気勢けはい)” の例文
旧字:氣勢
低空飛行をやっていると見えて、プロペラの轟音は焙りつけるように強く空気を顫わし、いかにも悠々その辺を旋回している気勢けはいだ。
刻々 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
忍野郷しのぶのごうを出外れるともう釜無の岸であった。土手に腰かけて一吹いっぷくした。それから四辺あたりを見廻したが、人の居るらしい気勢けはいもなかった。
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
院長や、医員や、看護婦たちが容易ならぬ気勢けはいであちこちと立ち廻っている間に、私はクロロフォムの壜と、マスクの用意をしました。
麻酔剤 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
雨滴あまだれの音はまだしている。時々ザッと降って行く気勢けはいも聞き取られる。城址しろあとの沼のあたりで、むぐりの鳴く声が寂しく聞こえた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
その時は早や、夜がものにたとえると谷の底じゃ、白痴ばかがだらしのない寐息ねいきも聞えなくなると、たちまち戸の外にものの気勢けはいがしてきた。
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
事実声の主は少しずつ、少しずつ、彼女の方へにじり寄って来るらしく、黒いもののうごめく気勢けはいが、段々身近に感じられた。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
もう来るかもう来るかと、菊路たちふたりはおびえつづけていたのに、城中はおろか、どこからも使者らしい使者は来る気勢けはいもないのでした。
囲いは、まるで罪囚の牢舎ろうやにひとしい。隅には便所までついているし、襖の外には、番人達のきびしい気勢けはいがするのだった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かんかん日の当っていた後の家の亜鉛屋根トタンやねに、蔭が出来て、今まで昼寝をしていた近所が、にわかに目覚める気勢けはいがした。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
外所そとは豆腐屋の売声高く夕暮近い往来の気勢けはい。とてもこの様子ではと自分は急に起て帰ろうとすると、母は柔和やさしい声で
酒中日記 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
そのうちに、階下したの八角時計が九時を打った。それから三十分も経ったと思うころ、外から誰やら帰ってきた気勢けはい
世間師 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
内にはまだ人の気勢けはいがしていたが、門の扉の閉めてあるのを、矢田は「おいおい」と呼びながらたたくと、すぐに硝子戸ガラスどの音と、下駄をはく音がして
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
やがて引き出そうとする、出まいとする、その格闘あらそい気勢けはい。と知るや、物をも言わずに味噌松は階下へ跳び下りる。
自分は、何の因果であの女が諦められぬのであろう、と感慨に迫りながら行く手の方を見ると、灰色空の下に深い山また山が重畳している気勢けはいである。
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
そう云う相手の気勢けはいを見ると、瑠璃子は何気ないように、元の椅子に帰りながら、端然たんぜんたる様子に帰ってしまった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そのうちに平生いつもの癖で長くは睡っていられない老婆が眼を覚したところで、おかみさんの室にものの気勢けはいがした。
狐の手帳 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
どこかの隅から、かの四月や五月やが人知れずにこにこして覗いているような気勢けはいさえ感ぜられるのであった。
田舎医師の子 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
何時いつの間にか一ぴきの飼犬が飛んで来て、鋭い眼付で彼の側へ寄って、えかかりそうな気勢けはいを示した。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
土井はこう言って、近所に住っている原口を迎えに、すぐにもちあがりそうな気勢けはいを見せた。
遁走 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
と言つてる所へ、入口に人の訪るる気勢けはい。智恵子はきつと口を結んだ。俄かに動悸が強く打つ。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
さりとてまんざら待っていなかったというのでもない。しかし、いつまでたっても夫の来る気勢けはいはなく……いいや夫ばかりかは! それっきり殿下も、もう姿をお見せにならなかった。
グリュックスブルグ王室異聞 (新字新仮名) / 橘外男(著)
日が暮れてから父が奥の四畳半で読書していると、縁側にむかった障子の外から何者かが窺っているような気勢けはいがする。誰だと声をかけても返事がない。起って障子をあけてみると、誰もいない。
父の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「ヤッ、変だぞ、変だぞ」と、断水坊も将棋指す手を止め、この血は鼻から出たのであろうと、二人は顔面かおはいうに及ばず、全身残りなくしらべてみたが、どこからも血の出た気勢けはい微塵みじん程もない。
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
台所へ廻ろうか、足をいてと、そこに居るひとの、呼吸いき気勢けはいを、伺い伺い、縁端えんばなへ。——がらり、がちゃがちゃがちゃん。吃驚びっくりした。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
今にもだれかに怒鳴りつけられるかと、身構えさえして階段を上ったが、不思議なことには、そこにも人の気勢けはいはなかった。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
土塀の頂上てっぺんで腹這いになり、家内やうちの様子を窺ったが、樹木森々たる奥庭には、燈籠のがともっているばかり、人の居るらしい気勢けはいもなかった。
柳営秘録かつえ蔵 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
今日もそこに来て耳をそばだてたが、電車の来たような気勢けはいもないので、同じ歩調ですたすたと歩いていったが、高い線路に突き当たって曲がる角で
少女病 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
「騒ぎは何でござる。どうやら百姓共の容子を見れば、一揆でも起しそうな気勢けはいでござるが、騒ぎのもとは何でござる」
庭面にわもや廊下先に、人の気勢けはいがないかあるかを、耳を澄まして確かめるためだった。やがて、ずっと低い声でこう云った。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
種彦はあまりの事に少時しばしはその方を見送ったなり呆然ぼうぜんとして佇立たたずんでいたが、すると今までは人のいる気勢けはいもなかった屋根船の障子が音もなくいて
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
信一郎は、身支度をしていたために、誰よりも遅れて車室を出た。改札口を出て見ると、駅前の広場に湯本行きの電車が発車するばかりの気勢けはいを見せていた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
お作と嫂の茶のへ入って来る気勢けはいがすると一緒に、お国も茶の室へ入って来た。それをきっかけに、嫂が、「どうもお邪魔を致しました……。」と暇を告げる。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
三次たちの気勢けはいを聞きつけて起きて来た長屋の者が消魂けたたましく戸を叩いたので、七兵衛も寝巻姿で飛出して来たが井戸端の洗場に横たわっている娘の死骸を見ると
低声こごえに教えてくれた。カッフェにいた男女が、好奇心ものずきに廊下を覗いているらしい気勢けはいがしたが、彼女が客を連れて階段をあがりかけたときに、どっと笑い声が聞えた。
碧眼 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
日蔭に成った坂に添うて、岸本捨吉は品川の停車場手前から高輪たかなわへ通う抜け道を上って行った。客を載せた一台のくるまが坂の下の方から同じように上って来る気勢けはいがした。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この時クスリと一声、笑いを圧し殺すような気勢けはいがしたが、主人あるじはそれには気が付かない。
郊外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
と、渠は、前夜同じ蚊帳に寝た女の寝息や寝返りの気勢けはいに酷く弱い頭脳を悩まされて、夜更まで寝付かれなかつた事も忘れて、慌てて枕の下の財布を取出して見た。変りが無い。
赤痢 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
すると、母親は、さすがに手出しはし得なかったが、今にも打ちかかって来そうな気勢けはいで、まるで病犬がえつくような状態ありさまで、すこし離れたところから、がみがみいっている。
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
入口の扉が開いたり、近よる人の気勢けはいがしたりすると、彼女の神経は極度に緊張した。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
すると、私のその気勢けはいに、今までじっと睡ったように身動きもしなかった銭占屋が
世間師 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
ちりごみも寐静ったろうと思う月明りのうちに、曲角あたりものの気勢けはいのするのは、二階の美しいのの魂が、菊の花を見に出たのであろう。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
やがて、銘々めいめい発見されて、あとは彼一人になったらしく、子供達は一緒になって、部屋部屋を探し歩いている気勢けはいがした。
お勢登場 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
人間さながら消えたかのように、存在の気勢けはいさえも示そうとしない、相手の精妙の遁業にひそかに舌を捲いたのであった。
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
にじり寄ってむんずとその手をでも取ったらしい気勢けはいがきこえると共に、あからさまな言葉がはっきりときこえました。
源蔵の眼と、貞四郎の眼とは、梯子段はしごだんの途中と下でじっと結びついていた。女中の来る気勢けはいがしたので、二人は、無言のまま、二階へ戻って行った。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ふと前のはんの並木のあたりに、人の来る気勢けはいがしたと思うと、はなやかに笑う声がして、足音がばたばたと聞こえる。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
新子も、椅子の背にもたれて、わずかにまどろんだとき、部屋にはいった人の気勢けはいがしたので、ハッと眼を開けるとそれはパジャマを着た準之助氏であった。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
閉切った障子の中には更に人の気勢けはいもないらしいのに唯だ朗かに河東節かとうぶし水調子みずちょうし」の一曲がかなでられている。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
水口の外に、女中が行水を使っているらしい気勢けはいがしたが、土間にははたして浅井の下駄もあった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
呆然ぼんやりと戸外の気勢けはいを覗っていた藤吉の耳へ、竹筒棒たけづっぽうを通してくるような、無表情な仙太郎の声が響いた。瞬間、藤吉はその意味を頭の中で常識的に解釈しようと試みた。