笑靨えくぼ)” の例文
「あの、笑靨えくぼよりは、口のはたの処に、たてにちょいとしたしわが寄って、それが本当に可哀うございましたの」と、お金が云った。
心中 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ニコと、小次郎は笑靨えくぼをこしらえてそれを眺めた。ずんと上背丈うわぜいがあるので、笑靨までが高慢に人を見下げて見えるのだった。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そう言えばどこかで見たことのある顔ですよ。ずっと遠い昔のようでもあり、ツイ二三日前のようでもあり、——ニッと笑靨えくぼの寄る所が」
ドアが静に押し開けられると、一度見たことのある少年が、名刺受の銀の盆を、手にしながら、笑靨えくぼのある可愛かわいい顔を現した。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
したらどうだ。……飛んだ深笑靨えくぼで、それがふるいつきてえほどいいのだと。面白れえじゃねえか、それから、どうした
顎十郎捕物帳:05 ねずみ (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
そこへ朱が入ってきて理由を話した。細君はそれによって顔を映しなおしてくわしく見た。それは眉の長い笑靨えくぼのある絵に画いたような美人の顔であった。
陸判 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
その頬の笑靨えくぼは笑っていた。彼女は唇をきっと結んで、放笑ふきだすまいと一生懸命に我慢してるらしかった。
その手は指にふっくらと肉が盛り上り、笑靨えくぼの浮んだような、健やかな手になりたがっていた。
忘れがたみ (新字新仮名) / 原民喜(著)
自分のはなしに身がって笑うのだと我点がてんしたと見えて赤い頬に笑靨えくぼをこしらえてケタケタ笑った。
倫敦消息 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
自分のはなしに身が入って笑うのだと合点したと見えて赤い頬に笑靨えくぼを拵えてケタケタ笑った。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
彼女は大分ご機嫌であった。顔の紐が解けていた。頬にこっぽりした笑靨えくぼが出来うっかり指で突こうものなら指先がまり込んで抜けそうもなかった。彼女はひどく嬉しいのであった。
銅銭会事変 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
猿に餌をやるどれほど面白きか知らず。魚釣幾度か釣り損ねてようやく得たる一尾に笑靨えくぼ傾くる少年帰ってオッカサンに何をはなすか。写真店の看板を見る兵隊さん。鯉にを投ぐる娘の子。
半日ある記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
いずれを優る美しさと云って善かろう、夏子は秀子より肥って居る、丸形である、秀子は楕円である、丸形の方には顎に笑靨えくぼがある、顎の笑靨は頬の笑靨よりとうといと或る詩人が云ってあるけれど
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
扇子おうぎかざし、胸を反らしてじっと仰いだ、美津の瞳は氷れるごとく、またたさもせずみはるとひとしく、笑靨えくぼさっと影がさして、爪立つまだつ足が震えたと思うと、唇をゆがめた皓歯しらはに、つぼみのような血をんだが
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
珍らしく薄化粧をして居りますが、淋しく笑うと深々と笑靨えくぼの寄る頬を見たけで、讃之助の記憶も幻想も微塵みじんに打ち砕かれてしまいます。
葬送行進曲 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
焚火の炎におもてを焼きながら、餅を頬張っている彼の顔には、何か急に独りでおかしくなったような笑靨えくぼが二つ浮いていた。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何よりもず、その石竹色に湿うるんでいる頬に、微笑の先駆として浮かんで来る、笑靨えくぼが現われた。それに続いて、つつましいくちびる、高くはないけれども穏やかな品のいゝ鼻。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
菊石あばた笑靨えくぼで、どこに惚れこんだのか、こんなに成りさがっても、先生とか阿古十郎さんとか奉って、むずかしい事件がもちあがるとかならず智慧を借りに来る。きょうもその伝なので。
顎十郎捕物帳:22 小鰭の鮨 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
が、いかな事にも、心を鬼に、爪をわしに、狼のきば噛鳴かみならしても、森でうしの時参詣まいりなればまだしも、あらたかな拝殿で、巫女みこの美女を虐殺なぶりごろしにするようで、笑靨えくぼに指も触れないで、冷汗を流しました。
菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
唇の恰好を変えるのも、歯並を見違えるようにするのも、ほん当に少しばかりの手数です、笑靨えくぼさえ電気針で自由に作られるのですもの——
葬送行進曲 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
その白い笑靨えくぼへ、武蔵は思わずうなずきを見せてしまった。彼女は、相手の感情を受けとると、もう、安心したように、籠細工屋の内へかくれた。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と言いながら、笑靨えくぼの入ったしなやかな手を俺の方へさし伸べた。
湖畔 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
白い歯が秋の陽に光って、頬に渦巻く笑靨えくぼも、皮膚をく血の色も、少し赤味を帯びた毛も、恐ろしく魅力的です。
その髪の毛を、掻きよせてみると、どうだろう、白蝋はくろうみたいな女の頬は、ニッと、笑靨えくぼかんでいるのだ、いかにも、死を満足しているように——。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
播州の一隅にすぎぬ田舎城といえ、年まだ三十という若い家老は、その健康と、あから顔に笑靨えくぼを持って、ひとりこつこつと馬を姫路の方へ歩ませていた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そう言って山北道子は、片頬に深々と笑靨えくぼを寄せて、淋しく微笑みました。
葬送行進曲 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
とはいえ、小がらに似げないふてぶてしさを、かかえている一羽の軍鶏のまなざしとともに示して、すでに、あいての大人を、なめてかかっている笑靨えくぼである。
指さすと、彼女は、不敵な、そしてまた、ひどく蠱惑こわくな、あの笑靨えくぼを、海月くらげのように、頬に、チラつかせて
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、牢へ曳かれてゆく途々みちみち今日だけはおかしくって、笑靨えくぼを、俯向けて歩いた。——なるほど死ぬその日まで、人間には、面白いこともあるものだと感じた。
雲霧閻魔帳 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、立ちどまって、あかく上気した顔に、にっこりと笑靨えくぼを泛かめて、神妙に、二本の腕をうしろへ廻した。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その笑靨えくぼへ、風が、雨が、びゅッとつけてくる。何を見ても、泥であった。何処を見ても、血であった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
母としてのつつましさと、妻としての落着きをたたえている顔に、明るい笑靨えくぼがうごいているだけだった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寧子ねねは、笑靨えくぼへかけて、眼のうちの白珠をほうりこぼした。うれきして、良人と共に家へ上がった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、年ばえもそう大しては違わない、一つか二つほど上であろう。色が白くて、笑靨えくぼが深かった、笑うと、すこしむしっている糸切歯やえばが唇からこぼれて見える。
篝火の女 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朱実と武蔵とがそうして囁いている様子を白い眼で見ながら、小次郎の頬へにたと笑靨えくぼいた。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
容易に開かないくちへ、武蔵がこう少しげきしかかると吉野は、消していた笑靨えくぼをまたちらと見せ
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義輝よしてるは、見つけない人間と、聞きつけない言葉とに接したようにその笑靨えくぼを、見まもっていた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
梅茶亭を出る前に、使いにふみを持たせて密告してやった奉行与力の者が、早くもここへ駈けつけて来たなと知って、御方の小憎い笑靨えくぼに、勝ち誇った色がありありと泛かぶ。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、色の小白い、ちょっと笑靨えくぼのある男が、頬冠ほおかむりをとって、三尺帯の尻を下ろした。
梅颸の杖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
殊にぼくは体の小さいことと笑靨えくぼの深いのが顔の特徴であったらしくて、家庭の女客などからも、あいさつに出ると「ま、お可愛らしいお坊っちゃんですこと」などとよく云われて
指で突いたように、頬にはふかい笑靨えくぼがある。歯が細かくて、味噌ッ歯のたちだった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
るとはいわないが、当然、武蔵の意思をゆるしているように、笑靨えくぼでうなずく。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
身なりに合った具足ぐそくを着、丸っこい眼と笑靨えくぼを持った年少の可憐かれんなる武者と。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
顔じゅうを笑靨えくぼにして、近衛信尹のぶただはその薄あばたを、吉野太夫の顔に向け
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朱実は、清十郎の沈んでいるのを見ると、くすりと、笑靨えくぼを下に向けた。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武蔵は、親しみを笑靨えくぼに見せて、その人々へ、会釈をし直した。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その笑靨えくぼまでが、知性の光に見える。秀吉は、ふいに
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、治郎吉は、ぬすにありそうもない笑靨えくぼを見せて
治郎吉格子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自信がある——というように美少年は笑靨えくぼをうごかす。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お光さんの笑靨えくぼは、だんだん冷たく誇らしくなった。
かんかん虫は唄う (新字新仮名) / 吉川英治(著)