“些(いさゝか)” の例文
微かにして恃(たのみ)なく、濁りて響かず。紳士。この喉には些(いさゝか)の修行の痕あるに似たれど、氣の毒なるは聲に力なきことなり。われ。
艇(てい)は些(いさゝか)も空氣(くうき)の缺乏(けつぼう)を感(かん)ずる事(こと)なく、十時間(じかん)でも二十時間(じかん)でも、必要(ひつよう)に應(おう)じて海底(かいてい)の潜行(せんかう)を繼續(けいぞく)する事(こと)が出來(でき)るのである。
固(もと)より些(いさゝか)も無氣味と思ふ樣子もなければ、汚(きた)ないと思ふ樣子も無い。眞個(まツたく)驚くべき入神の妙技で、此くしてこそ自然の祕儀が會得(ゑとく)せられようといふものである。
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
原稿には次第に種々な事を書き入れたので、啻(たゞ)に些(いさゝか)の空白をも残さぬばかりでなく、文字と文字とが重なり合つて、他人が見てはなんの反古(ほご)だか分からぬやうになつた。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
彼れ人生に於て些(いさゝか)の通ずる所なくして、徒に之を空※(くうけう)なる腹中に索(もと)む、斯の如きは固より其所なり。若し彼をして真に人情世故に通ぜしめば豈に是のみにして止まらんや。
詩人論 (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
些(いさゝか)の清い空気をだに得ることの出来なかつた自分は、長野の先の牟礼(むれ)の停車場で下りた時、その下を流るゝ鳥居川の清渓と四辺(あたり)を囲む青山の姿とに、既に一方(ひとかた)ならず心を奪はれて
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
次(つぎ)の日(ひ)には空(そら)は些(いさゝか)の微粒物(びりふぶつ)も止(とゞ)めないといつたやうに凄(すご)い程(ほど)晴(は)れて、山(やま)も滅切(めつき)り近(ちか)く成(な)つて居(ゐ)た。しつとりと落付(おちつ)いた空氣(くうき)を透(とほ)して、日光(につくわう)が妙(めう)に肌膚(はだ)へ揉(も)み込(こ)むやうに暖(あたゝ)かで且(か)つ暑(あつ)かつた。
土 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
是(これ)に由(よ)つて人智(じんち)は、人間(にんげん)の唯一(ゆゐいつ)の快樂(くわいらく)の泉(いづみ)となつてゐる。然(しか)るに我々(われ/\)は自分(じぶん)の周圍(まはり)に、些(いさゝか)も知識(ちしき)を見(み)ず、聞(き)かずで、我々(われ/\)は全然(まるで)快樂(くわいらく)を奪(うば)はれてゐるやうなものです。勿論(もちろん)我々(われ/\)には書物(しよもつ)が有(あ)る。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
流石(さすが)は公家の出である。病弱の身体で、あの気紛れな——今は大へんよくなったが——癇癪持ちの夫に仕えて、些(いさゝか)の不満も現わさず、唯々諾々として忠実を守っている姿は涙ぐましいものがある。
私は、彼に對して恐れも、また些(いさゝか)の羞(はぢ)らひも感じなかつた。
既(すで)に夜(よる)深(ふか)く、加(くわ)ふるに當夜(このよ)は浪(なみ)穩(おだやか)にして、船(ふね)に些(いさゝか)の動搖(ゆるぎ)もなければ、船客(せんきやく)の多數(おほかた)は既(すで)に安(やす)き夢(ゆめ)に入(い)つたのであらう、たゞ蒸滊機關(じようききくわん)の響(ひゞき)のかまびすしきと
些(いさゝか)の繕ふことなく有の儘に、我とアヌンチヤタとの中を語り、我が一たび絶望の境に陷りて後、今又慰藉を自然と藝術とに求むるに至れる顛末(てんまつ)を敍して
自體國家(こくか)とは動く人間に依(よ)つて組織(そしき)されるのであるから、國家は些(いさゝか)も此の種(しゆ)の不生産的(ふせいさんてき)の人間を要しない。國家の要しないやうな人間は、何所の家庭にだツて餘り歡迎(くわんげい)される筈(はず)が無い。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
洞穴の周圍には灌木、草綿など少しく生ひ出でゝ、この寂しき景に些(いさゝか)の生色あらせんと勉(つと)むるものゝ如し。われ等は番兵の前を過ぎて、ポムペイの市(まち)の口に入りぬ。