怯懦きょうだ)” の例文
クリストフはそういう一般の怯懦きょうだを笑っていた。何が起こるものかと信じていた。オリヴィエはそれほど安心してはいなかった。
ローマ教会の教権が中世哲学にるいしたごとく、国権がわが現今の哲学界を損うてる。彼らの倫理思想のいかに怯懦きょうだなることよ。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
利家は、末森を立って、津幡まで帰って来たが、その途上で、鳥越城の不始末を聞き、目賀田又右衛門の怯懦きょうだを大いに怒って
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それはおそらく自分の怯懦きょうだから出るのであろう。しかしこの怯懦は相手があたかも良心のごとく、自分に働きかけて来るから起こるのである。
夏目先生の追憶 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
怯懦きょうだと内心のあやふやとに、基づいているということを、はっきりと口には出すまいが、とにかく心の中に感じて、不愉快な気持になるのである。
今考えればわしの怯懦きょうだな性質のいたすところ、わしは自分の過ちのペーデルを日陰者にして、ただ世間へれるのを、恐れていたようなものであった。
グリュックスブルグ王室異聞 (新字新仮名) / 橘外男(著)
誰にでもえらい作が出来るかと反問してりたいと思う反抗が一面に起ると同時に、己はその下宿屋の二階もまだ知らないと思う怯懦きょうだが他の一面にきざす。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
右端に死後強直を克明な線で現わした十字架の耶蘇ヤソがあり、それに向って、怯懦きょうだな卑屈な恰好をした使徒達が、怖る怖る近寄って行く光景が描かれていた。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
「僕にとっての障害とは、虚栄・怯懦きょうだ・許容……。そして、これらの障害を乗り切ることが僕の生活だった」
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
それは、犯罪前のあの微妙な変則的な心理の働き——いわ怯懦きょうだに近い、本能的な用意、がそうさせたのだ。
花束の虫 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
だから、男という男がみんな卑屈怯懦きょうだになってしまった。女はまだいくらか廉恥を知り人倫を知っている。
渡良瀬川 (新字新仮名) / 大鹿卓(著)
悪風を退治するのはむしろ容易たやすいことで、悪は本来退治せられるがために存在するものであるのに、怯懦きょうだな人間が、それにこわもてをして触ろうとしないから
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その怯懦きょうだと愚鈍からみすみすそれをいっし去ったのは、すくなくともこの場合、当然身をていして警察と公安を援助すべき公共的義務精神の熱意と果敢さにおいて
女肉を料理する男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
私の眼が高処恐怖病患者と同じ怯懦きょうださで広い博奕場のあちこちへ走った。が、私も負けてはいなかった。
踊る地平線:09 Mrs.7 and Mr.23 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
まず相手方から撃ちだしたが、その際、俺は怯懦きょうだな畏怖心に襲われ、思わず頭を右に傾けたので、飛来した弾丸は右の顳顬こめかみ耳殻じかくを破壊し、首と肩の間に嵌入かんにゅうした。
湖畔 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
そしていつかそれに気がついてみると、栄養や安静が彼に浸潤した、美食に対する嗜好しこうや安逸や怯懦きょうだは、彼から生きていこうとする意志をだんだんに持ち去っていた。
冬の日 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
そしてその逃亡を後ろにしながら、一歩ごとにますます雷撃を受け、ますます戦死しながら、前進を続けた。一人の逡巡しゅんじゅんする者もなく、一人の怯懦きょうだな者もいなかった。
原因が絶滅しないのだから一面、無理ないと思われ、自分の怯懦きょうだや小悧※さの罪とも思われる。
むかし淮陰わいいんの少年が韓信かんしんあなどり韓信をして袴下こか匍伏ほふくせしめたことがある。まちの人は皆韓信かんしん怯懦きょうだにして負けたことを笑い、少年は勝ったと思って必ず得々とくとくとしたであろう。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
彼は、勇敢であると同時に怯懦きょうだであり、正直を愛すると同時に策謀を好む少年であるかにさえ思われたのである。あるいは、そういうのが彼の本来の面目であったかもしれぬ。
次郎物語:03 第三部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
グルモンの答はあたっている。が、必ずしもそればかりではない。醜聞さえ起し得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼等の怯懦きょうだを弁解する好個の武器を見出すのである。
侏儒の言葉 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
それは前述通りこの獣半男女また淫乱故とも、至って怯懦きょうだ故とも(アボット、上出)、またこれを族霊として尊ぶ民に凶事を知らさんとて現わるる故(ゴム、上出)ともいう。
その性質は非常に怯懦きょうだであって亡国人ぼうこくじんのごとく全く精気がない。けれどもそれかといってこの種族が漸次ぜんじ全滅に帰する傾向があるかというに、そういう傾向も現わして居ない。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
通常人間はその先祖が勇敢でありもしくは怯懦きょうだであった程度にのみ勇敢なものである。
かつて見たことのない怯懦きょうだな眼つきをして、その辺にいる人達の顔をジロジロ見廻した。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
怯懦きょうだで遷延して、人質を取ってから援兵を出すことにし、それも捗々はかばかしいことを得せず、相応の兵力を有しながら父を殺した光秀征伐の戦の間にも合わなかった腑甲斐無しであるから
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
自分ながら持って生まれた怯懦きょうだと牛のような鈍重さとにあきれずにはいられない。けれども考えてみると、僕がここまで辿たどり着くのには、やはりこれだけの長い年月を費やす必要があったのだ。
片信 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
敵の一将を追うことはなはだ急なりしがついに及ばずして還る、信長勝三にいう、いわく、今の逃将は必ず神子田長門である、およそ追兵のはなはだ急なる時にあたっては、怯懦きょうだの士必ず反撃して死す
竹乃里人 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
強い意志がお延の身体からだ全体にち渡った。朝になって眼をました時の彼女には、怯懦きょうだほど自分に縁の遠いものはなかった。寝起ねおきの悪過ぎた前の日の自分を忘れたように、彼女はすぐ飛び起きた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
シナ兵は怯懦きょうだである、いわく何、曰く何、一つとしてよいことは無いように云われている。しかも彼らの無規律であり怯懦であるのは、根本の軍隊組織や制度が悪いためであって、彼らの罪ではない。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
獅子に似た兇心、兎の怯懦きょうだ狐狸こりの狡猾……
狂人日記 (新字新仮名) / 魯迅(著)
オリヴィエは自分の意志の堅忍と矛盾するそういう身体の怯懦きょうだを、みずから恥ずかしい気がして、それと戦おうとつとめていた。
あるいはまた怯懦きょうだな知識階級の特色としての現実逃避であるとも見られるであろう。しかしこれらの観照は「悠々たる」観の世界を持つものとは言えない。
『青丘雑記』を読む (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
しかし、今では僕は、幸いなことに、あの嘘つきの、怯懦きょうだの、ありとあらゆる「認識者」を無視できるのだ。
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
人々は陸遜の怯懦きょうだわらって、もう成るようにしかならない戦と——さじ投げ気味に部署についていた。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして彼らは父がかかる怯懦きょうだなる器量きりょうをもって、清盛きよもりを倒そうともくろんだのは、全く烏滸おこの沙汰であると放言しました。むろん、わしは彼らの話の細部さいぶは信じなかった。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
この皇帝は外征を好んだ父のアウレル皇帝とは性格がまったく違って、戦争が大嫌いで、奢侈しゃし遊楽のみにふけり、まことに懦弱だじゃく怯懦きょうだで、非常に我儘わがまま勝手な皇帝でありました。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
その成猫した横着な、取りすました、そのくせ怯懦きょうだにして、安逸を好み、日当りとこたつだけになじみたがる——そうして最後には、ただ化けて来ることだけを知っている。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
自由意志と宿命とに関らず、神と悪魔、美と醜、勇敢と怯懦きょうだ、理性と信仰、——その他あらゆる天秤てんびんの両端にはこう云う態度をとるべきである。古人はこの態度を中庸と呼んだ。
侏儒の言葉 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
熊城は相手が法水だけに、ほとんど怯懦きょうだに近い警戒の色をうかべたが、検事はももを叩いて
聖アレキセイ寺院の惨劇 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
電話を聞いた時、彼女は、この機会を力綱に、一つ潔く、率直に、自分の計画を実行しようという、頼もしい勇気を感じるどころか、却って、後じさりする怯懦きょうだな自身を感じた。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
モロッコのマグラ市近き野に獅が多いが極めて怯懦きょうだで、小児が叱ると狼狽
私の欺瞞ぎまん、私の汚辱、私の怯懦きょうだ、私の裏切り、私の罪悪、それを私は一滴一滴と飲み、また吐き出し、また飲み込み、夜中に終えてはまた昼に始め、そして私の朝の挨拶あいさつも偽りとなり
それでは先日来の貴下に対するあの消極的な曖昧あいまいな態度、電話での応対などを如何に説明するかと仰せられるでもあろうが、あれは持ち前の異性に対する怯懦きょうだ羞耻心しゅうちしんとがさせたことで
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
私は戦うに怯懦きょうだであり、また時機を失したとはどうしても思えない。私は戦い敗れた。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
こう言う羽目に陥るのはかならずしも彼女の我我をしりぞけた場合に限るわけではない。我我は時には怯懦きょうだの為に、時には又美的要求の為にこの残酷な慰安の相手に一人の女人を使い兼ねぬのである。
侏儒の言葉 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
君たちは自国の大人物どもの怯懦きょうだを知らないのだ。僕は初め君一人が知らないのだと思っていた。君が行動しないのを許していた。しかし実際では、君たちは皆同じ考えをもってる連中なのだ。
すべての怯懦きょうだのさ中に凝然と身を固め直立して歩かなくてはならない。
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
人は怯懦きょうだでいられましょうか、他人により縋っていられましょうか。
男女交際より家庭生活へ (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
何かたくみがあるのではないか、危険なわなへ落し込まれて行くのではないか。———だが、彼はすぐにその怯懦きょうだな考えを耻じた。老女の顔がへんにすごいのは、夜の明りのせいだ。外に何も原因はない。