)” の例文
って吾しばらく男装して雄略を起こし、上は神祇の霊を蒙り、下は群臣の助を籍る。事成らば爾等の功なり、事破れば吾の罪なり。
日本上古の硬外交 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
未だ報裁をかうむらず、欝包うつはうの際、今年の夏、同じく平貞盛、将門を召すの官符を奉じて常陸国にいたりぬ。つて国内しきりに将門に牒述てふじゆつす。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
この歌の左に、「春日遅遅として、鶬鶊ひばり正にく。悽惆せいちうの意、歌にあらずば、はらひ難し。りて此の歌を作り、ちて締緒ていしよぶ」
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
りて余は、わが日本民族の一部を救済せんとの目的をもって、ひそかにその事業を進行中なり。されども資金枯渇のため、思うにまかせず。
第五氷河期 (新字新仮名) / 海野十三(著)
十二月庚午かのえうまついたち、皇太子片岡に遊行いでます。時に飢ゑたるひと道のほとりせり。りて姓名かばねなを問ひたまふ。而してまをさず。皇太子飲食をしものを与へたまふ。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
〈近日しきりに神泉苑にみゆきす、その中彘猟ていりょう致さるるの間、生ける猪を取るなり、りて池苑を掘り多くの蛇を食す、年々池辺の蛇の棲を荒らすなり
叡慮につて大樹公御上洛の上、攘夷策略御英断これあり候事と、一統大悦奉り候ところ、明(三月)二十三日大樹公御東下の由承り驚き入り奉り候。
新撰組 (新字新仮名) / 服部之総(著)
ところで、その中、今もなお記誦きしょうせるものが数十ある。これを我がために伝録していただきたいのだ。何も、これにって一人前の詩人づらをしたいのではない。
山月記 (新字新仮名) / 中島敦(著)
寝ていたあいだのことを訊くとなにひとつ知らないという。万和もお梅のこころを哀れに思い、お梅が言った通り、ふたりを夫婦にすることにした、ってくだんの如しさ
顎十郎捕物帳:20 金鳳釵 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
徳川幕府は、列祖の余威にり、社会の惰力は、その旧にりて運動を改めず。いわんや封建社会の如きは、その害多きにかかわらず、また多くの利あるにおいてをや。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
りてまぐはひして嫡妻むかひめとす。ここにその孃子、常に種種のためものを設けて、恆にそのひこぢに食はしめき。
然し汽車は釧路くしろまで通うても、駒が岳は噴火しても、大沼其ものはきゅうって晴々はればれした而してしずかな眺である。時は九月の十四日、然し沼のあたりのイタヤかえではそろ/\めかけて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
って向うに行っている服部宇之吉はっとりうのきち氏と海老名弾正えびなだんじょう氏、二人とも平和協会の会員だからこの二人に列席してもらうことにしたが、何か日本の会長として祝文でもやってくれということであった。
大戦乱後の国際平和 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
をらすもおそれ入ば今こそ殘らず白状爲すなりつて此長庵が身は刑罰けいばつなるべけれども魂魄こんぱくは此土にとゞまり己れ等一同に思ひ知らするぞ其中にも忠兵衞は第一の大恩人だいおんじんなりよくも/\八ヶ年以前のことを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
もし百姓柴草を採る者あれば、つてその器を奪つて大に辛苦せしむ。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
つて起請文如件くだんのごとし
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
って案ずるに、独軍では、無音むおん飛行機を使っているか、乃至ないしはグライダーをもって、わがロイヤル・オーク号を空爆くうばくしたものにちがいない。
沈没男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
癸未みづのとひつじ、皇后体不予みやまひしたまふ。すなはち皇后のめに誓願こひねがひて、初めて薬師寺をつ。りて一百の僧をいへでせしめたまふ。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
ってこれから、秀郷の竜宮入りの譚の類話と、系統を調査せんに、まず瑣末さまつな諸点から始めるとしよう。
つて早く返しる者なりとなれば、旧堵きうとに帰着し、兵事を忘却し、弓弦をゆるくして安居しぬ。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
すなはいなび譲りて曰く、やつがれ不幸さいはひなき、元よりさはの病有り。何ぞ社稷くにいへを保たむ。願くは陛下きみ、天下を挙げて皇后に附けよ。りて大友皇子を立てて、よろしく儲君まうけのきみたまへ。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
爆発床へ突入と共に、大震動のため乗組員の半数をうしない、あらゆる通信機は、能力を失いたり、りてわれは、わずかに残れる廻転式磁石を頼りとして、盲目状態に於て、帰港を決意せるも
二、〇〇〇年戦争 (新字新仮名) / 海野十三(著)
建文帝の皇考おんちち興宗孝康こうそうこうこう皇帝の廟号びょうごうを去り、もとおくりなりて、懿文いぶん皇太子と号し、建文帝の弟呉王ごおう允熥いんとうくだして広沢王こうたくおうとし、衛王えいおう允熞いんけん懐恩王かいおんおうとなし、除王じょおう允凞いんき敷恵王ふけいおうとなし、ついまた庶人しょじんししが
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「大丈夫でございますとも、丁度ちょうど只今、一切の準備がととのいました。って、夕陽を浴びて、輝かしき人造人間戦車隊の進撃を御命令ねがおうと思って、実は只今ここへ参りましたようなわけで……」