い時代(じだい)の遺物(ゐぶつ)です。石器時代(せききじだい)の土器(どき)の破片(はへん)です』と説明(せつめい)した。
されば余(よ)として、終生(しふせい)忘(わす)るゝ事(こと)の出來(でき)ぬのは、この權現臺(ごんげんだい)の遺跡(ゐせき)で、其所(そこ)の地(ち)を踏(ふ)む時(とき)は勿論(もちろん)、遺物(ゐぶつ)の一片(ひとひら)を手(て)にしても、直(す)ぐと其當時(そのとうじ)を思出(おもひいだ)すのである。
初心(しよしん)の發掘(はつくつ)としては此(こ)の權現臺(ごんげんだい)は大成功(だいせいこう)であつた。無論(むろん)遺物(ゐぶつ)が豐富(ほうふ)でも有(あ)つたのだが、宅(たく)から近(ちか)いので、數々(しば/″\)行(ゆ)き得(え)られたのと、人手(ひとで)が多(おほ)かつたのも勝利(しやうり)の原因(もと)であつた。
今(いま)まで注意(ちうい)せずに何度(なんど)も/\歩(ある)いて居(ゐ)た其路(そのみち)から、三千年(ねん)前(ぜん)の遺物(ゐぶつ)を幾個(いくこ)となく發見(はつけん)するので、何(な)んだか金剛石(こんがうせき)がゴロ/\足下(あしもと)に轉(ころ)がつて居(ゐ)る樣(やう)な氣持(きもち)までして、嬉(うれ)しくて溜(たま)らなかつた。
『當(あた)つたぞ/\』と山頂(さんてう)は大歡呼(だいくわんこ)である。余等(よら)は夢中(むちう)に成(な)つて、驅上(かけあが)つて見(み)ると、出(で)たのは出(で)たが、古墳(こふん)には無關係物(むくわんけいぶつ)で、石器時代(せきゝじだい)の遺物(ゐぶつ)たる、石棒頭部(せきぼうとうぶ)(緑泥片岩(りよくでいへんがん))源平時代(げんぺいじだい)の五輪塔(りんとう)の頭部(とうぶ)。
遺物(ゐぶつ)を踏(ふ)み掛(か)ける。遺骨(ゐこつ)を踏(ふ)み掛(か)ける。窮屈千萬(きうくつせんばん)だ。