まつ)” の例文
ここは漢家歴代の祖宗をまつってある霊廟である。左右の壁間には、漢の高祖から二十四代にわたる世々の皇帝の肖像が画かれてあった。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それがため幸いにも純粋な血が保たれたのである。この事は品物の血をも清くしたと私は思う。村は挙げて鮮祖檀君だんくんを今もまつる。
苗代川の黒物 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
現に芸者や娘に私生児を生ませ母子ともピンピン跳ねているに父は神とまつられいるなど欧米人は桜よりも都踊りよりも奇観とするところだ。
すなわち彼の住居から十町余りの山上に当たって一宇の神社がまつられてあったが、云うまでもなく悪神の社で、「虎狼の宮」と称されていた。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
罪福の因縁を信じない者は、自己の幸不幸を天や鬼神の星辰の力によるものと考え、かくして天を拝したり、鬼をまつったり、星を占ったりする。
親鸞 (新字新仮名) / 三木清(著)
キリスト信者の多いあの学校のなかで、平気で自分の机に小さな仏壇を入れて、仏様をまつつてゐたといへば、その気性のほども大抵察しられるだらうと思ひます。
恋妻であり敵であった (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
その村にお寺が一つあつたが、わしの記憶では、多分パンテレイ聖人をまつつた御堂だつたと思ふ。当時その寺に、今は亡きアファナーシイ神父が住まつてをられた。
丘の上にまつられてある弁天堂に夜まいりをした人であろうと思いながらも、彼はしばらく其の灯を見つめていると、灯はだんだんに近づいて生垣の外を通り過ぎた。
半七捕物帳:33 旅絵師 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
子貢のみはつかのほとりにいおりすることおよそ六年にして去った。弟子および魯人で冢のあたりに家するもの百有余室、孔里と呼ばれた。魯では世々孔子の冢をまつった。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
土地の者はただ八幡社と呼んでいるが、じつは武田八幡といって、武田氏の始祖をまつったものらしい、とか。いもじというところは、古い鉱滓こうしなどがころがっている。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ヴィエンヌ河の岸に沿うて高く立つサン・テチエンヌ寺への坂道の角には、十字を彫り刻んだ石の辻堂つじどうがある。香華こうげそなえた聖母マリアの像がその辻堂の中にまつってある。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「あれ、彼処あすこですわ。」と玉野がゆびさす、大池おおいけうしとらかたへ寄るところに、板を浮かせて、小さな御幣ごへいが立つて居た。真中の築洲つきずつるしまと言ふのが見えて、ほこら竜神りゅうじんまつると聞く。
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
灯明とうみょうが道から見える寺があったり、そしてその寺の白壁があったり、曲り角の間から生国魂いくたま神社の北門が見えたり、入口に地蔵をまつっている路地があったり、金灯籠を売る店があったり
アド・バルーン (新字新仮名) / 織田作之助(著)
「やっとの事で、這い上がってみますと、そこは古びた一宇の堂内……吹上ふきあげの石神堂と同じように、やはり一個の石神がまつってあります」
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あれ、あすこですわ。」と玉野がゆびさす、大池をうしとらかたへ寄る処に、板を浮かせて、小さな御幣ごへいが立っていた。真中まんなか築洲つきずに鶴ケ島というのが見えて、ほこらに竜神をまつると聞く。
伯爵の釵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
神様といふのは、ある鉱山師の女房で、その女は何処かで掘出して来たらしい大黒さんを座敷にまつり、そこに引籠つて、ゐざりを立たせたり、一寸した頭痛持をなほしたりしてゐる。
画の竜と違い蜥蜴のようだとあれば、何か一種の蜥蜴をうて竜としまつりいたのだ。
「慈父丞相、大父たいふ孔明」と、いいたたえ、その戦蹟の諸地方に、早くも生祠せいし(生き神様の祭り)を建て、四時の供物とまつりを絶たなかった。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
丁蘭はそれを家のうちにまつつて女房とともに生きた人に対するやうに丁寧にかしづいた。
あくる日、これを全山に布告して、聚議庁しゅうぎちょうは清掃された。星をまつる祭壇には牛馬の生血を供え、天地神明に誓いをなした。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
壇の四方には、笹竹ささだけを建て、清縄せいじょうをめぐらして金紙きんし銀箋ぎんせんはなをつらね、土製の白馬をいけにえにして天を祭り、烏牛をほふったことにして、地神をまつった。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
神田の明神へは、あれはたいら将門まさかど公をまつったもので、将門公が謀叛人むほんにんなどと伝えられているのは、甚だしいまちがいだ。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
差撥さはつは彼をらっして、途方もなく広い刑務区域をぐんぐん歩いていき、やがて閻魔えんま大王のまつってある古い一堂を指さした。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あくる日、しょうは、上清宮の神扉しんぴ深きところの、宸翰しんかん箱にまつり封ぜられ、式を終って、夜は一山の大饗宴だいきょうえんに移った。精進しょうじん料理ばかりのお山振舞ぶるまいである。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寺記によると、平安朝以前からの開基と、伝えられ、檜垣ひがきおうななる伝説の人が、国守清原元輔の頃、ここに観世音をまつって以来のものといわれている。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八大神社はいうまでもなく、八つの神々を一つ地にまつったものだ。けれどもその中にも八幡様はおわさなかった。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孔明は、夜、中流に船を浮かべ、諸天をまつひょうを書いて、幾万の鬼霊に祈り、これを戦の魂魄こんぱくに捧げてその冥福を祈ると唱えて、供え物と共に河水へ流した。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なにをまつってあるか郷土の人もよく知らないが、ここで夏のひでりに雨を祈ると、うしろの駒ヶ岳からこの野婦之池のぶのいけへ沛然と天恵が降るということが信じられている。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
庭の片すみをさしながら「そのお仏像サまつったのが、ほれ、そこサある仏さんだちゅうことを、わしら子どものころからよくじじ様には聞かされていたもんでな」
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『そうだ、浅野家の祖先が、稲荷をまつり、寺領も寄附しておるので、浅野稲荷とよんでおる、あのすぐ側だから、会合のある折は、稲荷詣りを装ってゆけば近づけよう』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
重なる歓びを、家中の諸士にもわかつため——また戦風陣雨の幾春秋をきょうまで各〻の不惜身命ふしゃくしんみょうしるしともふりかざして来た陣旗をまつるために、一日、大振舞いをほどこした。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
口ぐせに、彼のいうとおり、彼の居間の棚には、常に、伊勢守から受けた新陰流の印可と、四巻の古目録とが奉じてあり、忌日きにちには、膳を供えてまつることも忘れなかった。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
江城こうじょう鎮護ちんごの石神として、太田持資おおたもちすけが築城以前からあったのをそのまま江戸城の最も奥まった所にまつってあるというのは、こんなお粗末なものかと万太郎には思われました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三十年来、肌身を離したことのない捕縄も、公職を退くと同時に、生涯、二度と手にとるまいと誓って、愛縄堂にまつってある四百余体の悪像と共に、今は、ちりの中に古びてある。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
冀州攻略もひとまず片づくと、曹操は第一着手に、袁紹と袁家累代るいだい墳墓ふんぼまつった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
江戸の神田明神もまた、将門をまつったものである。芝崎縁起に、由来が詳しい。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
冀州の城北に、つかを建て、彼は手厚くまつられた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)