発句ほっく)” の例文
旧字:發句
初雪やこれが塩なら大儲おおもうけ——という発句ほっくを作った奴があるが、あの鯱なんぞは、全部が本物だから大したものじゃないか、がんりき
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
お絹お常のまめまめしき働きぶり、幸衛門の発句ほっくと塩、神主のせがれが新聞の取り次ぎ、別に変わりなく夏過ぎ秋きて冬も来にけり。
置土産 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
日本では第一高等学校を一高という類の略語が通用しているから、「俳諧の連歌れんが発句ほっく」を略して俳句というのも気がいている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
どこへ行くにも矢立てを腰にさして胸に浮かぶ発句ほっくを書き留めることを忘れないようなところは、風狂を生命とする奇人伝中の人である。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ことに俳諧から発句ほっくというものが独立するようになってから、ほとんど専門的に景色を諷詠する文学が興って来るようになりました。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
我この言を聞いて思ひ見るに、こは田打たうちを春の季としたるが始めにて、後に畑打をも同じ事のやうに思ひ誤りたるならんか。連歌れんが発句ほっくにも
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
きょうは夕方から深川に発句ほっく運座うんざがあるので、まずお絹の病気を見舞って、それから深川へまわろうと、彼はひるさがりに屋敷をぬけ出した。
両国の秋 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
森「嘘じゃアありやせん、このふみを出して、うか返事を下さいってんでさア、返事が面倒なら発句ほっくとかんとか云うものでもおやんなせえ」
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
立って来たのは、町内の庵室に行い済ましている蓼斎居士りょうさいこじという、発句ほっくも詠めば、経も読むといった法体の中年男でした。
江戸から九里あまりほどある岩槻藩の大岡兵庫頭おおおかひょうごのかみ、二万三千石のお徒士組かちぐみで、なかなかやかましい武士さむらいなのだけれど、発句ほっくをもてあそんだりして
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
それについて私の歌とか先生の歌とか発句ほっくとかいうようなものが沢山出来ましたが、この紀行はチベット探検には関係がないから略して置きます。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
貧乏を十七字に標榜ひょうぼうして、馬の糞、馬の尿いばりを得意気にえいずる発句ほっくと云うがある。芭蕉ばしょうが古池にかわずを飛び込ますと、蕪村ぶそんからかさかついで紅葉もみじを見に行く。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
落語に、商家の子息が発句ほっくに凝って締出しをくう、と、向うの家の娘も歌留多カルタの集りで遅くなって家へはいれない。
あなたが発句ほっくをつくるので考え込むから、おやすが真似をして溜息をつくと、間違った抗議をしたものだった。
または「はや悲し吉原いでゝ麦ばたけ。」とか、「吉原へ矢先そろへて案山子かかしかな。」などいう江戸座の発句ほっくを、そのままの実景として眺めることができたのである。
里の今昔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
奥州のはてからも実隆に発句ほっくを所望して来る者があった。日記にはある巡礼男の同地方から訪ね来たった例をしるしている。岩城家の息女も歌を持ち来たって合点を所望した。
最寄もより々々の城から招いて連歌一座所望したいとか、発句ほっく一首ぜひとか、しかもそれがあす合戦に出かける前日に城内から所望されたなどという連歌師の書いた旅行記がありますよ。
東海道五十三次 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
連作とは連歌れんが俳諧はいかいごときものであろう。第一の発句ほっくは余り限定的でない方がよろしい。わきはこれをいかようにも受けとるであろう。第三はまたそれを別の方向に転化するであろう。
「悪霊物語」自作解説 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「要するに発句ほっくなんてものは現代生活に没交渉だという証明さ。あゝ、腹がった」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
娯楽なぐさみにやるのなら何でもいいわけだが、それにしても、和歌とか発句ほっくとか田舎にいてもやれて、下手へたなら下手なりに人に見せられるようなものをやった方がおもしろかろうじゃないか。
入江のほとり (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
あきれたもんだ。油が抜けると、じき年寄りというやつは、歌だの発句ほっくだのというからきれえですよ。でも、子どもはまったく罪がねえや。捨てられたとも知らねえで、にこにこしながら、あめを
そのほか発句ほっくも出来るというし、千蔭流ちかげりゅうとかの仮名かなも上手だという。それも皆若槻のおかげなんだ。そういう消息を知っている僕は、君たちさえ笑止しょうしに思う以上、あきれ返らざるを得ないじゃないか?
一夕話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「さあ、殿、ひとつ御発句ほっくを……」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
といった程度の文章で、歌もなければ、発句ほっくもない。文学的感傷めいたひらめきは一つも現われて来ないのだから、問題になりません。
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
多分出来ないからだろうと思うが、事実また作ってみようともしなかったので、一言でいうならば発句ほっくはきらいである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
発句ほっくと最後の一句を除きて外は各句両用なるを以て、歌仙には三十五首の歌(則ち長句短句合したる者)あり、百韻には九十九首の歌あるわけなり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
こいつも今にああなって、猫の恋とかいう名を付けられて、あなた方の発句ほっくの種になるんですよ。猫もまあこの位の小さいうちが一番可愛いんですね。
半七捕物帳:12 猫騒動 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その時、老人は日ごろ書きためた自作の和歌や発句ほっくを持ってきてわたしに見せてくれました。じょうずとは言えないまでも、正直に思いをのべたものでした。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この人は嘘を云う男じゃないから、大丈夫ですよ今に何か書きますよと笑っている。余はまた世間話をしながら、その間に発句ほっくでも考え出さなければならなくなった。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
子規居士は手紙の端にいつも発句ほっくを書いてよこし、時には余らに批評を求めた。余らは志が小説にあるのであるから更にこの発句なるものに重きを置くことが出来なかった。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
伊「そんな怖い顔をしなくってもいじゃアないか、私が悪ければこそ斯んなさみしい処に来て、小さくなってるので、あんま徒然とぜんだから発句ほっくでもろうと思ってちょいと筆を取ったのだよ」
「それじゃ当然あたりまえ発句ほっくに読むほどのこともない。何うも僕には発句は分らない」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
蕪湖ウウフウ住みをするようになったら、発句ほっくでも一つ始めるかな。」
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「はあ、そうですか——鳴海というのは、おいらもよく歌や、発句ほっくで覚えているが、ここがその鳴海というところなんですか」
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
お絹は林之助が発句ほっくを作ることをふと思い出した。あしたの晩は月を観て「名月や」などとしきりに首をひねることだろうと可笑おかしいようにも思われた。
両国の秋 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ふたたび新境地をひらくだけの人が出なかったために、程なくまた様式の中に没頭してしまい、蕪村ぶそん一茶いっさ発句ほっくでは大家のようであるが、天明・文化の俳諧は
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
一、高等学校生某いわく、私は今度の試験に落第しましたから、当分の内発句ほっくうたいもやめました。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
出発の前日には、平兵衛が荷ごしらえなどするそばで、半蔵は多吉と共に互いに記念の短冊たんざくを書きかわした。多吉はそれを好める道の発句ほっくで書き、半蔵は和歌で書いた。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ちょっとことわっておきますが第一章でも申し上げたように発句ほっくすなわち俳句というのは
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
しまいに話をかえて君俳句をやりますかと来たから、こいつは大変だと思って、俳句はやりません、さようならと、そこそこに帰って来た。発句ほっく芭蕉ばしょう髪結床かみいどこの親方のやるもんだ。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「貴公は相変らず発句ほっくにお凝りかね。」
戯作三昧 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ことに今度は其蝶の発句ほっくという証拠物があるのだから堪まりません。お葉はもう我慢が出来なくなったと見えて、其蝶にあてた長い手紙をかきました。
半七捕物帳:36 冬の金魚 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
よわいはもう七十を越しているから、武芸の話は問う人でもなければ滅多にすることはないが、発句ほっくを好んで自らも作り、人を集めては教えておりました。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
南条より横にはいれば村社の祭礼なりとて家ごとに行燈あんどんを掛け発句ほっく地口じぐちなど様々に書き散らす。
旅の旅の旅 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
連句の発句ほっく脇句わきくとは挨拶あいさつであるという事がいわれておる。甲の俳人が乙の俳人を訪問したとする、その場合、訪問して行った甲なる俳人が先ず挨拶の一句を贈る、それが発句である。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
という近世の発句ほっくがあるが、その念者もまたもとは右にいう念人と同じであった。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
一夏もたって見ますと、どの団扇にも宅の発句ほっくが書き散らしてあるんですよ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
芭蕉ばしょうと云う男は枕元まくらもとへ馬が尿いばりするのをさえな事と見立てて発句ほっくにした。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
古人は咳唾がいだたまを成すということをいいましたが、一茶のは咳唾どころじゃありません、呼吸がみな発句ほっくになっているのです、怒れば怒ったものが発句であり
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
芭蕉は「発句ほっくは頭よりすらすらと言い下し来たるを上品とす」と言い、門人洒堂しゃどうに教えて「発句は汝がごとく物二、三取り集むる物にあらず、こがねを打ちのべたるごとくあるべし」
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)