中折帽なかおれぼう)” の例文
すると一人の男、外套がいとうえりを立てて中折帽なかおれぼう面深まぶかかぶったのが、真暗まっくらな中からひょっくり現われて、いきなり手荒く呼鈴よびりんを押した。
牛肉と馬鈴薯 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
命令を出すと、大統領は仕度したくのため別室へ入った。やがて彼は、黒のオーバーに中折帽なかおれぼう、肩から防空面ぼうくうめんの入った袋をかけて玄関に立ち現れた。
紳士の方は、中折帽なかおれぼうに背広服をつけ、ダイヤかなんかのネクタイピンを光らせ、時計の金鎖を胸にからませ、べっこうぶちの眼鏡めがねをかけています。
街の少年 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
先生の家は先生のフラネルの襯衣シャツと先生の帽子——先生はくしゃくしゃになった中折帽なかおれぼうに自分勝手に変な鉢巻はちまきを巻き付けてかむっていた事があった。
普通の教師は学校以外の場所では中折帽なかおれぼうをかぶったり鳥打帽とりうちぼうに着流しで散歩することもあるが、校長だけは年百年中ねんびゃくねんじゅう学校の制帽せいぼうで押し通している
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
夫はもう上衣うわぎをひっかけ、春の中折帽なかおれぼうをかぶっていた。が、まだ鏡に向ったまま、タイの結びかたを気にしていた。
たね子の憂鬱 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
その幹の陰に隠れていたらしい中折帽なかおれぼうわかい男が、ひらひらと蝙蝠こうもりのように出て来てその女とれ違った。
水魔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
木挽町こびきちょう河岸かしへ止った時、混雑にまぎれて乗り逃げしかけたものがあるとかいうので、車掌が向うの露地口ろじぐちまで、中折帽なかおれぼう提革包さげかばんの男を追いかけて行った。
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
彼は暗い灰色のしなのよい上品な服を着て、褐色の中折帽なかおれぼうを手に持っていた。実際はそれより二三年は年をとっていたのだが、私は卅歳さんじっさいぐらいと見当をつけた。
黄色な顔 (新字新仮名) / アーサー・コナン・ドイル(著)
薄色の中折帽なかおれぼう、うすき外套がいとうを着たり。細面ほそおもてにして清くす。半ば眠れるがごときまなざし、通りたる鼻下に白き毛の少し交りたるひげをきれいに揃えて短く摘む。
山吹 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と見ると茶店の方から古びた茶の中折帽なかおれぼうをかぶって、れいくせ下顋したあごを少し突出し、れ手拭を入れた護謨ごむふくろをぶらげながら、例の足駄あしだでぽッくり/\刻足きざみあしに翁が歩いて来る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
写真は台紙にも何んにも貼らず、大急ぎで焼き付けたばかりと見えて、まだ生々しく濡れて居りますが、中折帽なかおれぼうを目深に、手巾はんけちで下半分を隠した曲者の顔が、非常に明瞭に映って居ります。
女記者の役割 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
万一我慢してやってくれたところで、こっちからけて行く間には、肝心かんじんの黒の中折帽なかおれぼうかぶった男の姿は見えなくなってしまわないとも云えない。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
夫は上着うわぎをひっかけるが早いか、無造作むぞうさに春の中折帽なかおれぼうをかぶった。それからちょっと箪笥たんすの上の披露式の通知に目を通し「何だ、四月の十六日じゅうろくんちじゃないか?」
たね子の憂鬱 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
十歩ばかり先に立って、一人男のつれが居た。しまがらは分らないが、くすんだなりで、青磁色の中折帽なかおれぼうを前のめりにした小造こづくりな、せた、形の粘々ねばねばとした男であった。
みさごの鮨 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「歩いて来るともう暑い。黒ビールか何かもらおうよ。」と清岡進は抱えていた新刊雑誌と新聞紙とをテーブルの下の揚板あげいたに押入れ、新しい鼠色ねずみいろ中折帽なかおれぼうをぬいで造花の枝にかけた。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
午後万歳の声を聞いて、あわてゝ八幡はちまんに往って見る。最早もう楽隊がくたいを先頭に行列が出かける処だ。岩公は黒紋付の羽織、袴、靴、ちゃ中折帽なかおれぼうと云うなりで、神酒みき所為せいもあろう桜色になって居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
けれども自分が田口から依託いたくされたのは女と関係のない黒い中折帽なかおれぼうかぶった男の行動だけなので、彼は我慢して車台に飛び上がるのを差し控えた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
するとその最中さいちゅうに、中折帽なかおれぼうをかぶった客が一人、ぬっと暖簾のれんをくぐって来た。客は外套の毛皮のえりに肥ったほおうずめながら、見ると云うよりは、にらむように、狭い店の中へ眼をやった。
魚河岸 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そこで、黒い外套がいとうで、黒い中折帽なかおれぼうで二人揃って、夜の町へ出たとなると、忍びで乗込んだようで、私には目新しい事も多いのであるが、旅さきの見聞を記すのがこの篇の目当めあてではない。
卵塔場の天女 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
この前は経験が足りなかったので足が引力作用で地面へ引き着けられた勢に、買いたての中折帽なかおれぼう挨拶あいさつもなく宙返りをして、一間ばかりむこうころがった。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
つまが幻のもみじする、小流こながれを横に、その一条ひとすじの水を隔てて、今夜は分けて線香の香のぷんと立つ、十三地蔵の塚の前には外套がいとうにくるまって、中折帽なかおれぼう目深まぶかく、欣七郎がステッキをついてたたずんだ。
怨霊借用 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼は給仕のうしろから自分の洋杖がどこに落ちつくかを一目見届けた。するとそこに先刻さっき注意した黒の中折帽なかおれぼうが掛っていた。霜降しもふりらしい外套がいとうも、女の着ていた色合のコートも釣るしてあった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
洋杖ステッキは根に倒れて、枝にも掛けず、黒の中折帽なかおれぼう仰向あおむけに転げている。
庭のまん中に立っていた会話の主は二人ふたりともこっちを見た。野々宮はただ「やあ」と平凡に言って、頭をうなずかせただけである。頭に新しい茶の中折帽なかおれぼうをかぶっている。美禰子は、すぐ
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
持主の旅客は、ただ黙々として、俯向うつむいて、街樹なみきに染めた錦葉もみじも見ず、時々、額をたたくかと思うと、両手でじっ頸窪ぼんのくぼおさえる。やがて、中折帽なかおれぼうを取って、ごしゃごしゃと、やや伸びた頭髪かみのけ引掻ひっかく。
革鞄の怪 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
目鼻をくしゃくしゃとさせて苦笑して、茶の中折帽なかおれぼうかぶり直した。
半島一奇抄 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
主人も何となく中折帽なかおれぼう工合ぐあいを直して、そしてクスクスと笑った。
半島一奇抄 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)