手本てほん)” の例文
手本てほんもとにして生意氣なまいきにも實物じつぶつ寫生しやせいこゝろみ、さいは自分じぶんたくから一丁ばかりはなれた桑園くはゞたけなか借馬屋しやくばやがあるので、幾度いくたびとなく其處そこうまやかよつた。
画の悲み (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
ですからその一だいあいだには、りっぱな武勇ぶゆうはなしかずしれずあって、それがみんなのち武士ぶしたちのお手本てほんになったのでした。
八幡太郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
翌年よくねん、二ぐわつ初午はつうまことで、元二げんじばんおもむきへて、部屋へや一人ひとり火鉢ひばちひきつけながられいうた手本てほんに、うつくしいかなの手習てならひをしてた。
二た面 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
つまり平凡へいぼんなお手本てほんうつしになぞつてくものですから、だん/\つまらなく、その作者さくしや特徴とくちようすことが出來できなくなつたわけであります。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
やまなかにあつたとうさんのおうちでは、なにからなにまで手製てせいでした。手習てならひのお手本てほんから讀本とくほんまで、祖父おぢいさんの手製てせいでした。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
父の不孝の行いをいさめたのだから、孝行者こうこうもの手本てほんだといっているが、それならば父についてわざわざ山奥まで出かけるまえに、そう言ってもよさそうに思われる。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
○秋山中に寺院じゐんはさら也、庵室あんじつもなし。八幡の小社一ツあり。寺なきゆゑみな無筆むひつ也。たま/\心あるもの里より手本てほんていろはもじをおぼえたる人をば物識ものしりとて尊敬そんきやうす。
幼年時代ようねんじだいを通じて、その音楽家の面影おもかげは生きた手本てほんとなり、かれはそのうえをすえていた。わずか六歳の少年しょうねんたる彼が、自分もまた楽曲を作ってみようと決心けっしんしたのは、この手本にもとづいてであった。
ジャン・クリストフ (新字新仮名) / ロマン・ロラン(著)
この二人ふたり先輩せんぱいうた手本てほんにして、だん/\自分じぶん本領ほんりようしてたのが、さきべた山部赤人やまべのあかひとなのです。このひとうたでは、特別とくべつ名高なだかいものとして
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
となりのおゆうさんが手習てならひ祖父おぢいさんのいたお手本てほんならふのもその部屋へやでした。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
敕撰集ちよくせんしゆう第一だいゝちのものであるために、古今集こきんしゆううたが、それ以後いごうたうごかすべからざる手本てほんとなつてしまひました。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)