百姓家ひゃくしょうや)” の例文
高田 (やや気の毒そうに。)ここは一軒家じゃあない、ほかにも百姓家ひゃくしょうやは沢山あるのだから、ほかのうちへ行って頼んで御覧なさい。
青蛙神 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
わたしたちが最初さいしょの村を通りぎると、大きな百姓家ひゃくしょうやの門の前へ出た。中をのぞくとおおぜいの人が晴れ着を着てめかしこんでいた。
そのとき、一けんだけ、ぽつんと立っている百姓家ひゃくしょうやが見えてきました。見れば、荒れはてているうえに、人は住んでいないようすです。
八百屋やおや干枯ひからびて積んであるものを買わず、足まめに近くに百姓家ひゃくしょうやがあれば自分で買いに行くがいい。かえって安価につくかも知れない。
味覚馬鹿 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
百姓家ひゃくしょうや裏庭にわで、家鴨あひるなかうまれようとも、それが白鳥はくちょうたまごからかえ以上いじょうとりうまれつきにはなんのかかわりもないのでした。
恭一君の家は、小さい百姓家ひゃくしょうやでしたが、まわりに、松や、つばきや、かきや、とちなど、いろんな木がいっぱいありました。
かぶと虫 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
これも芭蕉が旅中で遭遇した事実で、非常に汚い百姓家ひゃくしょうやに泊った。そうすると蚤や虱が盛んに食ってかゆくって眠れない。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
仕方なしに二人はそこにあるきたない百姓家ひゃくしょうやへ馳け込んで、何でも好いから食わせろと云ったそうです。
私の個人主義 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
氏はただちにそれを逓与わたして、わたしはこれはらない、と云いながら、見つけたものが有るのか、ちょっと歩きぬけて、百姓家ひゃくしょうや背戸せど雑樹籬ぞうきがきのところへ行った。
野道 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
どこぞに百姓家ひゃくしょうやでもつけ次第しだいたのんで一晩ひとばんめてもらおうとおもいましたが、おりあしくはらの中にかかって、見渡みわたかぎりぼうぼうとくさばかりしげったあき野末のずえのけしきで
安達が原 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
「いいえ、なんでございます……もしごつごうが悪ければ、わたくしにいたしましても、いのちが大事です。すこしあとへもどって、どこか安全な百姓家ひゃくしょうやにでもめてもらいますで」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
百姓家ひゃくしょうやだものこのさまでけっこうですよ。何も心配することはありゃしないさ」
紅黄録 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
屋根の形式の割合いに平凡へいぼん百姓家ひゃくしょうやで、畑に面したふたつづきの出居でいの間の、前通りの障子を明け放しにして、その床の間つきの方の部屋に主人らしい四十恰好かっこうの人がすわっていた。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
池上いけがみ本門寺の下寺の庭、馬込界隈かいわい百姓家ひゃくしょうやの庭、大森は比較的ひかくてき暖かいので芭蕉を植えるのに、育ちも悪くはないから、こくめいにさがし歩いてあそこで一本、ここで二本というふうにけてもらったり
生涯の垣根 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
「おまえさん、マッチを出しなさい。あしたたつとき返してあげるから」とその百姓家ひゃくしょうやの主人はヴィタリス老人ろうじんに言った。
それはいろんなところに——百姓家ひゃくしょうやや、おしろや、町や、農場のうじょうや、停車場ていしゃばや、漁村ぎょそんや、精糖工場せいとうこうじょうなどの上空にとまりました。
農揚のうあげといって、この秋のとり入れと、お米ごしらえがすっかり終わったお祝いに、どこの百姓家ひゃくしょうやでもそうするのです。
いぼ (新字新仮名) / 新美南吉(著)
そのなかでもこと日当ひあたりのいい場所ばしょに、かわちかく、気持きもちのいいふる百姓家ひゃくしょうやっていました。そしてそのいえからずっと水際みずぎわあたりまで、おおきな牛蒡ごぼうしげっているのです。
自分は絵馬堂えまどうかかげてある子別れの場の押絵おしえの絵馬や、雀右衛門じゃくえもんか誰かの似顔絵の額をながめたりして、わずかになぐさめられて森を出たが、その帰り路に、ところどころの百姓家ひゃくしょうやの障子のかげから
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
見ると、百姓家ひゃくしょうやのやぶれびさしの下から、白い煙がスーッとはいあがっている。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「天井はないさ。百姓家ひゃくしょうやだもの」
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それから、まんなかがいくらか灰色の黒ずんだ四角もありました。それは黒くなったわらぶき屋根やねのある大きな百姓家ひゃくしょうやで、前庭まえにわには石がしいてあるのです。
それはある大きな村から遠くない百姓家ひゃくしょうやにとまった朝のことであった。その村はブアシー・セン・レージェという名であることは、往来おうらい標柱ひょうちゅうでわかった。
恭一君の家は小さい百姓家ひゃくしょうやでしたが、まわりに、松や椿つばきかきとちなどいろんな木がいっぱいありました。
小さい太郎の悲しみ (新字新仮名) / 新美南吉(著)
夕方ごろ、とあるみすぼらしい、小さな百姓家ひゃくしょうやにたどりつきました。その家は、見るもあわれなありさまで、自分でも、どっちへたおれようとしているのか、わからないようなようすでした。
はたけへ入って芋をほりちらしたり、菜種なたねがらの、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家ひゃくしょうやの裏手につるしてあるとんがらしをむしりとって、いったり、いろんなことをしました。
ごん狐 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
あくる朝この親切な百姓家ひゃくしょうやを出るとき、わたしたちには二十八フランの資本もとでがあった。
やっとのことで一けんの百姓家ひゃくしょうやがいくらか親切があって、わたしたちを納屋なやにとめることを承知しょうちしてくれた。でもねるだけはねても、明かりをつけることはならないという言いわたしであった。