家督かとく)” の例文
流し何事も是皆前世の因縁いんえんづくと斷念あきらめをれば必ず御心配は下さるまじ併しながら時節じせつ來りて若旦那の御家督かとくと成れなば其時には此久八を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
又左衞門の伜又次郎、これは次男に生れて家督かとくを相續した手堅い一方の若者、今では田代屋の用心棒と言つていゝ程の男です。
おれの家は、父親が死んでも、葬式とむれえの金にも詰っていたんだからね。おれにゃ、ばかばかしくって、家督かとくをもらう気になんぞなれなかった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
「なんにもかぶ家督かとくがあるじゃなし、なんでわたくしどものような貧乏人のところへ婿や養子に来る者があるもんですか」
両国の秋 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
九代、春延はるのぶ、幼名又四郎またしろう享和きょうわ三年家督かとくたまわる二百こく文政ぶんせい十二年三月二十一日ぼつ、か。この前はちぎれていて分らない。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
頼朝が逝去せいきょするとともに、頼家が家督かとくを相続したが、朋党ほうとう軋轢あつれきわざわいせられて、わずかに五年にして廃せられ、いで伊豆の修禅寺しゅぜんじ刺客しかくの手にたおれた。
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そして一日も早く独立の生活を営み得るようになり、自分は大塚の家から別れ、義弟の秀輔に家督かとくを譲りたいものと深く心に決するところがあったのです。
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
もつとも、わたしちゝはじちひさな士族しぞくとして、家屋かをくと、宅地たくちと、周圍しうゐすこしのやまと、金祿公債證書きんろくこうさいしようしよなんゑんかを所有しよいうしてゐたが、わたし家督かとく相續さうぞくしたころには
鵙屋もずやの家でも父の安左衛門が生存中は月々春琴の云うがままに仕送ったけれども父親が死んで兄が家督かとくを継いでからはそうそう云うなりにもならなかった。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
相当の年齢としになっていたので、これに家督かとくを譲って自分は持家の長屋の一軒へ、差配として移ったのだった。
これをつまちて山梨やまなし東郡ひがしごほり蟄伏ちつぷくするかとおもへばひとのうらやむ造酒家つくりざかや大身上おほしんしようもののかずならず、よしや家督かとくをうけつぎてからが親類縁者しんるいえんじや干渉かんしようきびしければ
ゆく雲 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
いやいや、元々、わしは兄の身だから、家督かとくを継ぐべきであったのを、生来、仏道になずみ、武門にはうとい身ゆえ、って、弟のお前に家名を継いでもろうたのだ。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
本来私は北条家の、長男の身分でありますので、家督かとくを継がなければなりませぬが、あなたのためでござりましたら、いさぎよく長男の位置をすてて、舎弟しゃていに家を譲ります。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
加藤式部少輔明成は、父嘉明よしあきしゅつ家督かとくをついでから九年目になる、評判のよろしくないこの人は、四十万石の家中かちゅう河村権七かわむらごんしち堀主水ほりもんどかといわれたほどの名臣、主水を憎んでいた。
討たせてやらぬ敵討 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
知らん顔でいて、お兄様あにいさま隣家となりでは家督かとくがないから早く養子にってくれ/\と仰しゃれば、此方こなたは別に御親類もないからおかしらに話を致し、貴方を御養子のお届けを致しますまでは
その妹が家督かとくを継いだ。さちよの母である。気品高い、無表情の女であった。養子をむかえた。女学校の図画の先生であった。峠を越えて八里はなれた隣りのまちの、造り酒屋の次男であった。
火の鳥 (新字新仮名) / 太宰治(著)
両親は早く死し兄が家督かとくを取っていたが、経費ばかりかかって借財も年々かさむばかりなので、いよいよ財産整理をした上家族をつれて朝鮮の京城けいじょうへ移住し運だめしに一奮発するというのである。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
戸籍上こせきじょう家督かとくは長男の隼太の子供が継いでいるとはいえ、その子は再婚した母親につれられて、九州の三池に暮しているし、長じてふたたび小豆島しょうどしまに帰り、祖先をまつることになるかどうかは分らない。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
小さい時から温和なやさしい性質たちな子供だったので、ことのほか叔父さん達のお気に入りで、一番上の叔父が百姓をいやがるのを幸いに、行く行くは家督かとくを相続させられることになっていたのだそうだが
掛ずわるゆめだと斷念あきらめて御辛抱しんばうを成されなば大旦那にも安心あんしん致され家督かとくを御ゆずり有れんと思ひめぐらすことも有ば何は扨置さておき御家督を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
佐原屋の跡は義弟の小豆澤小六郎が女房の後見をして暫く立て、五年經つた後で二人の甥のうち、善人と見極めの付いた方に家督かとくを讓るやうに
もっとも、兄が家督かとく相続者として莫大ばくだいな財産を受けついだのに反して、私の分け前がそれとは比較にならぬ程僅かであった事や、つて私の恋人だった女が、唯
そのうちに年が経って、殿様も奥様もお時に泣く泣く送られて、いずれも赤坂の菩提寺ぼだいじへ葬られてしまった。家督かとくを嗣いだ嫡子の外記は十六歳で番入りをした。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「では、縁者の子を養い、家督かとくをつがせるがよかろう。いずれ家康が、その子は取立てて得させる」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
くゆれども一旦養子とせし上は是非なしとて其後家督かとくを主税之助にゆづりしが其砌そのみぎり平助は主税之助にむかひ我今度汝を養子とせしにより今度家督かとく
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
何も彼も申上げた方が宜しいと存じます——、實は當主赤塚三右衞門には、三十年前家督かとくを爭つた相手が御座います。
(今更、仕官いたす程なら、老いたる父母の許にいて、郷士の家督かとくをなぜつがぬか)
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「では、これだけは是非伺ひたいのですが、俵屋の家督かとくはどうなります。それをはつきり決めて置かないと、かへつていろ/\厄介なことが起りさうですが」
銭形平次捕物控:311 鬼女 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
岐阜の家督かとくは、一子信忠に譲った。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私をおどかして、一日も早く隱居をして家督かとくを讓るやうに、——娘が若くて祝言が早いといふなら、それは二三年後でも宜いではないか、などと言つて居りました
裏庭に一とかゝへに餘る松の老木があるので知られた家で、先代の主人八郎兵衞は病弱のため五年前に隱居し、家督かとくを夫婦養子の勝藏お元に讓つて、老妻のお妻と二人
十年前に配偶つれあひに先立たれ、四、五年前から中風で足腰の自由を失ひ、二年前からは寢たつきりで、家督かとくは養子の矢之助に讓り、何不自由なく養生して居るといふことです。
そのうちに主人の藤兵衞が死んで若主人の藤吉が家督かとくを繼いだ。——藤兵衞の死んだのも、疑へば不思議なことばかりだつた。——が訴へて彌惣を取押へるほどの證據はなかつた
「御當主石見樣は、先代の御遺言ゆゐごん通りに遊ばせば、三年も前に二十歳はたちになられたをひの釆女樣に御家督かとくゆづらなければなりません。私は七日がかりでこれだけの事を調べて參りました」
そこで親類が寄つて相談の上、義理の弟の金兵衞に家督かとくを預け、與惣六の娘のお組が成人して、婿でも取つたら改めて白梅屋敷の跡目を讓ることにして、それから五年の月日は經つてしまつた。
「話はそれから五年目だ——手つ取早く言へば、園山家の冷飯ひやめし食ひ勇三郎が、兄上は病弱、鶴松君を亡きものにすれば、間違ひもなく園山家の家督かとくに直れると思ひ込んで、鶴松君に毒を盛つた」
「話はそれから五年目だ——手っ取り早く言えば、園山家の冷飯ひやめし食い勇三郎が、兄上は病弱、鶴松君を亡きものにすれば、間違いもなく園山家の家督かとくに直れると思い込んで、鶴松君に毒を盛った」