ぎょ)” の例文
ついに伯牙はくがという琴の名手が現われた。ぎょしがたい馬をしずめようとする人のごとく、彼はやさしく琴をし、静かに弦をたたいた。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
キシさんが二頭の馬をぎょし、太郎とチヨ子とは、馬車の箱の中で、白猫のチロと遊びながら、奇術のけいこでもするだけでした。
金の目銀の目 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
ここの遠見の番所は、この二つの海を二頭立ての馬のようにぎょしてながめることのできる、絶好地点をえらんで立てられたものと見えます。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
こうなると人間ほどぎょしやすいものはない。無理でも何でもはいはいかしこまって聞いて、そうして少しも不平を起さないのみかおおいうれしがる。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
いずれの中学校でも一番ぎょしがたいのは三年生である、一年二年はまだ子供らしい点がある、四年五年になると、そろそろ思慮しりょ分別ふんべつができる
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
平生へいぜいはふつうの人のはいれない、離宮やぎょえんや、宮内省くないしょうの一部なども開放されたので、人々はそれらの中へもおしおしになってにげこみました。
大震火災記 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
叔父の安兵衛は正直者でぎょしやすいが、甥の吉太郎は頭も腕っ節もできているので、容易に手を下しようがないため、三人殺しの罪を背負わせて
ただ、単に、好むところの女を側室そくしつに入れ、代る代る、これをぎょするなんどという、そんな程度の秘戯ひぎが、いつまで、おもしろかるべき筈がない。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さあ、何で有名になってやろう。ぎょにするかな、しゃにするかな。やっぱり一番たやすいぎょぐらいにしておこう。」
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
しかるにいま一時の術を用いて下民かみんぎょしその知徳の進むを待つとは、威をもって人を文明にゆるものか、しからざれば欺きて善に帰せしむるの策なるべし。
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
馬琴の剛愎高慢は名代なだいのもので、同時代のものは皆人もなげなる態度に腹を立ったものだそうだが、剛愎高慢は威張らして置けば済むからかえってぎょやすいが
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
そんなら、その金さえ出し惜しまない以上、なにも騒ぐことはない、動ずる必要はないわけである。金で話のつくことならおおいにぎょしやすい。ロス氏はこう考えた。
チャアリイは何処にいる (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
細工を施すほど、むしろ心理の足跡を残しているわけで、私のような小説書きにはぎょし易いようなものであるが、それがないので、素人探偵のとりつく余地がないのであった。
不連続殺人事件 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
その方儀、憂国の過慮より、自作の和歌一首録し置きたる扇面を行幸の途上において叡覧えいらんに備わらんことを欲し、みだりに供奉ぐぶの乗車と誤認し、投進せしに、ぎょ車駕しゃがに触る。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
世にぎょし難いものとて人間の作った沙漠のごときはありません。もしユトランドの荒地がサハラの沙漠のごときものでありましたならば問題ははるかに容易であったのであります。
俺はすでに不老長生ふろうちょうせいの法をおわり、雲に乗り風にぎょし一瞬に十万八千里を行く者だ。
しかし熱心勇敢の気象などというものは、いわば馬みたいなもので、ぎょする人があればこそその方向に進んで行くが、ぎょする者なければその向く処を知らない、狂人と同然である。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
もっとも焼物の如きものを寒国に予期するのは無理である。摂理は運命をうまくぎょして行く。雪に閉じめられる、陰惨な、退屈な、長い冬の日が、人々を工藝へ誘った一つの動因である。
地方の民芸 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
恋し恋されるこころのあがきだけは、人の世のつねの手綱ではぎょされない。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
この臆病な驢馬をぎょし、この稀大な重荷を背負って私は、あのライタアの火蓋に身を飜す光景を想像すると、もう額からは冷いあぶら汗がにじみ出した。地獄の業火に焼かるる責苦に相違なかった。
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
大阪の伯父さんよりも余程ぎょやすい。
いたずら小僧日記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
申しわけが立たずに両頭をぎょして行くことは、白雲としてはかなり苦しいことでしょう。白雲もやっぱり天上の雲ではない、地上の人間だ。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
馬車の大部分もまた鳴動連によって、ぎょせられている様子である。したがっていずれも鳴動流にきたないものばかりであった。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
柵守さくもりの能登ノ介は上手にぎょしておけとか、またそなたはあくまで以前どおり鎌倉方の女諜者と思わせておくがいいとか、細やかな策もさずけられた。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
列子とともに風にぎょして寂静無為じゃくじょうむいを味わうこともできよう、われらみずから風であり、天にも属せず地にも属せず、その中間に住した河上の老人とともに中空にいるものであるから。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
海は動揺常なきものにして到底人にぎょし得ぬものとは、古人の思想であった。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
元来黒は自慢をするだけにどこか足りないところがあって、彼の気焔きえんを感心したように咽喉のどをころころ鳴らして謹聴していればはなはだぎょしやすい猫である。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
だが、昨夜のことにかかずらうのはやめにしたい。おたがい武門。狭量なやからぎょしにくい猛者もさ、いろんなのがたくさんいる。それらも飼っておかねばならん。
だから、話せば話もわかる男で、存外、ぎょやすいのだ。なにも彼をいて敵に取るには及ばない。相当に追従して置いて、適当の時機に利用するもまた妙ではないか。
しかしながら、永遠に向かって押し寄せる波濤はとうのうねりの中に、喜びと美しさが存している。何ゆえにその心をくまないのであるか、また列子のごとく風そのものにぎょしないのであるか。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
これ熱帯地方にありては最も恐ろしき二の動物である。エホバはヨブにむかって、汝かかる怖ろしき生物をぎょし得るやというのであって、神の力と人の無力がますます強く示されるのである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
ソクラチスは婦女子をぎょするは人間の最大難事と云えり。デモスセニス曰く人もしその敵を苦しめんとせば、わが女を敵に与うるより策の得たるはあらず。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
女人をぎょすむずかしさは、男の最もやッかいな至難事と聞いていた他人事ひとごとを、いまはお身にさとって。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お角さんには、友公、友公と言って叱り飛ばされるけれども、道庵先生でさえが、友さん、友さんと立てなければ用を弁じないことが多いのに、お角さんばかりには無条件でぎょせられる。
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
御車寄の階下には、その足利家のこう師直もろなお、また、近衛このえの武将新田義貞、名和長年など、天皇のお目からみると、どれもぎょにくい面だましいが、敷波しきなみに充満していた。
しかし相手は牛のことであり、不意に現われたとはいえ、牛飼がちゃんと附いて、この温厚な動物をぎょしているのだから、寸毫すんごうといえども恐怖の感などを人に与えるものではありませんでした。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
自分の地位もおそれられるが、彼に対して、もう一名の互角な人物を配下におけば、自然、相互が牽制けんせいし合う形になり、ぎょすには御しやすいし、わが将来も安泰なものと
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
豊臣以来のぎょし難き人物を縦横自在に処理し、内外の英物を適材適処に押据おしすえ、雲の如き群雄をことごとく一手に収攬しゅうらんした政治的大手腕というものは、驚くにるべきもので——もとよりこの人は
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
才気と侠気きょうきが備わっているので、人をぎょすのが上手、町人になって、屋根請負うけおいを始め、やがて、諸侯の普請ふしん人足を請負うようになり、また、土地の売買をやったりして
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
落着いていたがあばれる時は近藤以上に荒れる。怨みはよく覚えていて、根に持っていつまでも忘れない。近藤はぎょやすし土方は御しがたしと有司ゆうしも怖れていた。隊長の芹沢は性質がことにねじけていた。