)” の例文
これなん先頃から洛陽郊外の澠池べんちに兵馬をめたまま、何進が再三召し呼んでも動かなかった惑星わくせいの人——西涼せいりょう刺史しし董卓とうたくであった。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
此一行がセルギウス等を見て馬をめた。フランス人らしい男に lesレエ pèlerinsペルレン(巡礼)を見せようと云ふのである。
彼はプラットフォームの人込みを抜けながら、何やらその前に人だかりがしているのを見ると、何んの気なしに足をめて掲示板を覗いた。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
素鼠縮緬すねずみちりめん頭巾被づきんかぶれる婦人は樺色無地かばいろむじ絹臘虎きぬらつこ膝掛ひざかけ推除おしのけて、めよ、返せともだゆるを、なほ聴かで曳々えいえいき行くうしろより
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
ぱりお玉の方が別品だなと思うと同時に、心に愉快と満足とを覚えて、暫く足を橋の上にめて、芸者の後影うしろかげを見送った。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
車は広小路から坂本の方へ出て行き、狭苦しい町の中の雑踏へ来てから、陸橋のたもとまったが、そのうちはいつ来ても庸三は気分がよかった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
車はボルゲエゼのたちの前にまりぬ。僮僕しもべは我をいざなひて館の最高層に登り、相接せる二小房を指して、我行李をおろさしめき。
このありさまに車夫も走るのをためらって、暫くのあいだ車をめた。そこはとある店屋の前であった。
幾すじもある小川のほとりで車はめられ、夜露にえた蛍火は眼もあやなるほど、草の上にあった。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
旅人が馬を水城みずき(貯水池の大きな堤)にめて、皆と別を惜しんだ時に、児島は、「おほならばむをかしこみと振りたき袖をしぬびてあるかも」(巻六・九六五)
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
十月のはじめには、新帝はすでに東海道の新井あらい駅に御着おんちゃく、途中潮見坂しおみざかというところでしばらく鳳輦をめさせられ、初めて大洋を御覧になったという報告が来るようになった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ソロモン王その通りせしに、アたちまち王をみ、他に一足をめて両翅を天まで伸ばし、四百里外に王を吐き飛ばすを知る者なかった。かくてこの鬼、王に化けてその位に居る。
雪明りにすかしておしおの家が眼にとまった時、彼はぎくりとしたように足をめた。そして、ためらうように窓の明りをながめていたが、きゅうに足をめぐらして二歩三歩帰りかけた。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
筏を組むにはいわゆる川淀のふちをなしてしばらく流木をめ得る所たることを要するが、それと同時に必要な条件は、なるべく近くに筏を結ぶツヅラの多く採取し得らるることである。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
君江の威勢に運転手は暴力を出しても駄目だと思ったのか、そのままおとなしく車をめると、折からざっと吹ッ掛けて来た驟雨しゅううに傘の用意のないのを、さもい気味だといわぬばかり。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
と、欧陽詢は百姓の方には見向きもしないで、馬をめたまゝ、じつと石碑の文字に見惚みとれてゐた。馬は幸福しあはせと文字の鑑定めきゝが出来なかつたので、そのにせつせと道つ端の草を食べてゐた。
先ず境内に入りて足をめつ、打仰ぎて四辺あたりを見るに、高さはおよそ三、四百尺もあるべく亙りは二町あまりもあるべき、いと大きなる一つづきの巌の屏風なしてそびえ立ちたるその真下に
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
銭形平次も、思わず足をめたほど、それは冒涜的なものでした。
東京とうけい城の関外へ出てから二日目、小さな宿場町へ黄昏たそがれ頃つくと、とある田舎酒館いなかぢゃやの前に馬をめて、彼らを待っていた男がある。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「貴様は善くないぞ。麁相そそうを為たと思うたら何為なぜ車をめん。逃げやうとするから呼止めたんじや。貴様の不心得から主人にも恥をかかする」
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
お常はしぶしぶその方を見て、覚えず足をめる。そのとたんに女は振り返る。お常とその女とは顔を見合せたのである。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
車は廣こうぢを横ぎりて、旅店「カアザ、テデスカ」の前にまりぬ。店の隣には、小き傀儡場くゞつばあり。
その建物の陰にまっている一台の古自動車も、やはり片側だけ雪に埋っていた。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
爾時そのとき数百人黄なる馬と車に乗り、衣服も侍従も皆黄な一行が遣って来り、車をめて彼を穀賊と呼び、汝はどうしてここに在るかと問うと、われは人の穀を食うたからここへ置かれたと答え
錢形平次も、思はず足をめたほど、それは冒涜的なものでした。
「そなたは蛍のいるところで車をめるよう。」
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
が、星かげの青い暗がりによどまったのは、一輛の女車と、それをつつむ、ゆゆしい上達部かんだちべのひと群れだった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すぐに外へ駆け出せば好かったのだ。そうしたら岡田さんが足をめたに違いない。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
程経て、隣りの家の前に男車らしいもののまる音がした。そうして「荻の葉、おぎの葉」と呼ばせているのが手にとるように聞えて来た。が、隣家からは誰もそれに返事をしないらしかった。
姨捨 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
「かかる狭小な地に、長く聖駕せいがをおめするわけにはゆかぬ。洛陽はいにしえから天子建業の地でもあれば——」
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
潮汲み女は足をめて、主従四人の群れを見渡した。そしてこう言った。「まあ、お気の毒な。あいにくなところで日が暮れますね。この土地には旅の人を留めて上げる所は一軒もありません」
山椒大夫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
おやと思って、私はおもわずその場に足をめた。
朴の咲く頃 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
前田利家父子の持ちは、塩津から堂木だんぎ、神明山にわたる一線の警戒にあり、そのため前田隊の兵二千は、権現ごんげん坂から川並かわなみ村の高地茂山しげやまあたりにかけてまっていた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それに心もおごっていたか、義貞はつい国府の三島に馬をめて数日は凱歌の快に酔ってしまった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この日の二十日未明、長秀は、海津かいづめてある一子鍋丸なべまるを将とする軍隊から、早馬をもって
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うたがいもなく、すでに足利直義ただよしの陸上軍も、大蔵谷のあたりまでは来て、その行軍を、ひしめき、ひしめき、めていたにちがいない。——要するに足利勢の海陸幾万は
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何しろ、凱旋早々、軍旅をここにめて、挙行したことでもあるから。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、しばし馬をめて、その行軍路を各隊の将に指示した。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「——所願しょがんなある。しばし南大門の前で、車をめい」
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(——まれ)
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)