憮然ぶぜん)” の例文
兵馬は憮然ぶぜんとしてしまいました。竜之助の前には幾度も現われるこの女、こうして兵馬の前に現われたのは今宵がはじめてか知らん。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
憮然ぶぜんとして痛嘆する孔明の呟きを聞くと、馬謖ばしょくは日頃の馴れた心を勃然ぼつぜんと呼び起して、その面にかっと血の色をみなぎらして叫んだ。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おれは憮然ぶぜんと浮かない気分になった。多少は痛快だなどと思った早計を自分でわらい、かれらの脇をすりぬけるようにして階段をおりた。
陽気な客 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ピタリと刀を鞘に納めると、憮然ぶぜんとして佇んだが、「人穴へ行こう! 人穴へ行こう! そうしてそこで……顔の手入れをしよう」
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
老人は憮然ぶぜんとして、眼をあげた。あたりではやはりにぎやかな談笑の声につれて、大ぜいの裸の人間が、目まぐるしく湯気の中に動いている。
戯作三昧 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
憮然ぶぜんとして腕を組んだ栄三郎の前に、つがいを破られて一つ残った坤竜丸が孤愁こしゅうかこつもののごとく置かれてあるのを見すえている。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「ああ。おれなぞは時代をとりちがえて生れてきたのだ——戦国の世に生れていたらなア」酔うと必ず、憮然ぶぜんとして腕をさする。
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
一度逢ったことのある、小柄な彼女の母親が、仏の枕元に泣き伏していた。そのそばに、彼女の亡夫の弟だという人が、憮然ぶぜんとして坐っていた。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
妙齢としごろだ。この箸がころんでも笑うものを、と憮然ぶぜんとしつつ、駒下駄が飛んで、はだしの清い、肩も膝もくれないの乱れたおんなの、半ば起きた肩を抱いた。
みさごの鮨 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
絶体絶命の性慾のさせる仕業しわざである。それをいたずらに観念の上でもてあそんではいられない。鶴見はそう思ってひとり憮然ぶぜんとする。
幽蘭香ゆうらんこういて合掌する。香煙はゆらゆらと立ち昇って、墓のおもてかすめ、そして、私は憮然ぶぜんとして、墓をみつめて立つ。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
「から——からっ咳が出て……」と云いける途端とたんにまた二つ三つ込み上げる。小野さんは憮然ぶぜんとして咳の終るを待つ。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
むかし孤軍五稜廓に立籠つて官軍を悩ました釜次郎の血液未だれざる榎本は、たゞ憮然ぶぜんとして深き感慨に沈んだ。
政治の破産者・田中正造 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
「すると池田家の墓は共同墓地へ遣られたかも知れませんな。池田家ののちは今どうなっているかわかりませんか。」こういってわたくしは憮然ぶぜんとした。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
いいお話ね、と芸者も釣りこまれたように、同じ境涯を辿りつつあるものの共感を持ったのであろうか、憮然ぶぜんたる表情をしてためいきをつくように云った。
糞尿譚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
それが改革運動となって実現されるに非常に縁の遠いものであることを知って憮然ぶぜんたらざるを得ません。
三面一体の生活へ (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
「もう五年と相成るか」と帯刀は憮然ぶぜんとしてその五ヶ年の年月としつきをふりかえっているようであったが
くろがね天狗 (新字新仮名) / 海野十三(著)
再びもとへやに戻って、椅子の上に落ち着くと、法水は憮然ぶぜんあごでながら驚くべき言葉を吐いた。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
こゝに於て、われ憮然ぶぜんとして歎ず、今の時代に沈厳高調なる詩歌なきは之を以てにあらずや。
漫罵 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
世評を氣にしてさう言ふZ・K氏も、言はれる私も、しばし憮然ぶぜんとして言葉が無かつた。
足相撲 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
その児の顔に見入りながら、数年前長安ちょうあんに残してきた——そして結局母や祖母とともに殺されてしまった——子供のおもかげをふと思いうかべて李陵は我しらず憮然ぶぜんとするのであった。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
……それから日没の街を憮然ぶぜんと歩いている彼の姿がよく見かけられた。街はつぎつぎに建ものが取払われてゆくので、思いがけぬところに広場がのぞき、粗末な土のごううずくまっていた。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
平次の憮然ぶぜんとしてをります。つまらぬ遠慮から、もう一つの命を失つたのです。
「死んではもう万事休す」だと云われた時、自分も旧友をおもうて悵然ちょうぜんたらざるを得なかった。丁度夕方頃で、太平洋沿岸の一室、落莫たる大海原に対して憮然ぶぜん久之の光景、誠に気の毒であった。
釈宗演師を語る (新字新仮名) / 鈴木大拙(著)
「ああ、影が薄くなったろう」私は憮然ぶぜんとしてせた両頬を撫でて見た。
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
芦田——(憮然ぶぜんとして)何ともお気の毒ですが、仕方がありません。
探偵戯曲 仮面の男 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
つい言って、俺は憮然ぶぜんとした丸万を見て、これはまずかったと
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
みんな憮然ぶぜんとして薄ぐらいなかに赤い火鉢の炭火を見詰めた。
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
憮然ぶぜんと部屋の隅につっ立っていた青年は
火の鳥 (新字新仮名) / 太宰治(著)
春琴これを聴きて憮然ぶぜんたることやや久し矣
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
余は憮然ぶぜんとして立ちすくんだ。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
さるにても、御坊塚おんぼうづかのこの本陣も昼の一頃ひところにくらべると、何と、寥々りょうりょうたる松風の声ばかりではあると、彼は、憮然ぶぜんとして見まわした。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
丹後守は、再び槍の話はさせないよう、しないように言葉を避けるから兵馬も、このうえ押すことはできなくなって憮然ぶぜんとしていると
いささか憮然ぶぜんたる面持ちで、左膳は、ひだりの膝がしらに引きつけた長刀ちょうとう相模大進坊さがみだいしんぼうの柄をあんじて、うすきみのわるい含み笑いをしました。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
隆一、憮然ぶぜんとして、「ぢや大和糊やまとのりにするわ」と言へば、茂索、いよいよ承知せず、「ははあ、のりでもめる気だな。」
病牀雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
なにを云うことができよう、おれは憮然ぶぜんとしたような感じで、多少当惑もした感じで漫然と腕組みをしていた。
陽気な客 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「結構だ」「何坪ですかな」「私も年来このへんを心掛けておりますが」などと新夫婦を取りいてしまう。高柳君は憮然ぶぜんとして中心をはずれて立っている。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
憮然ぶぜんとした老儒者の眼尻のあたりに涙がにじんで露のように見えた。と、側にいた紋也が訊いた。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
伊志田氏が憮然ぶぜんとして言うと、三島刑事は気の毒な父親を力づけるように、それを打ち消した。
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「血液には光はない」と法水は死体から手を離すと、憮然ぶぜんとしてつぶやいた。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
坐り直って、なぜか、八郎は憮然ぶぜんとした。
卵塔場の天女 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
山浦甚六郎は憮然ぶぜんとして居るのです。
慷堂は憮然ぶぜんたる表情で
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
楽翁は、憮然ぶぜんとして、相手のおもてを見つめた。しかし、もう何をいっても、後のまつりだと、諦めたように、茶わんを静かに戻して
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
容易なことではない——ということを知ってみれば、果ては憮然ぶぜんとして、苦笑いが、高笑いとなって止むだけのことでした。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
先生は、茶碗を下へ置いて、その代りに青いらふを引いた団扇をとりあげながら、憮然ぶぜんとして、かう云つた。
手巾 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
云えない代償に津留は彼の胸に泣きながらもたれかかった。泰三は憮然ぶぜんとして、そして途方にくれていた。
思い違い物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
さすがの明智小五郎も、言うすべを知らぬかのように、憮然ぶぜんとして腕をこまぬくのであった。
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
憮然ぶぜんとして葉之助は呟いたもののしかし後悔はしなかった。気が晴々しくなったからである。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「屍骸は原っぱだ。」憮然ぶぜんとして藤吉が言った。「見る気があったら見ておやんなせえ。」