仇討あだうち)” の例文
是が縁に成って惠梅と水司又市の二人がおやま山之助の家へ来て永く足を留める。これが又一つ仇討あだうちに成りまする端緒いとぐちでございます。
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「何? 小判で百両? それが種も仕掛もない話かえ。大泥棒か仇討あだうちじゃあるまいし、おこもが小判で百両持っているわけがあるもんか」
掛一たい志操こゝろざしよろしからぬ者に付同惡とぞんじこと仇討あだうちせつさまたげ致し候故是非ぜひなくきずを付候と申ければして又其方敵討かたきうちいたさん爲に遊女奉公ほうこう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
仇討あだうちに来は来ましたが、赤堀先生は名うての腕達者、到底尋常の手段では討てまいと、習い覚えた按摩の術で先ず右腕の急所を揉み殺し
十万石の怪談 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
まず何よりも先に不審に存じましたのは、仇討あだうちに参いる程の血気の若侍が、匂い袋を持っていたというお話で御座いました。
斬られたさに (新字新仮名) / 夢野久作(著)
だが、自分にはそんな力のないことがわかったし、六郎兵衛に利用されているのだと知って、仇討あだうちなどということは、すっかり断念していた。
前者は二十八年の十一月興行の中幕で、一番目は「大坂陣諸家記録おおさかじんしょけのかきとめ」、二番目は「伊賀越道中双六いがごえどうちゅうすごろく」の岡崎と仇討あだうちであった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
御維新ごいしんまでは、だが、それでもよかった。仇討あだうちということが公許せられていた時代だ。併し、明治になってから生れたわしは、実に不幸であった。
白髪鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
なおさらのこと、仇討あだうちなどを考えているとは微塵みじん見えない。磊落らいらくに身を落して、明日あすは明日の風としているように、泉岳寺の僧侶たちにも眺められた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それでさっきの仇討あだうちという訣ですか。口真似なんか恐入りますナ。しかし民さんが野菊で僕が竜胆とは面白い対ですね。僕はよろこんでりんどうになります。
野菊の墓 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
写生しゃせいしたり荒木又右エ門あらきまたえもん仇討あだうちのとこをいて見せたりそしておしまいもうお話を自分でどんどんこさえながらずんずんそれを絵にして書いていきました。
みじかい木ぺん (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
最後にこんなことになってしまったのも、そのためだと言わば言われないこともない! もし仇討あだうちがこの春決行されたら、百二十余名の同志があったはずだ。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
生島慎九郎夫婦は、城下へ這入はいって旧故の人を訪れ、先年討たれた矢作治部太夫の仇討あだうちを、今日神指でするから、証拠人として成行きを見届けてくれと頼んだ。
討たせてやらぬ敵討 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
それが人造人間であることを看破し、その後は案山子の上にふんをしかけるという仇討あだうちまで、やらかした。
人造物語 (新字新仮名) / 海野十三(著)
吉田の子巳熊みくま仇討あだうちに出て、豊後国鶴崎で刺客の一人を討ち取つた。横井は呉服町での挙動が、いかにも卑怯ひけふであつたと云ふので、熊本に帰つてから禄をうばはれた。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「それが忘れられるものか、それがためにわしは江戸を抜け出して兄上の仇討あだうちに出て来たのだものを」
勅使に対しても大阪侯の夫人侍女家臣等が腹這はらばひに成るのを始め、大詰の仇討あだうちの場へ日の丸の提灯ちやうちんを先に立てながみかどの行幸がある時にも舞台の人間は一切寝るのである。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
この父親を埋めたどろのちかくに棲んでをりました一匹のこほろぎが、たいへん樵夫の子供に同情をして、きつと私が仇討あだうちをしてあげますからと親切になぐさめてくれたのです。
小熊秀雄全集-14:童話集 (新字旧仮名) / 小熊秀雄(著)
我々が吉良きら殿を討取って以来、江戸中に何かと仇討あだうちじみた事が流行はやるそうでございます。
或日の大石内蔵助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
初めドバルの仇討あだうちをしようと思って銃を撃ったのがドバルの殺害者ではないと分ると、その倒れている男が可哀想になった、すぐルパンの傷口にハンカチを割いて繃帯をしてやり
たとえば『談海集』巻二十二、寛文十一年九月九日、摂州芥川あくたがわ仇討あだうちの物語のうち、松下助五郎が東海道を上るとて江戸を発足する条に、芝を過ぎて高輪たかなわを通るとて同行者岩崎覚左衛門が狂歌
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
べらべらしゃべる円蔵がかかっていて「八笑人」や「花見の仇討あだうちや、三馬の「浮世床」などをいたものだったが、今来てみると、それほどの噺家はなしかもいなかったし、雰囲気ふんいきもがらりと変わっていた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「何? 小判で百兩? それが種も仕掛もない話かえ。大泥棒が仇討あだうちぢやあるまいし、おこもが小判で百兩持つて居るわけがあるもんか」
ことに心底も正しく信実な人と見込んだから、兄の仇討あだうちに出立したいと助太刀を頼んだので有ろうが、山平殿は私にはうはいかん
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
又敵またがたきが天下の御法度になったのは、仇討あだうちであっても親を殺された子はまた相手を恨み、その子が相手を討てば討たれた子がまた相手を仇と狙う
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「父の仇討あだうちを願い出ましたるところ、幸い聴許ちょうきょされて、明日某所で勝負を致すことに相成りました。ついては、必勝の太刀筋を御伝授に預りとう存じます」
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
然るべき仇討あだうちの免状でも持っておいでるかと問うてみたればそれは無い。在るには在ったが、浅草観世音の境内で懐中物と一所にられてしもうたと云うのじゃ
斬られたさに (新字新仮名) / 夢野久作(著)
剣術修行を兼ねて仇討あだうちの旅でございます、とも言えないから、素直にこう言うと、村田が
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その後赤穂あこう城中における評議が籠城ろうじょう殉死じゅんしから一転して、異議なく開城、そのじつ仇討あだうちときまった際は、彼はまだ江戸に居残っていたので、最初の連判状には名を列しなかった。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
これは、仇討あだうちの真似事を致すほど、義に勇みやすい江戸の事と申し、かつはかねがね御一同の御憤おいきどおりもある事と申し、さような輩を斬ってすてるものが出ないとも、限りませんな。
或日の大石内蔵助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
わが国古来のいわゆる「かたきうち」とか、「仇討あだうち」とかいうものは、勿論それが復讎ふくしゅうを意味するのではあるが、単に復讎の目的を達しただけでは、かたき討とも仇討とも認められない。
かたき討雑感 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
重助「へえ、頭巾をお目に掛けたら、何とかいう人だと仰しゃったが、チャンと目標めじるしが有ったのが解って、仇討あだうちに出ると仰しゃいましたよ」
『あの池田久右衛門ていうのか——赤穂の家老は、きっと、仇討あだうちをやるはらだろうと、おれは見ているんだ』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三十一年目の仇討あだうちも前代未聞のことであり、討手が逃げてしまったのも、追討や返討の心配のない場合だけに、疑えば疑えることですが、たぶん不意に襲いかかって
そこから間違いの仇討あだうちが初まった訳じゃ……その第一の証拠には、その旗本が斬られたという五月の頃おい、拙者はまだこの福岡に在藩しておったからのう……ハハハ。
斬られたさに (新字新仮名) / 夢野久作(著)
死後御検分のため遺しおく口上書とは、二日に深川八幡前で認めた仇討あだうちの宣言書と起請文きしょうもんのことで、その中には毛利小平太の名も歴然として記載されてあるこというまでもない。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
「江戸中で仇討あだうちの真似事が流行はやると云う、あの話でございます。」
或日の大石内蔵助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「今日こそは、先日の仇討あだうちを致さねばなりませぬ」
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
という騒ぎで、村中餅を搗きましたり、蕎麦を打ったり致して一同出立を祝するという、惣吉仇討あだうちに出立の処は一寸一息。
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
そして、それが、三五兵衛の仇討あだうちだった。
八寒道中 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さて今日こんにちから寛保かんぽう年間にございました金森家かなもりけ仇討あだうちのお話で、ちとお話にしては堅くるしゅうございますから、近い頃ありましたお話の人情をとりあわせ
仇討あだうち——見事』
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かりそめにも親の仇討あだうちに出立する者が、他人の助力を受けたとあっては、後日世間の物笑いになるからな
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
図らずも蘆屋の釜ならびに山風の笛が手にりましたから、早速右二品ふたしなを渡邊外記という金森家の重役へ預け、仇討あだうちの免状を殿様より頂戴致しまして、公然おもてむき仇討に出立致しまして
是まで私が思い立った事をはたさずば、何うも私が心に済みません、神に誓った事もあり、仇討あだうちに出立致す不孝の段はどの様にもお詫致す、無沙汰で家出致す重々不埓はおゆるし下さいと
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
うか、手前てめえ年もかねえで能く親のあだを討とうてえ心になってくれた、おくのや茂之助が草葉の蔭で此の事を聞いたらさぞ悦ぶであろう……じゃが今の世の中では仇討あだうちと云うことは出来ないが
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
翌朝よくちょう早天に仇討あだうちに出立を致し、是より仇討は次に申上げます。
奉「長二郎親の仇討あだうち一件今日こんにちにて落着、一同立ちませい」
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)