桑港サンフランシスコ)” の例文
◯モロトフ氏、急いで桑港サンフランシスコ会議より引揚げ、モスクワに帰る。イーデンはまだうろうろしている様子だが、これもいずれ帰るであろう。
海野十三敗戦日記 (新字新仮名) / 海野十三(著)
『ホノルル・桑港サンフランシスコ・ニウメキシコ・市伽古シカゴ・ナイヤガラ・紐育ニューヨーク・巴里・倫敦・エデンバラ・ストラットフォウドオンアヴォン。』
すでにキャゼリン嬢は太子の後をって次の便船ベルゲンランド号をもって桑港サンフランシスコへ旅立ち、印度から来た料理人コック、従僕らも一足先に帰国して
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
それ故に、亜米利加アメリカの如きも桑港サンフランシスコに万国平和会議があるならば、まずカリホルニアその他に於ける民族的僻見を一掃してしまえというのである。
大戦乱後の国際平和 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
幼いマルキストであったぼくですが、——ハワイを過ぎ、桑港サンフランシスコも近くなると、今更いまさらのように、自分は日本選手だ、という気持を感じて来ました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
桑港サンフランシスコから雉猟きじりょうに来ておりました藤波(この遺書の保管者にて小生の旧友)氏の御蔭おかげで、煙の中に打ち倒れている妻子が救わるる事に相成りました。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
牢屋に大地震の如し所で三十七日かかっ桑港サンフランシスコついた。航海中私は身体からだが丈夫だと見えて怖いと思うたことは一度もない。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
日本の対外放送では、日本軍が桑港サンフランシスコへ上陸したら、レックス浅岡は第一番に絞首刑になるだろうといっていた。
ノア (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
桑港サンフランシスコには露西亜生れの労働者がたんと居る。そのなかの一人がある日仕事先で手を泥だらけにしたものだ。
桑港サンフランシスコで発行される日本字新聞『日米』で、君とスタア博士と富士山との交渉を書いて、心ばかりの供養に代えたが、富士山の納め手拭から、この事を知ったのは
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
(三)彼は同時代の作家の中では、最もコスモポリタンだつた。南北戦争に従軍した事もある。桑港サンフランシスコの雑誌の主筆をした事もある。倫敦ロンドンに文を売つてゐた事もある。
点心 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
桑港サンフランシスコリノ間は、飛行機ならば一時間四十五分である。ところで困ったことは、少し慾張って方々見て歩いていたので、講演の原稿を作るひまが全然なかったことである。
ネバダ通信 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
十年前米国に遊んで桑港サンフランシスコまで行つた時、もすこしで太平洋の汽船に乗る所であつたが果さなかつた。しかしシベリヤ鉄道につて何時いつか一度遊びたいと思つて居ると語つた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
また大佐たいさ電光艇でんくわうていとも世界せかい各港かくかうめぐり、一度ひとたび北亞米利加きたアメリカ沿岸えんがんいたつたならば、晩香坡ヴワンクーバー南街公園サウサルンストレートパークおいて、もしくば黄金門ゴルデンゲートひかりかゞや桑港サンフランシスコ廣野ひろばおいて——何處いづくにてもよし
合衆国がっしゅうこく桑港サンフランシスコから、国の中央を横切っている、かの横断鉄道には、その時、随分ずいぶん不思議なはなしもあったが、何分なにぶんロッキーさんの山奥を通過する際などは、そのあたり何百里というもの
大叫喚 (新字新仮名) / 岩村透(著)
摂津守を総督そうとくに任じて随行ずいこうには勝麟太郎かつりんたろう(今の勝安芳やすよし)以下長崎伝習生でんしゅうせいを以てし、太平洋をわたりて北米ほくべい桑港サンフランシスコくことを命じ、江戸湾を解纜かいらんしたるは、実に安政あんせい六年十二月なり。
ファニイの後を追うてカリフォルニア迄渡って来、極度の貧困と極度の衰弱との中に、友人や肉親との交通も一切断たれたまま・桑港サンフランシスコの貧民窟の下宿に呻吟しんぎんしていた時のことだ。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
桑港サンフランシスコ警察司法主任ダンカン・マテスン氏——過去十五年間桑港の探偵捜査事務を
土から手が (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
単に内地ばかりでなく、朝鮮、満洲、台湾、琉球は勿論、上海、香港、新嘉坡シンガポール、印度、布哇ハワイから桑港サンフランシスコ、シカゴ、紐育ニューヨークに至るまで、わが同胞の住むところには、総てみな読まれるのである。
雪の一日 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
今日では幾分質を落したようだが、ニューヨーク・フィルハーモニーやフィラデルフィアには及ばぬとしても、アメリカでは第一流のオーケストラで、桑港サンフランシスコやシカゴのよりは良いらしい。
あるいは「東洋の紐育ニュウヨーク」もしくは「東洋の桑港サンフランシスコ」——こう呼ばれている上海シャンハイも、昔ながらの支那街としての県城城内へ足を入れれば、腐敗と臭気と汚穢おわいとが、道路そとにも屋内うちにも充ち満ちていて
沙漠の古都 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
まず「桑港サンフランシスコ金門の風景」、波を蹴って入港する大小の汽船、海岸数カ所の絶景、船客の上陸、つぎは「市中火災の実景」、消防隊の出動から高層建物の延焼、蒸気ポンプの活動、救命梯子の応用
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
初めて外国へ出たとき桑港サンフランシスコで検疫のため荷物を消毒せられて大損害を受け、それからエンゼル島へ逐いやられて二週間流罪の憂き目を見たとき、老師は懇篤こんとくなる手紙を送りて、大いに激励せられた。
日本人の奴隷どれいになって虐待ぎゃくたいされるのは真平まっぴらだが、白人や黒人に使われるなら一向構わない。桑港サンフランシスコあたりのチャブ屋のボーイになるのもいゝ。アフリカの熱帯地へ行って、酋長の娘に仕えるのもいゝ。
小僧の夢 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
しかして、米国の如きもこの種の僻見を一掃して日本人を待遇することは、今回桑港サンフランシスコの平和会議の催さるる機会に於て一言せざるを得ざるところである。
大戦乱後の国際平和 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
金門湾、桑港サンフランシスコ! と、ぼくは、むかしなつかしい名を口にして、そのときも、今、聞かされている意見より、もっと、悠久なものについて考えていました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
桑港サンフランシスコ着直チニ皇后クィーンエリザベス病院御入院ノ件在ワシントン英国大使館ヨリ桑港英国総領事ニ電命ノ趣、唯今通知ニ接ス。右大使閣下ノ命ニ依リ通牒つウちょうス。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
事物の説明に隔靴の歎あり夫れから又、亜米利加アメリカ人が案内して諸方の製作所などを見せてれた。その時は桑港サンフランシスコ地方にマダ鉄道が出来ない時代である。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
桑港サンフランシスコに根拠を構え、主として支那、朝鮮内地に活躍するJ・I・Cの資金輸送の仲介を仕事と致しておりました。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
かつて桑港サンフランシスコの古本屋で見たその頃の石版画に、シャスタ火山が、虚空こくうげられた白炎のように、盛り上っている下を、二頭立ちの箱馬車が、のろくさといずって、箱の中には
火と氷のシャスタ山 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
船が桑港サンフランシスコへつくと、石川氏はくだんの洋服姿で軍鶏しやものやうにぐつと気取つてあがつて往つた。
七月二十一日の桑港サンフランシスコ放送が、〈条件タームスは無条件降伏でも、取扱いトリートメントは日本の抵抗期間の長さによって決定されるだろう〉という意味深長な放送をしたというので、あまり強がりをいっていると
だいこん (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
八歳の時、桑港サンフランシスコシンフォニー管弦団の独奏家としてデビューし、その後イザイエの晩年に就いて学び、十一歳の時、晴れの舞台のカーネギー・ホールで、ベートーヴェンの協奏曲を演奏した。
もう二時間ほどで、桑港サンフランシスコに入るという午後、ぼくは、M氏から、誰という名前はきかず、その着物を預かって貰えるからとの話で、着物をお願いしました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
米国人の歓迎祝砲海上つつがなく桑港サンフランシスコに着た。着くやいなや土地の重立おもだったる人々は船まで来て祝意をひょうし、これを歓迎の始めとして、陸上の見物人は黒山くろやまの如し。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
……バード・ストーン団長が持っているのを、市俄古シカゴから桑港サンフランシスコまで来る汽車の中で盗み出して写したのです。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
その前に少しばかり英語をやられたがまだ深くはない。桑港サンフランシスコに行くや否や非常に英語の大切なることを知られた。英語は「アングロ、アメリカン」両大陸に力をもっておる。
ナリン殿下容態御佳良かりょうナラズ。最善ノ施設ヲもっテ船上御手当中ついニ本日午後七時二十七分、西経百三十三度四分北緯三十二度六分桑港サンフランシスコへだタル海上八百三マイルノ洋上ニ於テ薨去こうきょ遊バサル。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
私が桑港サンフランシスコにいるとき、一九二四年九月十八日の夕、新聞の号外売りが、声高く「ラッセン火山大爆裂、シャスタ氷河大融解」と、大の字くしで呼んでいるので、耳寄りに思って買って見ると
火と氷のシャスタ山 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
戸田五平のほうは名古屋の製陶会社の桑港サンフランシスコ支店の店員だったが、悪い仲間が出来て博奕に手をだし、あっというほど支店の金を使いこみ、いるにいられず逃げだしてきたという次第なのであった。
三界万霊塔 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
この正義公道は二十世紀に至ってたしかに明確に解釈せられつつあって、かの桑港サンフランシスコに於ける頑民がんみんの挙動の如きは、ただ十九世紀上半の迷夢が米国の一部に残留しておったもので
日本の文明 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
きょうの桑港サンフランシスコ放送が、日本人のインテリジェンスを
だいこん (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
今度スタンホルドのジョルダン博士が会長となって、桑港サンフランシスコに於て平和会議が開かれる。日本からも是非ぜひ人を出してくれということであったから、誰かに行ってもらおうと思ったが、誰も行かれぬ。
大戦乱後の国際平和 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
日本人のみで大胆にも太平洋を初めて渡って桑港サンフランシスコに行った。