トップ
>
祠
>
まつ
ふりがな文庫
“
祠
(
まつ
)” の例文
ここは漢家歴代の祖宗を
祠
(
まつ
)
ってある霊廟である。左右の壁間には、漢の高祖から二十四代にわたる世々の皇帝の肖像が画かれてあった。
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それがため幸いにも純粋な血が保たれたのである。この事は品物の血をも清くしたと私は思う。村は挙げて鮮祖
檀君
(
だんくん
)
を今も
祠
(
まつ
)
る。
苗代川の黒物
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
現に芸者や娘に私生児を生ませ母子ともピンピン跳ねているに父は神と
祠
(
まつ
)
られいるなど欧米人は桜よりも都踊りよりも奇観とするところだ。
十二支考:05 馬に関する民俗と伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
すなわち彼の住居から十町余りの山上に当たって一宇の神社が
祠
(
まつ
)
られてあったが、云うまでもなく悪神の社で、「虎狼の宮」と称されていた。
蔦葛木曽棧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
罪福の因縁を信じない者は、自己の幸不幸を天や鬼神の星辰の力によるものと考え、かくして天を拝したり、鬼を
祠
(
まつ
)
ったり、星を占ったりする。
親鸞
(新字新仮名)
/
三木清
(著)
▼ もっと見る
キリスト信者の多いあの学校のなかで、平気で自分の机に小さな仏壇を入れて、仏様を
祠
(
まつ
)
つてゐたといへば、その気性のほども大抵察しられるだらうと思ひます。
恋妻であり敵であった
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
その村にお寺が一つあつたが、わしの記憶では、多分パンテレイ聖人を
祠
(
まつ
)
つた御堂だつたと思ふ。当時その寺に、今は亡きアファナーシイ神父が住まつてをられた。
ディカーニカ近郷夜話 前篇:04 イワン・クパーラの前夜
(新字旧仮名)
/
ニコライ・ゴーゴリ
(著)
丘の上に
祠
(
まつ
)
られてある弁天堂に夜まいりをした人であろうと思いながらも、彼はしばらく其の灯を見つめていると、灯はだんだんに近づいて生垣の外を通り過ぎた。
半七捕物帳:33 旅絵師
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
子貢のみは
冢
(
つか
)
のほとりに
廬
(
いおり
)
することおよそ六年にして去った。弟子および魯人で冢のあたりに家するもの百有余室、孔里と呼ばれた。魯では世々孔子の冢を
祠
(
まつ
)
った。
孔子
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
土地の者はただ八幡社と呼んでいるが、じつは武田八幡といって、武田氏の始祖を
祠
(
まつ
)
ったものらしい、とか。いもじ
谷
(
や
)
というところは、古い
鉱滓
(
こうし
)
などがころがっている。
山彦乙女
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
ヴィエンヌ河の岸に沿うて高く立つサン・テチエンヌ寺への坂道の角には、十字を彫り刻んだ石の
辻堂
(
つじどう
)
がある。
香華
(
こうげ
)
を
具
(
そな
)
えた聖母マリアの像がその辻堂の中に
祠
(
まつ
)
ってある。
新生
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「あれ、
彼処
(
あすこ
)
ですわ。」と玉野が
指
(
ゆびさ
)
す、
大池
(
おおいけ
)
を
艮
(
うしとら
)
の
方
(
かた
)
へ寄る
処
(
ところ
)
に、板を浮かせて、小さな
御幣
(
ごへい
)
が立つて居た。真中の
築洲
(
つきず
)
に
鶴
(
つる
)
ヶ
島
(
しま
)
と言ふのが見えて、
祠
(
ほこら
)
に
竜神
(
りゅうじん
)
を
祠
(
まつ
)
ると聞く。
伯爵の釵
(新字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
灯明
(
とうみょう
)
の
灯
(
ひ
)
が道から見える寺があったり、そしてその寺の白壁があったり、曲り角の間から
生国魂
(
いくたま
)
神社の北門が見えたり、入口に地蔵を
祠
(
まつ
)
っている路地があったり、金灯籠を売る店があったり
アド・バルーン
(新字新仮名)
/
織田作之助
(著)
「やっとの事で、這い上がってみますと、そこは古びた一宇の堂内……
吹上
(
ふきあげ
)
の石神堂と同じように、やはり一個の石神が
祠
(
まつ
)
ってあります」
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「あれ、あすこですわ。」と玉野が
指
(
ゆびさ
)
す、大池を
艮
(
うしとら
)
の
方
(
かた
)
へ寄る処に、板を浮かせて、小さな
御幣
(
ごへい
)
が立っていた。
真中
(
まんなか
)
の
築洲
(
つきず
)
に鶴ケ島というのが見えて、
祠
(
ほこら
)
に竜神を
祠
(
まつ
)
ると聞く。
伯爵の釵
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
神様といふのは、ある鉱山師の女房で、その女は何処かで掘出して来たらしい大黒さんを座敷に
祠
(
まつ
)
り、そこに引籠つて、
躄
(
ゐざり
)
を立たせたり、一寸した頭痛持を
癒
(
なほ
)
したりしてゐる。
茶話:02 大正五(一九一六)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
画の竜と違い蜥蜴のようだとあれば、何か一種の蜥蜴を
蓄
(
こ
)
うて竜とし
祠
(
まつ
)
りいたのだ。
十二支考:03 田原藤太竜宮入りの話
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
「慈父丞相、
大父
(
たいふ
)
孔明」と、いいたたえ、その戦蹟の諸地方に、早くも
生祠
(
せいし
)
(生き神様の祭り)を建て、四時の供物と
祠
(
まつ
)
りを絶たなかった。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
丁蘭はそれを家のうちに
祠
(
まつ
)
つて女房とともに生きた人に対するやうに丁寧にかしづいた。
茶話:11 昭和五(一九三〇)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
あくる日、これを全山に布告して、
聚議庁
(
しゅうぎちょう
)
は清掃された。星を
祠
(
まつ
)
る祭壇には牛馬の生血を供え、天地神明に誓いをなした。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
壇の四方には、
笹竹
(
ささだけ
)
を建て、
清縄
(
せいじょう
)
をめぐらして
金紙
(
きんし
)
銀箋
(
ぎんせん
)
の
華
(
はな
)
をつらね、土製の白馬を
贄
(
いけにえ
)
にして天を祭り、烏牛を
屠
(
ほふ
)
ったことにして、地神を
祠
(
まつ
)
った。
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
神田の明神へは、あれは
平
(
たいら
)
の
将門
(
まさかど
)
公を
祠
(
まつ
)
ったもので、将門公が
謀叛人
(
むほんにん
)
などと伝えられているのは、甚だしいまちがいだ。
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
差撥
(
さはつ
)
は彼を
拉
(
らっ
)
して、途方もなく広い刑務区域をぐんぐん歩いていき、やがて
閻魔
(
えんま
)
大王の
祠
(
まつ
)
ってある古い一堂を指さした。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
あくる日、
詔
(
しょう
)
は、上清宮の
神扉
(
しんぴ
)
深きところの、
宸翰
(
しんかん
)
箱に
祠
(
まつ
)
り封ぜられ、式を終って、夜は一山の
大饗宴
(
だいきょうえん
)
に移った。
精進
(
しょうじん
)
料理ばかりのお山
振舞
(
ぶるまい
)
である。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
寺記によると、平安朝以前からの開基と、伝えられ、
檜垣
(
ひがき
)
の
媼
(
おうな
)
なる伝説の人が、国守清原元輔の頃、ここに観世音を
祠
(
まつ
)
って以来のものといわれている。
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
八大神社はいうまでもなく、八つの神々を一つ地に
祠
(
まつ
)
ったものだ。けれどもその中にも八幡様は
在
(
おわ
)
さなかった。
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
孔明は、夜、中流に船を浮かべ、諸天を
祠
(
まつ
)
る
表
(
ひょう
)
を書いて、幾万の鬼霊に祈り、これを戦の
魂魄
(
こんぱく
)
に捧げてその冥福を祈ると唱えて、供え物と共に河水へ流した。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
なにを
祠
(
まつ
)
ってあるか郷土の人もよく知らないが、ここで夏の
旱
(
ひでり
)
に雨を祈ると、うしろの駒ヶ岳からこの
野婦之池
(
のぶのいけ
)
へ沛然と天恵が降るということが信じられている。
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
庭の片すみをさしながら「そのお仏像サ
祠
(
まつ
)
ったのが、ほれ、そこサある仏さんだちゅうことを、わしら子どものころからよくじじ様には聞かされていたもんでな」
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
『そうだ、浅野家の祖先が、稲荷を
祠
(
まつ
)
り、寺領も寄附しておるので、浅野稲荷とよんでおる、あのすぐ側だから、会合のある折は、稲荷詣りを装ってゆけば近づけよう』
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
重なる歓びを、家中の諸士にも
頒
(
わか
)
つため——また戦風陣雨の幾春秋をきょうまで各〻の
不惜身命
(
ふしゃくしんみょう
)
の
印
(
しるし
)
ともふり
翳
(
かざ
)
して来た陣旗を
祠
(
まつ
)
るために、一日、大振舞いをほどこした。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
口ぐせに、彼のいうとおり、彼の居間の棚には、常に、伊勢守から受けた新陰流の印可と、四巻の古目録とが奉じてあり、
忌日
(
きにち
)
には、膳を供えて
祠
(
まつ
)
ることも忘れなかった。
宮本武蔵:03 水の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
江城
(
こうじょう
)
鎮護
(
ちんご
)
の石神として、
太田持資
(
おおたもちすけ
)
が築城以前からあったのをそのまま江戸城の最も奥まった所に
祠
(
まつ
)
ってあるというのは、こんなお粗末なものかと万太郎には思われました。
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
三十年来、肌身を離したことのない捕縄も、公職を
退
(
ひ
)
くと同時に、生涯、二度と手にとるまいと誓って、愛縄堂に
祠
(
まつ
)
ってある四百余体の悪像と共に、今は、
塵
(
ちり
)
の中に古びてある。
牢獄の花嫁
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
冀州攻略もひとまず片づくと、曹操は第一着手に、袁紹と袁家
累代
(
るいだい
)
の
墳墓
(
ふんぼ
)
を
祠
(
まつ
)
った。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
江戸の神田明神もまた、将門を
祠
(
まつ
)
ったものである。芝崎縁起に、由来が詳しい。
平の将門
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
冀州の城北に、
墳
(
つか
)
を建て、彼は手厚く
祠
(
まつ
)
られた。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“祠”の解説
祠(ほこら)とは、神を祀る小規模な殿舎。語源は神道用語の「ほくら(神庫、宝倉)」の転訛という。小祠(しょうし)、小堂(しょうどう)とも。もともとは古神道に由来する信仰であるが、神仏習合によって道祖神に関連した仏(地蔵菩薩など)も祀るようになった。神社の簡略形で、人が立ち入ることが難しい場所や、集落や個人が所有する土地に設置され、神職は常駐しない。
(出典:Wikipedia)
祠
漢検1級
部首:⽰
10画
“祠”を含む語句
小祠
祠堂
祠堂金
淫祠
祠官
祠前
古祠
祭祠
社祠
祠畔
菅神祠
素女祠
葛女祠
野祠
陳宝祠
神祠巫覡
神祠
町祠
生祠記
水祠
...