足柄あしがら)” の例文
夕陽の中に富士足柄あしがらを望みし折の嬉しさなど思い出してはあの家こそなど見廻すうちにこゝも後になり、大磯おおいそにてはまた乗客増す。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「飛んだことになりました、生憎相談相手もなく、肝腎の岡さんは三日前から、足柄あしがらへ用事があつて出かけ、明日でなければ戻りません」
ここから先にも、清見潟きよみがた、黄瀬川、足柄あしがら、大磯小磯、そして鎌倉口の仮粧坂けわいざかまで、ほとんどみちの花を見かけない宿場はない。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その一人は例のサンカので、相州の足柄あしがらで親にてられ、甲州から木曾きその山を通って、名古屋まできて警察の保護を受けることになった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
足柄あしがらの箱根の山の中には数え切れぬほどの不逞ふていやからどもが蟠居ばんきょしているのだそうだ。いつ我々に対して刃向はむかって来るか分ったものではない。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
「おお、足柄あしがら君。わしは山形警部だが、大至急そのへんの家から、服を借りて来て、わしに着せてくれ。風邪かぜをひきそうだ。はァくしょん!」
超人間X号 (新字新仮名) / 海野十三(著)
足柄あしがらえんのありさうなやまのかみは、おかゝのでんぶをつまらなさうにのぞきながら、バスケツトにもたれてよわつてる。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
東の窓からは近く香貫かぬき徳倉とくらの小山が見え、やゝ遠く箱根の圓々しい草山から足柄あしがらの尖つた峰が望まるゝ。北の窓からは愛鷹山あしたかやまを前に置いた富士山が仰がるゝ。
樹木とその葉:04 木槿の花 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
わたくしはやっと病褥びょうじょくを出たが、医者から転地療養の勧告を受け、学年試験もそのまま打捨て、父につれられて小田原の町はずれにあった足柄あしがら病院へ行く事になった。
十六、七のころ (新字新仮名) / 永井荷風(著)
日の西に入りてよりほどたり。箱根足柄あしがらの上を包むと見えし雲は黄金色こがねいろにそまりぬ。小坪こつぼうらに帰る漁船の、風落ちて陸近ければにや、を下ろし漕ぎゆくもあり。
たき火 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
足柄あしがら彼面此面をてもこのもわなのかなるしづみあれひもく 〔巻十四・三三六一〕 東歌
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
悉く惡い蝦夷えぞどもを平らげ、また山河の惡い神たちを平定して、還つてお上りになる時に、足柄あしがらの坂本に到つて食物をおあがりになる時に、その坂の神が白い鹿になつて參りました。
相模よりさきへは行かなかつたらしいが、これは古の事で上野は碓氷うすひ、相模は箱根足柄あしがらが自然の境をなしてゐて、将門の方も先づそこらまで片づけて置けば一段落といふ訳だつたからだらう。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
大阪の天王寺かぶら、函館の赤蕪あかかぶら、秋田のはたはた魚、土佐のザボン及びかん類、越後えちごさけ粕漬かすづけ足柄あしがら唐黍とうきび餅、五十鈴いすず川の沙魚はぜ、山形ののし梅、青森の林檎羊羹りんごようかん越中えっちゅう干柿ほしがき、伊予の柚柑ゆずかん備前びぜんの沙魚
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
「当時、私は大尉で、『足柄あしがら』の副長付をしていた」
あなたも私も (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「飛んだことになりました、生憎あいにく相談相手もなく、肝腎の岡さんは三日前から、足柄あしがらへ用事があって出かけ、明日でなければ戻りません」
それは足柄あしがら山の明神が生意気な山だといって、足を挙げて蹴くずされたので、それで足高は低くなったのだといっております。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
もし、それに間に合っていたなら、足柄あしがら山上から黄瀬川谷へかけ、尊氏の軍はそのとき限り時代の墳墓に埋没され去ッていたことであったろう。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
次第高になつてゆく愛鷹あしたか足柄あしがらとの山あひの富士の裾野がずつと遠く、ものゝ五六里が間は望まれるのである。然し、その日は私は頂上まで行き度くなかつた。
そのすき目懸めがけて、摩耶まやを司令艦とする高雄たかお足柄あしがら羽黒はぐろなどの一万噸巡洋艦は、グングン接近して行った。まとねらうは、レキシントン級の、大航空母艦であった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
しかも眞夜中まよなか道中だうちうである。箱根はこね足柄あしがらときは、内證ないしよう道組神だうそじんをがんだのである。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そこより入りでまして、悉に荒ぶる蝦夷えみしども一四を言向け、また山河の荒ぶる神どもを平け和して、還り上りいでます時に、足柄あしがらの坂もとに到りまして、御かれひきこす處に、その坂の神
足柄あしがらの山に手を出すわらびかな
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
山姥が坂田公時さかたのきんときの母であり、これを山中に養育したという話が、特に相州足柄あしがらの山に属することになったのも、また全然同じ事情からであろうと思う。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
覚一の杖の端を持って、おなじ足幅あしはばで彼女も歩いた。時には、馬の背も借りたり、足柄あしがらを越え、富士川天龍も渡って、その夕べ、豊川で宿やどをさがしていた。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
むくつけき足柄あしがら男と、江戸の町家の祕藏娘では、いかにも互の理解はむづかしさうです。
この野原を見るには足柄あしがら連山のうちの乙女峠、または長尾峠からがいゝ。
日本艦隊の加古かこ古鷹ふるたか衣笠きぬがさ以下の七千トン巡洋艦隊は、その快速を利用し、那智なち羽黒はぐろ足柄あしがら高雄たかお以下の一万噸巡洋艦隊と、並行の単縦陣型たんじゅうじんけいを作って、刻々こくこくに敵艦隊の右側うそくねらって突き進んだ。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
さきの箱根、足柄あしがらの苦杯を彼は忘れ難い。あのときの戦略的な“読ミ”の不足は大将として恥ずべきだった。だから今はその逆に出た急襲といえなくもない。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いわく矢立峠古くは矢立杉と称す。杉の老木ありて柵をめぐらせり。昔田村将軍この杉の木に矢を射立て木の半身をもって奥羽の境と定む云々。『落葉集』巻十七に相州足柄あしがらに矢立の杉あり。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
下男友吉人別にんべつを調べるまでもなく、相州足柄あしがら山で熊の子と角力を取つて育つたやうな男、まだ二十六の若い感じで、鹽原多助のやうな心持で江戸へ出て來たのを、兩國でポン引きにしてやられ
箱根、足柄あしがらと、各〻郎党や駒をひきつれて西へ急ぐ他の部隊をながめても、磨墨ほどな逸物は見あたらない。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十里木越じゅうりぎごえをして須山から足柄あしがら道へ出た古道は、やはり鉄道の通っている今の海岸の砂原があまりに浮島の原であったために、いっそのこと思い切って山に入ったので、伊豆の国府の道順を考えると
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
旅行者は絶え、駅路のおさや役人も、みな逃げ去ったか、姿も影も見せない。——こんなわけなので、征夷大将軍忠文自身が、足柄あしがらノ関へかかるのさえ、容易でなかった。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
直義は足柄あしがらを駈けくだって海道の救援に向ったが、しょせん、味方の収拾はつかなかった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして今日、黄瀬川に駐屯して、明日は足柄あしがらをこえ、鎌倉へ帰って行く途中であった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)