浴槽ゆぶね)” の例文
まだ人影の見えない浴槽ゆぶねのなかには、刻々に満ちて来る湯の滴垂したたりばかりが耳について、温かい煙が、燈籠とうろうの影にもやもやしていた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
という女中の言葉を、お新はさ程気にも掛けないという風で、その浴衣に着更きかえた後、独りで浴槽ゆぶねの方へ旅の疲労つかれを忘れに行った。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ただ浴槽ゆぶねの中に一人横向になって、硝子越ガラスごしに射し込んでくる日光をながめながら、呑気のんきそうにじゃぶじゃぶやってるものがある。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
首筋まで全身をぐったりと湯に任せ、後頭部を浴槽ゆぶねの縁にもたせかけて、もーっとした湯気の中から、ぼんやりした電燈の目玉を眺めていた。
童貞 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
何と申しましょうか、それは、ちょうど湯加減のよい浴槽ゆぶねのなかにでもひたっているような、こころよい、しみじみとした幸福感でありました。
(新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
いや、じつわたしらん。——これあとで、飯坂いひざか温泉で、おなじ浴槽ゆぶね客同士きやくどうしが、こゝなるはしについてはなしてたのを、傍聞かたへぎきしたのである。
飯坂ゆき (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
或いは又、大不出来か、ちらり、ほらりと、雨夜星、琴平湯の、浴槽ゆぶねにて、弁慶床の店先にて、人の噂に聞きつらん。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
「丑松でなきゃア、お才だ。——いやまだ下手人と決めるには早いが、女湯の浴槽ゆぶねの中で、背後うしろから人間を刺せるのは、外にありそうもないじゃないか」
おまけにタイルの浴槽ゆぶねからざぶざぶと湯がこぼれて、まるで温泉場みたいだなと、不思議な気がしていたのです。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
森閑しんかんとした浴室ゆどの長方形ちやうはうけい浴槽ゆぶね透明すきとほつてたまのやうな温泉いでゆ、これを午後ごゝ時頃じごろ獨占どくせんしてると、くだらない實感じつかんからも、ゆめのやうな妄想まうざうからも脱却だつきやくしてしまふ。
都の友へ、B生より (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
二人は共々に帯もしめぬ貸浴衣の寝衣ねまきのまま、勝手の庭先へと後から建増したらしい狭い湯殿へ下り、一人やっと入れる程な小さな浴槽ゆぶねの中へと無理やりに
夏すがた (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「ただいま、浴槽ゆぶねで聞いたのだが、昨晩は君の姿が見えないために、総出で探し、どうしてもわからないから、君は駈落かけおちをしてしまったものときめているらしい」
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
室戸岬は水に不自由してゐる、水を節約せよ、浴槽ゆぶねの中で手拭をつかふな、といふ貼紙がしてあつた。
にはかへんろ記 (新字旧仮名) / 久保田万太郎(著)
彼方此方あっちこっちへ往って、何処の家の風呂でもおかまいなしにのぞき込んで泣いていたが、しまいには空の浴槽ゆぶねの中へ裸体はだかで入っていたり、万一これをさまたげる者でもあると
風呂供養の話 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
向うの窓際に在る石造いしづくり浴槽ゆぶねから湧出す水蒸気が三方の硝子ガラス窓一面にキラキラとしたたり流れていた。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ともすれば氣が遠くなつて錢湯で下足札を浴槽ゆぶねの中に持ち込むやうな迂闊なことさへ屡〻だつた。
崖の下 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
此処は水乏しくして南の方のたにに下る八町ならでは得る由なしと聞けるに、湯殿に入りて見れば浴槽ゆぶねの大さなど賑える市の宿屋も及ばざる程にて、心地好きこと思いのほかなり。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
風呂に入りますと、浴槽ゆぶねの湯が温泉でも下に湧き出して居るやうに、地車だんじりの響で波立ちます。大鳥さんの日の着物は、大抵紺地か黒地の透綾上布すきやじやうふです。襦袢じゆばんの袖は桃色の練絹ねりぎぬです。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
そこには例の鰐の外に、秦吉了いんこや鸚鵡が置いてある。それから壁に食つ付けてある別な籠に猿が幾疋か入れてある。戸を這入つて、直ぐ左の所に、浴槽ゆぶねに多少似てゐる、大きいブリツキの盤がある。
男湯の方で、水野葉舟ようしゅうや戸川秋骨しゅうこつ氏と大声で話合っているのを、清子は女湯の浴槽ゆぶねにつかってのどかにきいていることもあった。今日も、一足おくれて帰ってくると、うちのなかで女の声がしていた。
遠藤(岩野)清子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
浴槽ゆぶねの一たん後腦こうなうのせて一たん爪先つまさきかけて、ふわりとうかべてつぶる。とき薄目うすめあけ天井際てんじやうぎは光線窓あかりまどる。みどりきらめくきり半分はんぶんと、蒼々さう/\無際限むさいげん大空おほぞらえる。
都の友へ、B生より (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
というような下男たちのささやきが聞こえましたので、そのまま浴槽ゆぶねのなかに首まで沈みながら
押絵の奇蹟 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
浴槽ゆぶねの中に、何かあったんですか」
深緑のカアテンをかけた窓のほかは白い壁にもドアの内側にも一面に鏡が仕掛けてあって、室中へやのものがてしもなく向うまで並び続いているように見える——西洋式の白い浴槽ゆぶね
あやかしの鼓 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
その中で三人の頬ぺたの赤い看護婦たちが、三人とも揃いのマン丸い赤い腕と、赤い脚を高々とマクリ出すと、イキナリ私を引っ捉えてクルクルと丸裸体まるはだかにして、浴槽ゆぶねの中に追い込んだ。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
と金切声で命令しながら、モウ一度、浴槽ゆぶねの中へ追い込んだ。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)