)” の例文
胃についてい得べき事は、惣身そうしんについても道い得べき事である。惣身について道い得べき事は、精神についてもい得べき事である。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかしことさらに「う」という語を選んだところに、我々は言語による表現の重んぜられていることを看取しなくてはならぬ。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
湖山はこの行を送って、「莫道羊腸行路険。也勝百折世途難。」〔フ莫カレ羊腸ノ行路険シク/またまさル百折ノ世途ノかたキニト〕と言った。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
いましふ所の如くば、の勝たむこと必ずしからむ。こころねがふは、十年百姓をつかはず、一身の故を以て、万民おほむたからわづらはしいたはらしめむや。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
太史公たいしこういはく、世俗せぞくしようするところ(一一二)師旅しりよは、みな孫子そんし十三ぺん呉起ごき兵法へいはふふ。おほり、ゆゑろんぜず。其行事そのかうじ施設しせつするところものとをろんず。
虁龍きりゅう高位に在りは建文帝をいう。山霊蔵するをゆるさず以下数句、燕王えんおう召出めしいだされしをいう。神龍氷湫より起るの句は、燕王崛起くっきの事をいう。い得てなり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
くど/\二言ふたこと三言みこと云うかと思うと、「それじゃまた」とお辞儀じぎをして往ってしまった。「弟が発狂した」が彼の口癖くちぐせである。弟とはけだし夫子ふうしみずからうのであろう。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
蘭軒は平生大声ではなし、大声で笑つた。俗客のかどに来るときは、諸生をして不在とはしめた。諸生が或は躊躇すると、蘭軒は奥より「留守だと道へ」と叫んだ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
而して又た、少しく禅道を謂ふものあらば、即ち固陋ころうなりと罵り、少しく元禄文学をふものあらば、即ち苟且かりそめの復古的傾向なりと曰ふ。嗚呼不幸なるは今の国民かな。
国民と思想 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
東坡もとより牧之の詩をぬすむ者に非ず、然かもつひに是れ前人已に之をへるの句、何んすれぞ文潜之を愛するの深きや、豈に別におもふ所あるか。いささか之を記し以て識者をつ。(老学庵筆記、巻十)
『西遊記』第十三回〈虎穴に陥って金星厄をとりのぞく〉といえる条に「〈伯欽う風哬是個の山猫来れり云々、只見る一隻の班爛虎〉」とあり云々」、これも伯欽が勇をたのんで虎を山猫と蔑語したのだ。
門を出づれば禅林にうそぶく風が、「え」と言うが如く聞える。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
還って剣を収得するや否や? え。道え。道わなければ、——
上海游記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
想ふに平生筆をることの極めて自在なるより、期せずしてひ得たのであらう。妹姪まいてつは未だその誰々たるかを知らない。しかし井上氏きやうが其中にあつたことは明である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
し我を以て天地を律すれば一口ひとくちにして西江せいこうの水を吸いつくすべく、し天地を以て我を律すれば我はすなわ陌上はくじょうの塵のみ。すべからくえ、天地と我と什麼いんもの交渉かある。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
これは是れ伊川いせんみずからこの説を造って禅学者をう、伊川が良心いずくにかる、と云い、かんを以て天をうかがうが如しとは夫子ふうしみずからうなりと云い、程夫子ていふうし崛強くっきょう自任じにんす、聖人の道を伝うる者
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
道得とは「い得る」ことである。進んでは菩提の道を道い得ることである。従って真理の表現、真理の獲得の意味にもなる。ここでも道元は、これらのすべての意味を含めてこの語を使った。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
休道詩人無艶分 なか詩人しじん艶分えんぶんしと
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
簡潔にすぱすぱとやぶってくれるのがどこかにいればいいがと思った。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)