修行しゆぎやう)” の例文
修行しゆぎやうの淺い我々でござれば、果して奇特きどくの有る無しはお受合ひ申されぬが、兎も角も一心を凝らして得脱とくだつの祈祷をつかまつると致しませう。」
半七捕物帳:01 お文の魂 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
はなるゝはかなしけれど是も修行しゆぎやうなれば決して御案おあんじ下さるなとて空々敷そら/″\しく辭儀じぎをなし一先感應院へ歸り下男げなん善助に向ひ明朝あした早く出立すれば何卒握飯にぎりめし
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
妄念まうねんおこさずにはや此処こゝ退かつしやい、たすけられたが不思議ふしぎくらゐ嬢様ぢやうさまべツしてのおなさけぢやわ、生命冥加いのちみやうがな、おわかいの、きツ修行しゆぎやうをさつしやりませ。
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
其間そのあひだ余程よほど文章を修行しゆぎやうしたものらしい、増上寺ぞうじやうじ行誡上人ぎやうかいしやうにん石川鴻斎翁いしかはこうさいおうの所へ行つたのはすべ此間このあひだの事で、してもつぱ独修どくしうをした者と見える、なんでも西郷隆盛論さいごうたかもりろんであつたか
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
久遠くをんのむかしに、天竺てんぢくの国にひとりの若い修行しゆぎやう僧が居り、野にいでて、感ずるところありてそのせいもらしつ、その精草の葉にかかれり。などといふやうなことが書いてあつた。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
白隱和尚はくいんをしやう弟子でし東嶺和尚とうれいをしやうとかいふひと編輯へんしふしたもので、おもぜん修行しゆぎやうするものが、あさところからふかところすゝんで徑路けいろやら、それにともなふ心境しんきやう變化へんくわやらを秩序立ちつじよだてゝいたものらしかつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
つま九七にんはてぬ此の春、かりそめのやまひに死し給ひしかば、便なき身とはなり侍る。都の乳母めのとあまになりて、行方ゆくへなき修行しゆぎやうに出でしと聞けば、九八彼方かなたも又しらぬ国とはなりぬるをあはれみ給へ。
本山とす出羽國ではのくに羽黒山派はぐろさんは天台宗てんだいしうにて東叡山とうえいざん品親王ぽんしんわうを以て本山と仰ぎ奉る故に山伏とは諸山しよざん修行しゆぎやう修學しゆがくの名にて難行苦行なんぎやうくぎやうをして野に伏し山に宿しゆく戒行かいぎやう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
丁度ちやうどわし修行しゆぎやうるのをして孤家ひとつや引返ひきかへして、婦人をんなと一しよ生涯しやうがいおくらうとおもつてところで。
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
むざ/\押止おしとゞめんも如何なれば願ひに任すべしさらば五ヶ年すぎて歸り來るまでは感應院へは留守居るすゐを置べし相違さうゐなく五ヶ年の修行しゆぎやうげ是非とも歸り來り師匠ししやうの跡目をつぎ給へとて名主を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
いゝえ私等わたくしども東京とうきやう修行しゆぎやうまゐつてるものでござるが、今度こんど國許くにもとちゝ急病きふびやうまを電報でんぱうかゝつて、それかへるのでござるが、いそいで見舞みまはんければなりませんので、むをふねにしました。
旅僧 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
(いえ、勿体もツたいない、修行しゆぎやううま足休あしやすめをしませうなぞとはぞんじませぬ。)
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)